新年礼拝2022年1月1日

2022年12月19日

2022年1月1日
参照聖句:マタイ6:30~34 ヘブル10:23~25
宣教題:信仰の原点に立って生きよう  

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
昨年はどんな一年でしたか。コロナ禍の中で制限がある生活には疲れも覚えたことも多いと思います。また新たなオミクロン株の出現によってしばらく忍耐の日が続く事でしょう。

私個人はいかっこの働きとしての墓仕舞いで3人の方からお仕事を頂いたことが大きなことでした。クリスチャンが2名、いずれもお寺と関係でお墓をどうするか悩んでいましたが、私共が間に入り円満な形で檀家を離れ、お墓も更地に戻すことが出来ました。又ノンクリスチャンの一人暮らしの方で法定相続人の居ない方は、自分が死んだらだれもお墓を片付けられない課題を抱えています。その様な中、あるクリスチャンを通して墓仕舞いを頼まれました。ここもお寺さんへ檀家を離れるお願いをして、石屋さんにお願いしてお墓を更地にして返還することが決まり寺に迷惑をかけない形で平和的に檀家を離れました。牧師として良い仕事をしたと思っています。

さて、今年をどう生きるか?誰にも同じように一日、一週間、一か月、一年がやってきます。
でも生き方で全く人の生き方は違ってきます。惰性で生きるか。それとも主に信頼していきるかで結果が全く違ってきます。そんな訳で悔いの残らないように生きたい、あるいは悔いは残るけれども少なく済むような一年にしたいと願う人に役立つ事を共に考えて行きましょう。

聖書を開きましょう。マタイの福音書5章~7章は有名なイエスによる山上の垂訓と呼ばれる箇所で、イエス様がすべて群衆に向かって話している長い箇所です。その中の一文が今日の箇所です。

30:ここでイエスは人の生き方を野の花を例えています。野の花、又は野の草はやがて枯れて炉に投げ込まれる。当時はガスや電気はありません。台所で煮炊きをするとき、火をつけるには燃えやすい枯れた草が必要です。それが「あす炉に投げ込まれる野の草」です。

この野の草は美しい花を咲かせます。28節に野の花とありますが、これはアネモネだろうと言われています。綺麗な紫の花を咲かせます。神はきれいに装ってくださるからもっと神に信頼して歩みなさいという励ましのメッセージで31:食べ物、着るもの、飲物の心配はしなくても大丈夫。其の理由は次の節に在ります。

32:異邦人はここでは神を信じないもの。食べる、飲む、着る事だけを異邦人はいつも求めているけれども、天の父なる神は、そのようなものは人間にとって必要なものとしてすべてご存じだから心配しなくても大丈夫と励ます。

33:ではどう生きたらよいか?まず神の国と神の義を第一に求めなさい。これがイエスの勧めのポイントです。具体的意味は神のお考えを願い求めそれを優先して生きる。 自分の考え方を優先していきるのではなく、常に神のお考えは何かを求めて生きよということです。そうすればあなたにとって必要なものは必要に応じてすべて備えられるという約束です。神の考えは何かを基準にして求め、それに従う生き方です。ここがポイントです。
34:結び。イエスの言葉に信頼すれば明日の事は心配しなくても良くなる。明日の事は明日が心配するから。今日与えられている一日、ベストを尽くして生きればok。労苦はその日その日に十分あります。別の言葉で言うと今日一日を自分に与えられた事に黙々と取り組めという事です。

まとめるとこうです。明日の事は心配するな。常に自分の思いや考えを優先するな。神のお考えをいつも尋ね求めよ。これが恵まれる生き方です。是非実行しましょう。

それともう一つ、神の御心を最優先して生きようと願っても人は自己中心ですから、自分の思いを神の御心と思い込んで生きやすい存在です。その自己中心を防ぐのは何か?それはシンプルにキリスト者の集まりを大切にする。具体的には、集まりを大切にして聖書を読み、祈り、話し合う。

●ヘブル10:23~25。この手紙の著者ははっきりわかりませんが、書かれた目的ははっきりしています。信仰的に揺れ動いてユダヤ教に戻ろうとする人に対する励ましの手紙です。23:主イエスは真実なお方であるから主を見上げて行こうと励ましています。

24:キリスト者の生き方の特徴、それは隣人愛を土台にして良い業に励む事です。聖書を見ると初代のキリスト者は隣人愛を土台にして良い業の実践に熱心でした。ここがポイントです。

しかし日本のキリスト者は、愛は語るが実践する人は少ないのが現状です。信仰を持ったときに牧師や指導者から教えを受けてこなかった事が一番の原因です。だからどのような形で良い業を実践していいのかわからないのです。挙句の果てには良い業をしている人に対し支援するどころか、パフォーマンスだとか、見せる為にしていると陰口を言う人が結構多いです。悲しいですね。

だから日本でクリスチャンになる人はいつも少ないのです。クリスチャンの最も大切な生き方を実践していないので伝道する力が無いのです。そして義だけを前面に押し出すので周りの人は魅力を感じない。これが現実で日本の教会の最大の弱点だと私は考えています。是非よい業に励むことを本気で取り組んでいきましょう。

25:更には悪循環が重なるのはある人達の習慣です?ユダヤ教に倣って、キリスト者の集まりをやめる人が多くいました。集まる事をやめると霊的力を失い、信仰が形式的惰性的になります。そうではなく集まりを大切にしようと励ましています。礼拝、聖書を読んで祈りの会、賛美する。これを大切にして熱心に集まろう。また再臨が近いことを意識して集まろうということです。
適用
様々なところで集まりを大切にする。礼拝、聖書を読む祈りの集いを通してみ励ましを受ける。
そしてキリストの再臨を待ち望む。その為にも一緒に集まる事をもっと大切にしようではありませんか。集まると多くを学び、励ましを受けます。ここに聖霊が働きますから。これは私の経験です。この積み重ねがあなたのあらゆる力になっていきます。
結び
以上キリスト者の信仰の原点を共に考えました。神の御心を常に求め、愛を土台として良い業に励み、その為にも集まる事を大切にして礼拝、み言葉を学び祈り、賛美に熱心でありたいと願っています。