御霊の実①(愛・喜び・平安)

2022年12月21日

2020年7月12日
参照聖句:ガラテヤ5:16~26 
説教題:御霊の実①(愛・喜び・平安)

おはようございます。コロナから守られ共に礼拝を捧げる事が出来る事を感謝します。又、九州の豪雨被害で亡くなった方の慰めがあるように、又、被災した方の復旧が進むように祈ります。改めて日本は自然災害の多い国だという事を思い知らされます。私たちも災害に備える生活に切り替えましょう。今回は支援献金箱を置きましたので協力できる方はお願いします。又物資の支援としては、使い捨て出来るようなバスタオル、タオル等が喜ばれる事が分かりましたので集めています。余っているものがありましたら是非私達にお願いいします。

さて聖霊について22回目の学びとなります。最後の締めをもう少し時間をかけて学ぶ事に変更しました。今日のテーマは御霊の実・愛、喜び、平安についてです。
まず初めに、私達が信じている神への信仰確認をします。神は父なる神、子なる神イエス・キリスト、そして聖霊なる神、このお方が三つにして一つの神、三位一体の神を信じています。この神は創造主なる神で、世界の全てのものを作り、人を初めから人として造られた神です。しかし最初の人アダムは、神に背き罪を犯し、私達も罪の性質を受け継いでいます。が、イエス・キリストが十字架上で罪の身代わりに死に、葬られ、三日目によみがえられた。その御業を信じた者は目には見えませんが、キリストと一つにされ新しい命を受けたのです。これを聖書で救いと言います。

救いの保証は聖霊なる神が、私たちの内に住んで下さることです。更に、聖霊が私たちの内で活発に、自由に働かれ事を聖霊の満たしと言います。これがキリスト者の生き方を決定するカギとなります。今日の聖書個所でいうと16節、25節の御霊によって歩みなさいという言葉は大切です。読んでみましょう。
これは聖霊の力と恵みを十分受けながら生きる事です。その時、人は聖霊に満たされ、自由にのびのびとした行動をとることが出来、その人らしい生きた信仰生活となります。何故か?御霊によって歩んだ結果、御霊の実が結ばれているからです。その実は22~23です。
 
前回は御霊の実の最初に出てくる愛について学びました。今日は愛も含めて、喜び、平安について考えます。ここでは御霊の実が9つ出てきますが、実という言葉は単数形なので一つです。ぶどうの房をイメージすると分かりやすいですね。一つの房に沢山の実を付けている姿です。これと同じように御霊によって歩む事を通して、御霊がバランスよく働き、良い動機の元に、良い業が行動として現れてきます。形となって実が結ばれます。それが9つありますが、3区分すると分かりやすいですね。愛、喜び、平安は神との関係からの実、寛容、親切、柔和は他者との関係に於ける実、誠実、柔和、自制は自分自身に関しての実という事になります。
①愛 
前回も言いましたが、この愛は恋愛という意味の愛ではありません。またお互いが良い状態の時は仲良しで、欠点が見えてくると仲が悪くなるようなものでもありません。ギリシャ語ではアガペイという言葉で、無条件、無償の愛、見返りを期待しないという意味の愛です。創造主なる神が人を思う気持ち、人に対する一方的な愛です。親が子を思う愛もこの愛に近いですね。
別の言葉では神が人となられたイエス・キリストが人を愛し、人の罪を赦す為に十字架に掛かって身代わりの死を遂げて下さった無条件の愛です。
この愛を受けた故に、私たちは人を愛する事が出来ます。この愛は自分の力でなく聖霊の力により、愛の業となって現れます。勿論完ぺきではありませんが、日々の信仰生活を通して、少しずつ、成長し大きくなります。具体的内容は家族、教会の兄弟姉妹、友人、知人、職場、地域の方等、身近な人に対して愛を示すことです。どのような形で大きくしていくかは私たちの責任です。
②喜びとは
喜び、歓喜(かんき)ギリシャ語でカラ。これもイエスをメシヤと信じて救いを受けた結果受けるものです。私が48年前に救いを受けた時に飛び上がって喜ぶような感情を持ったことを今でも覚えています。聖霊が内に住んで下さったときですね。自然と喜びが沸きあがります。

皆さんいかがですか?救いを受けて、下を向いていますか?悲しんでいますか?そうではありません。この喜びは人生の試練や苦しみの時に失われるものではありません。この喜びは聖霊によって与えられ、生涯にわたって変わりません。イエス様が死から命へと変えてくれたのですから。それ故、私達は主を喜び、生かされている事を喜び礼拝して生きるのです。そして、この喜びの輪を広げていく事です。
③平安とは 
ギリシャ語でエイレイネ、日本語では平安、平和、安全、融和、和睦という意味があります。これもキリストをメシヤと信じて罪赦され神の子とされた結果です。神と和解したので、私たちの心には神からくる平和、平安があります。これはこの世の平安ではなく、キリストからくる平安です。健康である、優しい家族がいる、安定した収入があり経済的に恵まれている。だから平安。これは素晴らしいことです。
でもキリストが与えて下さった平安は御霊の実として、救を受けた結果、どんなに厳しい状況に追い込まれても変わらない平安がある。この平安をもって隣人と関わり、生き方を通してキリストを証してまいりましょう。

適用
ある人はコロナが怖くて感染していないのに不安で心配ばかりして体重が10キロ痩せたそうです。10キロも痩せるなんで私にしたらうらやましい限りですが、その方は平安なるお方を知らないので、不安でたまらなかったのでしょう。
しかし、私たちにはどんな時にも変わらない御霊からくる平安を与えられています。コロナで心配しすぎて痩せる事は有りますか?今こそキリスト信仰による御霊の実に価値がある事を思い出してまいりましょう。

結び
今、日本は新型コロナで混乱しています。このような時こそ、慌てず、コロナに感染しないように、あるいは人からうつされる事が無い様に十分気を付けながら、キリスト者に与えられている特権、御霊の実としての愛、喜び、平安を益々大きく育てながら歩んでまいりましょう。