キリストの愛に満たされて

2022年12月20日

2021年12月12日
参照聖句:エペソ3:17~19
説教題:キリストの愛に満たされて

おはようございます。今日も愛する兄弟姉妹と共に礼拝出来る恵みを感謝します。
また、ライブ配信で共に礼拝しているあなたもおはようございます。お元気でしたか?場所は違っても同じ時間に同じ主を共に礼拝出来る恵みを感謝します。
さて今日はアドベント(待降節)の3週を迎えました。アドベントはラテン語で来るとか、到来と言う意味があります。クリスマスの夜まで、静かに主イエスの誕生を待ち臨んでまいりましょう。
さてエペソ人への手紙は使徒パウロがエペソの町にある教会の兄弟姉妹たちにあてた手紙です。この教会の人々は愛にあふれた教会として有名でした。
今日は3章17節~19節、使徒パウロの祈りが出てきますが、この祈りから共に考えてまいりましょう。宣教題は「キリストの愛に満たされて」です。

1,信仰によって、あなた方の心の内にキリストを住まわせてくださいます様に
クリスマスがどうして私たちにとって嬉しいのか。
それは世界を創り、支配しておられる創造、神の子キリストが人として私たちの世界に来て、住んで、生きてくださったからで有ります。創造主なる神は三つにして一つの神、キリスト教専門用語で三位一体と言います。父なる神、子なる神キリスト、聖霊なる神、このように聖書の神は三つにして一つなる神です。そして子なる神キリストを見る時、神がどのようなお方であるかを知ることが出来るのです。それ故、聖書の神への理解を深めるには常にイエスを見上げていくことが大切なポイントです。

今年も、全世界でキリスト降誕がお祝いされています。9月からクリスマスを祝い準備している国もあります。それ程世界中でお祝いされる訳は何故か?それはキリストが私たちの根本問題である罪を解決して新しい人生を生きるようにしてくれたお方であるから。勿論信じればの話ですが。

今でこそキリストの誕生が全世界で歓迎され、お祝いされていますが、初めのクリスマスは人々から歓迎されていませんでした。
聖歌136番に「御かむりをもなれはすてて」と言う讃美歌があります。
「御かむりをもなれはすてて、世に下りまししに、ただの一間さえも、空けてむかうる家無し。
きみよ、この心にキタリ、住みたまえ」神の子がその立場をかなぐり捨ててこの世界に来られたにも拘わらず、誕生の際にはただの一間さえも用意しなかったという、ある意味悲しい歌です。

このように救い主がこの世界に来てくださったにもかかわらず人々の反応は冷たいものでした。しかしこの時にも、イエスをメシヤと信じて歓迎する信仰の人達がいました。例えば、羊飼いの人々、東方の博士たち。彼らはメシヤなるイエスをこの目で見て信じて喜びました。

そして今を生きる私たちの心にもイエスをメシヤ、救い主と信じる時、心の中にお迎えすることが出来ます。クリスマスメッセージ、それはイエスを私たちの心の中にお迎えすることであります。
このイエスは神の御子でありながら人を罪から救う為、人としてこの世界に来てくださり、33年の生涯を生き、神を愛し、人を愛する生き方を通して人本来の生き方を、身をもって示してくださったのです。そして最後は私たちの罪を赦し新しい命を与える為、私たちの罪の身代わりとして十字架刑を受け、死んで葬られ、三日目に栄光の体をもってよみがえりました。今天にお帰りになり、私たちのためにとりなしてくださっています。そしてこの十字架のみわざを信じ、受け入れた人に、神の聖霊が心の内に住んでくださる。これこそクリスマスの意味するところであります。

2,人知をはるかに越えたキリストの愛を求めて。
キリストの愛は人間の考えをはるかに越えた大きなものです。そしてキリスト者が常に求め、願うものは愛に生きる事です。どれだけできるかどうかは関係ありませんが、キリストの愛は自分中心で奪い取るものではなく、人のために自分を犠牲にしても尚喜んで人に尽くせる愛です。
そこには見返りを期待しない。見返りが無くても喜んで隣人のために生きる行動が伴います。
こう考えて行くと私たちができる事はほんとに小さなことしかですが、それであっても神に愛されている者として、この神の愛に基礎をおいて生きる事が私たちの基本とする事です。

これを積み重ねていくと18節のキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを理解する力が増えて来るのです。結果として、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることが出来ます様に。別の言葉でいうと、人間の知識など到底及ばないキリストの愛を知ることが出来ます様にと言う祈りになってきます。

ではこのような大きな愛はどうしたらわかるようになるのでしょうか。それは頭の中で考えるより、私たちが飛び込んで愛を実践することです。そして実践すれば、するほど、自分がいかに愚かで、愛に乏しい人間で、人を愛することが出来ない罪深い存在であると気付かされます。そのことを教えてくれるのは私たちの心の内に住んでくださる聖霊です。

でも自分が罪み深い人間であると気が付いただけでは成長しません。そこからどう変わっていくか。それはやはりキリストの愛に生きる生活を通して、そこから自分の愚かさや足りなさを教えられ、ひたむきに前に向かって、キリストの御心に従おうとする姿勢、その時、人知をはるかに越えたキリストの愛に更に、成長しキリストの愛に一歩近づけるものと確信しています。

3,神の満ち溢れる 豊かさに迄あなた方が満たされるように
キリストに信頼してキリストの愛に生きる事をいつも求めつつ、その実践を通して、自分の足りなさや、罪深さを教えられ、聖霊によるとりなしを受け、キリストの恵みと赦しを体験していく中で神が共におられる、神の臨在の中で生きるようにされます。
この繰り返しを通して私たちは生かされ成長していくのです。聖霊の励ましを受けつつ、キリストの愛に押し出され、迫られつつ歩んでいければ幸いです。
それが次の讃美歌。227キリストの愛、我にセマレリ、映してもらえますか。天田繋先生作曲の歌です。読んでみましょう。
結び
キリストは世界に来られたばかりではなく、私たちの心の内に住んでくださる。キリストの愛を求めて、主権を主に明け渡し、お任せする。自分の力ではなく主の力に支えられて生きる。そうした生き方の中に神の満ち溢れる臨在を見ることが出来ます。
その様な生き方を求めてまいりましょう。