ダニエル書(4)

2023年4月24日

2022年11月6日
聖書箇所:ダニエル2:1~11
説教題:バビロンの王 夢を見る

おはようございます。2022年11月第1週の礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。

今日は聖餐式を通して主の十字架の御業を覚えます。またネット配信で礼拝しているあなたも

おはようございます。あなたと共に礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。

さて今朝の聖書箇所はダニエル書2章1節~11節。皆さんにお聞きします。あなたは夢をよく見ますか。それとも見ないほうですか?私は最近ほとんど夢を見なくなりました。ただ夢の中で怖い夢を見て自分が大声を出して、目が覚めて、ああ夢かと思って安心したことはあります。楽しい夢は寝起きが良いですが、怖い夢だと区分が悪いものです。

1:バビロンの王、ネブカドネツァル王は即位して間もなく何度か夢を見たようです。でもその夢があまり良い夢ではないので心が落ち着かなくなり、眠れなくなってしまいます。不安な思いのまま過ごしていました。当時の、今から2,600年前のメソポタミア地方の人々にとって夢は特別な意味があると信じていたようです。でも肝心な意味が分からないので心が騒ぎ眠れなくなったのです。この夢については聖書を見ると他の箇所でも出てきます。

・例えば創世記20:1~7、ゲラルの王に対して神は夢の中に現れてあなたの行為をやめるように述べています。ここは開きます。(旧約聖書30頁)アブラハムの妻への行為です。

・創世記40章ではエジプトに売り飛ばされたヨセフが、ある時にぬれ衣の罪をかぶせられ、監獄に入れられた事があります。この時王に仕える献酌官長と料理長の見た夢を解き明かしました

いずれの夢も神から来ているものでその内容には意味がありました。

・またⅠ列王記3:5~10にはソロモン王の見た夢の記事があります。主は夜の夢のうちにソロモンに現れ「あなたに何を与えようか、願え」と語り掛けます。その時、彼は謙遜な態度で主の前に「善悪を判断してあなたの民を裁くために聞き分ける心を僕に与えてください」と願い、神はソロモン王の信仰に答えて知恵を与えました。

 

このように旧約聖書には神が夢を通して様々な人々に対しご自身の計画や働きかけを示したことがわかります。新約聖書使徒の働きにも夢を通して神が語り掛ける場面があります。新約聖書が完成した今の時代は、神がすべての啓示聖書66巻を通して示しているので、新たな啓示、神の言葉はありません。ヨハネの黙示録に続く新たな啓示の言葉はありません。

しかし神はそれぞれの状況の中でそれぞれの信者に働いて御心を示す場合はあると思います。

但しこれには吟味が必要で、夢を見たことすべてが神からの御心であると言うわけではないので注意が必要です。

2:古代バビロニア人は魔術、口寄せ、星占い、その他の占いを非常に重んじていた民族のようです。この背景を踏まえつつ、次に進みましょう。

宮廷につかえる当時の知識階級が呪法師、呪文師、呪術師、カルデヤ人(別の言葉で言い換えると占い師、祈祷師、まじない師、賢者)に対して王は命令を出し、呼び寄せて夢の内容を伝えずに、見た夢の意味を示せと要求しますが、かなり無謀な要求であります。見た夢を言わないで、示せと言われても最初から説明できる人はいません。解き明かせるのは全知全能の神のみです。

3:そして3節から王と知識人たちのやり取りが11節まで続きます。

知識人たちは、まず見た夢の内容を示してください。そうすれば意味を解き明かす。逆に王は、私の言う事は絶対である。お前たちがその夢の内容とその意味を解き明かしが出来なければ、お前たちの手足をバラバラにして、お前たちの家はごみの山となる。このように宣言したのです。

この王は残虐なことを平気で言い、実行する人物です。でも解き明かした者には贈り物と報酬と大きな栄誉を授けるというのです。非常に極端な事を言っています。このやり取りから王は自分の見た夢に対して恐れを持ち、パニックになっているのではないかと思います。

10~11:ここはカルデヤ人たちが結論の意見を述べているところです。王の要求にこたえられる人はこの地上に誰もおりません。肉なるものと住まいを共にされない神々以外、解き明かし出来る人はだれもいません。この答えに対して王はぶち切れし、バビロン中の知者を全員殺せと命じたのです。今日はここまでです。

この聖書箇所から私達に適用できることは何か?

  • 絶対的権力を持つ指導者はとんでもなく恐ろしいことを平気で言い、実行する。民の命を大切なものと思わずに自分の道具にしています。

今の国際情勢を見てもネブカドネツァルのような狂暴な指導者は何人かいます。合法的に人を殺し、又生かして自分のコマのように使います。こういう狂暴な指導者が起きないように祈り、私たちはどんな時代にあっても神を恐れ敬う、謙虚な心を持つ人間像が求められます。

  • ネブカドネツァルと対照的な人物がソロモンです。

Ⅰ列王記3:5~10(旧約597頁)にソロモンが見た夢の記事があります。彼が王にたてられたとき神が夢の中で現れました。「あなたに何を与えようか。願え」その時彼は自分の力のなさを素直に認めて、神に願ったのは王としての能力、善悪を判断してあなたの民を治めるために、聞き分ける心を僕に与えてください。という願いでした。人の命を自分が支配しているかのようにふるまうネブカドネツァルとは真逆の考え方でした。

結び

最終的にどんな権力者でも結局のところ神の主権の中に生かされている存在にすぎません。私たちは権力者ではありませんが、いつも主の御手の中にすべてがあることを意識して謙虚に生きる。

それが主に愛され人に愛される道であります。そしてイエスこそ神でありながら人となられ、この地上で人として生き、私たちに生き方の模範を示してくださいました。バビロンの王とは真逆の生き方であります。人の為に生き、貧しいものとともに生き、友なきものの友となって仕えてきたのが主イエス・キリストです。この主イエス・キリストを今週も見上げて歩んでまいりましょう。

それでは聖餐式に移ります。お祈りします。