聖霊の満たしとは 

2022年12月20日

2020年5月17日
参照聖句:エペソ5:15~18
説教題:聖霊の満たしとは 

おはようございます。私は先週3ヶ月ぶりに床屋さんに行き頭がさっぱりしました。やっと少し日常に戻った感じがします。
今日もコロナ感染対策礼拝になりますが皆さん、一週間お疲れ様でした。またホームページを通して共に礼拝を捧げているあなたも一週間お疲れ様でした。今迄と同じような生活が出来なくなって気疲れする事が多いと思いますが、様々な形で礼拝を捧げる恵みにあずかり感謝します。

さて今日は聖霊についての学びですが、何回目でしょうか?そうです。15回目になりました。テーマは聖霊の満たしについてです。いよいよ大詰めの所まで来て残りわずかですが、もう少し辛抱して共に学んでまいりましょう。
前回は聖霊のバプテスマについて考えてきました。覚えていますか?そうです。イエスをメシヤと信じた人は、救いの結果、目に見えない超自然によってキリストと一体とされます。当然のことですが、この時からキリストの新しい命を受け継ぎ喜びや平安、寛容、隣人愛が育ってきます。そして徐々にキリストと性質が似てようになります。これを聖化の歩みと言いますね。

ここ迄が前回学んできたことですが、この聖霊のバプテスマは別の言い方があります。これも覚えておく助けになります。考えてみましょう?どのような言い方があるでしょうか?はい、新しく生まれる。新生する。聖霊が内住する。御霊の内住、聖霊によって証印を押される。いずれもすべて聖霊によってバプテスマされ、キリストと一つにされる事ですから覚えておいてください。

ここで質問ですが、イエスを信じて救いを受けた結果、聖霊によってキリストと一体にされますが、これは年数がたつと効力が減って無くなるのですか?
あるいは一定の年数がたつともう一度イエスを信じ直さないとイエス様に捨てられてしまうのですか?また救いは電池切れして無くなることがあるのでしょうか?

そうではありませんね。安心してください。一度救われて、聖霊のバプテスマを受けた人の救いは一生なくなりません。それ故、水のバプテスマや聖霊のバプテスマは二回、三回と受け直す必要はありません。

ところが今日のテーマである聖霊の満たしになると話は別で、満たされる時と満たされていない時があります。読みます。エペソ5:15~18。この書物は使徒パウロがエペソの教会に書き送った手紙です。前半3章までが教理的な部分、4章から実際生活の部分です。今日の箇所は実際生活を如何に生きるかというところがポイントです。

15:キリスト者としての自分の生き方を注意深く考えて賢く行動しなさいと勧めています。分別をもって生きよという勧めですね。愚かな生き方はしないようにということです。

16:今の時を最大限活用しなさい。例えば、コロナ時代の中で私たちはどのように生きるべきかという適用も出来ます。コロナについて多方面から学び、感染しないように工夫した生活をし、
尚且つ、キリスト者としての生き方を総点検、考え直して生きる時代になりました。
17:愚かにならないでとは、ぼんやりとして何も考えないような生き方にならないようにということです。ボーっとしているとチコちゃんに叱られるというよりも、これこそが聖書が勧めるキリスト者の生き方なのです。常に世の中の動きを常に知ることが必要です。特に政治や経済についても理解を深める必要があります。また自分の国の歴史を知ることも必要です。例えば江戸幕末から現代までの歴史は重要です。

18:ここがポイントです。ぶどう酒に酔ってはいけない。酔いしれるな。そこには放蕩があるから。放蕩とは、やるべきことをしないで、酒や遊びにうつつを抜かし自分のやりたい放題をして身を亡ぼすことです。酒に酔うと、頭と体の全部がアルコールの影響下に支配され正しい判断が出来なくなってしまいます。飲酒運転、暴力、犯罪の元になります。適度にアルコールを飲むことを聖書は禁止していませんが、酔っぱらいは罪というのが聖書の基準です。

これと対比してパウロは信徒に対して御霊に満たされよと命じています。厳密には聖霊に満たされ続けなさいと言う勧めです。みたされるとは、一杯にする。十分になる。完成するという意味があります。そうすると聖霊に満たされよとは、キリスト者の内に聖霊が十分に働かれる状態になるような勧めを指しています。別の言い方では聖霊の考え方に支配された生き方をしなさいという事になります。
聖霊のバプテスマは一回きりの体験、また救いは一回きり体験ですが、聖霊の満たしは私達が常に求めていくべきものです。継続して聖霊に満たされなさいと言うのが聖書の勧めです。

何故、このような命令があるか、それは私達がキリストに従う心や生活でないと聖霊が十分に働かなくなり、活躍できなくなります。その結果、喜びがない。妬みが出て来る。人を裁いてばかり。聖書を読みたくない。喧嘩ばかりするようになる。これは聖霊に満たされていないから起こるのです。この辺の話についてあなたはどう思いますか?こんな経験はありますか?いつもですか?
私達がキリスト者として成長するために常に聖霊に満たされる事を求めていく事は極めて大切なポイントです。その責任は我々の側にありますから。
では聖霊の満たしについて書かれている箇所を一部確認してみましょうか。
引用は新約のみにします。使徒2:4・4:8  Ⅰペテロ 4:31

次に聖霊の満たされた結果、人はどう変わるか。
エペソ4:13~16
信仰的にも、人間としても成長していきます。聖化の歩みです。こういうキリスト者を目指していきたいですね。主イエスに似た者とされる。そうすると人が関心をもってあなたの周りに集まりだす。伝道にもつながり救いに導かれるという結果が生み出されます。
逆のパターンは人間的な努力や頑張りで信仰生活をする人です。信仰生活が律法的、形式的になり、だんだんと心が疲れてきます。周りに人は寄り付かなくなるのです。いつも裁かれているようでつまらないからです。でも意外と日本人キリスト者はこのタイプが多いです。

結び
以上ですが、聖書が勧める聖霊に満たされた生活を求めてまいりましょう。ここがキリスト者の生き方のカギになります。今日はここ迄です、来週以降は、どうしたら聖霊に満たされるようになるか、満たされた結果はどうなるかという事を話します。お祈りしましょう