ピリピ人への手紙(3)

2022年05月08日
聖書箇所:ピリピ1:9~11
説教題:祈りの力

おはようございます。2022年5月第2週母の日の礼拝を共に捧げる恵みを感謝します。

またネット配信で礼拝している本庄教会の皆様、本庄教会以外の方もおはようございます。お元気でしたか?この時間を共有できる恵みを感謝します。

さて今日の聖書箇所はピリピ人への手紙1:8~11です。私は今、新約聖書が書かれた順番に沿ってお話ししていますが、書かれた年代は早い順からヤコブの手紙が紀元50年前後、続いてガラテヤ人への手紙、マルコの福音書、テサロニケ第一第二、コリント人への手紙第一第二、ローマ人への手紙、ルカの福音書、そして紀元60年代初めに今学んでいるパウロが牢獄の中で書いた、獄中書簡のエペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモンです。70年代、80年代は書かれていなくて。

最後は紀元90年代にヨハネの黙示録が書かれ、新約聖書27巻で神の啓示はすべて人間に与えられた事になります。このように聖書は一度に全部どんとできたのではなく、順番に必要に応じて神の啓示を受けた聖書記者たちが書きました。旧約聖書もモーセやサムエル、預言者エレミヤたちによって千年くらいの時間を通して神が人に啓示を与え誤りのない様に書かれたものです。

旧新約聖書を合計すると神は各時代の信仰者たちに1600年に亘り啓示を示したのです。こうして一冊の本として完成されたのが神の言葉である聖書です。それ故私達は安心して聖書を学ぶことが出来ますのでどうぞ聖書を信頼して読んでください。聖書はあなたの信頼にこたえてあなたの人生に力を与えてくださいます。

そんなことで使徒パウロがローマの獄中からヨーロッパマケドニア地方のピリピの町に在る教会の人々に書き送った手紙を学んでまいりましょう。この教会は信者が特別に喜びにあふれた教会であり、パウロとは愛と信頼関係で結ばれていました。読んでみるとそんなに深刻な問題や厳しい状況に追い込まれたていた感じはありません。でもそんな中に在ってパウロは自分の置かれた状況を伝え、間違った教えに注意を促し、ピリピの人々を励ましているのがこの手紙です。

1節と2節が挨拶で、3節~11節が感謝と祈りを伝えています。今日は9節の祈りについて学びます。キリスト者の特徴は常に神への感謝や人への感謝を忘れません。ですからキリスト者はありがとうございますとか、感謝という言葉が自然と出てきますthank youこういう言葉が普通に沢山出てくる生活は楽しいですし、良い人間関係を保てます。祈りが良い方向へ進む流れを見よう。

9:キリスト者はよく祈ります。元々人は祈る存在で、それは人が最初から創造主によって人として造られた存在だからです。他の動物と違うのは人間だけに与えられた霊があることです。命の息を吹き込まれ人は霊的存在として他の動物とは一線を画しています。こうして人だけが創造主なる神に祈り、神と交わり、交流を通して満足する存在なのです。

パウロも常に祈りを大切にする人でした。ピリピ教会の為に常に祈りを捧げていましたが、

その前に祈りとは何か?祈りは神との会話で、全てを聞いてくださる創造主に話をすることです。

感謝した事、嬉しい事、悲しい事、悩んでいる事、困っている事、何でも話す事が出来ます。ただ注意すべき事は、相手が見えないとは言え、祈りは会話なので一方的では祈りとは言えません。

聴く事がポイントです。友達と話していて一方的に話されたらどうですか。そこには何も残りません。そうです。相手の話を聴いて相手への理解を深める事が大切です。祈って神の答えを聴く必要があります。それは声なき声を聞くということで、聖書を通して、又心の内に住んでくださる聖霊に示されて神の声を聞く事が出来ます。こうして神との祈りは成立していくのです。

ではなぜ祈りが大切なのか、それは祈りによって神の声なき声を聴いて神の御心が分かるようになるのです。但し神の御心と自分の御心は違いますのでこの辺は注意が必要です。

それはさておき、次に神の御心が分かると、そこに聖霊が働いて人に力を与え、聖霊による神の力が働き、その人を良い方向に導きます。だからキリスト者の祈りは大切になってきます。パウロはピリピの人たちに何を求めたか。続いてパウロの次の言葉を読んでみよう。

①愛が豊かにされるようになる。この愛は神の愛をもって人を愛すると言うことです。

②この愛には知識(知っている事の量)識別力(物事を見極めていく洞察力)が伴う。

これにより何が見えて来るか?

大切なことを見分ける力が増してくる。何が大切であり、何が大切でないか。

何が神の御心であり、何が単なる自分の御心(おこころ)なのか。祈りによって自分の思い付きに過ぎないか、そうでないかを教え示してくれるのです。

①この見分ける力が大切ですね。ロシアのウクライナに対する戦争を考える時に、色々な情報がありますが真実を見分けることはポイントです。その前提は主権国家に対して武力で侵略しウクライナ人を殺している事実の前提を考えるとロシアの行動は誤りであることを見分けられます。

実は日本も77年前まで平和のためにと称して侵略戦争を犯しました。そしてフェイクニュースを流して国民をだましました。その結果日本は焼け野原となってしまったのです。今もロシアによってあの悲惨な姿はウクライナのフェイクニュースだ、自作自演だ、捏造だ、偽の映像だという情報に踊らされる人もいます。私達も限られた情報社会の中に生きているので完全に見分けることは出来ませんが、他国を侵略している前提に立つと西側諸国が悪でロシアは正しいというプロパガンダに乗ることは出来ません。悲しいかなクリスチャンと言われている人でもその話に乗って西側諸国が悪でロシアは正しいと主張する人が出てきます。ぜひ祈りを通して、また幅ひろい情報を受け付けて大切なことを見分ける力を持たせていただこう。

次に見分ける力を持つとどうなるか。①キリストの日に備えて、これはキリストの再臨の日のことです。主の前に責められない信徒として歩みをさせていただく。

11:イエス・キリストから来る義の実を結ぶ人生へと変えられ、神の栄光が現わされていく。

こうして祈りが充実してくると最終的に神の栄光が現わされていく流れになります。

是非、現代を生きる私たちも、神への祈りを通して、知識や識別力が豊かになり、大切なことを見極める力が増し加えられ、隣人への愛が具体的に豊かになっていければ幸いです。

そして最終的には人の栄光ではなく神の栄光に繋がっていくのです。こうして祈りは私たちに大きな力をもたらします。神に信頼して祈る者とされようではありませんか。