教会時代に於ける聖霊の働きとは 

2022年12月20日

2020年4月5日
参照聖句:ヨハネ16:7~11
説教題:教会時代に於ける聖霊の働きとは 

おはようございます。今日はいつもの教会の皆さんがいない中でのメッセージになります。無会衆礼拝という事ですね。これから30分の時間を頂いて聖書のみ言葉から共に主を礼拝してまいりましょう。今週はキリストの最後の一週間を覚える受難週となります。心静かに主を見上げて歩んでまいりましょう。そしてまた私たちの本庄児玉郡市にも広がってきたコロナウイルスから守られて、これ以上広がる事の無い様に祈りたいと思います。

さて今日は聖霊について10回目の学びになります。今迄学んだ事を振り返ってみますと、まず聖霊は人格(知性、感情、意志)を持つ神である事、聖霊は父なる神、子なる神イエス・キリストと全く同格な神である事、続いて旧約聖書に於ける聖霊の働き、キリストの地上生涯に於ける聖霊の働きについて考え、今日は、ペンテコステ以降の教会時代に於ける聖霊の働きに就いてです。これは今の時代に於ける聖霊の働きという事にもなります。

最初に質問ですが、私達は神に祈る時に何といって祈り始めますか?そうです。天の父なる神様と呼びかけます。天とは宇宙のはるか彼方というよりは、神が臨在する場所を指しています。今父なる神は天におられます。同時に神は遍在の神でありますので今ここにもおられる方です。

次にイエス様は今、どこにおられるかというと、そうです。天の父なる神の右の座にいるわけです。右の座とは権威ある所という意味です。イエス様もまた遍在の神でありますので、私達と共にここにもいて下さいます。
では聖霊様はどうか?このお方も遍在の神であるのでどこにでもいて下さいます。特に聖霊は今の時代この地上にいて下さいます。イエスが復活の後、天に帰られますが、助け主としてこの地上に送られたからです。そして今救いを受けた私達の心の内に住んで下さっているのです。これが聖霊降臨、ペンテコステの日に起こったことであります。

聖書を開きます。ヨハネ16:7~11
7:ここは、イエスが直接弟子達にいつ、どのような状況の時に語られたのでしょうか。そうです。十字架にかけられる前の日の夜、最後の晩餐の時です。自分は間もなく、この世を去りますが、それは弟子達にとって有益な事である。自分がこの世を去ることによって、助け主が来るからであると述べています。助け主とは聖霊、御霊なる神様のことです。

8:そのお方、聖霊が地上に来られ、私たちの内に住んで下さると、どんな働きをするのか?今の時代に対して、誤りを認めさせるというのです。3つの事、一つは罪について、二つ目は義について、三つめは裁きについて、この3点です。今日は罪についてだけ話します。

9:罪とは何か?勿論聖書で言う罪は、一般的に言う犯罪とは違います。物を盗む、人を傷つける、そして刑務所に入る人ということではありません。盗んだり、人を傷つけたりすることは勿論、罪ですが、それは結果の事で、聖書の罪は人が神に対してとる態度、即ち創造主なる神によってつくられた人間が、神に背を背け、無視して生きる事です。ここがポイントです。それ故イエスは彼らが私を信じないからですと述べているのです。これは神に信頼して生きないということです。
この視点で見ると人はアダムの罪の性質を受け継いでいますから、人は生まれながらにして全員罪人であるという事になり、原罪を持っているということです。これは自分に適用してみると良くわかります。創造主の前に私は良いところが何もありません。皆さんいかがですか?

この様に聖書が指摘する通り、人はアダムの罪の結果、その性質を受けつぐ者として様々な悪の行為に走ります。数え上げたらきりがありません。私の子供の頃の60年前と比べると人の悪は増大しています。振り込め詐欺などを見てもそうです。人の心が急速に悪に向かい人間が壊れているのが今の日本の姿です。
また罪は実際行動に起こさなくても、心で悪い思いを持つのです。人を許せないとか、憎しみ続ける、人を呪うとかするのです。

ヨハネ3:18読む イエスの言葉
○18:罪の中心、それは不信仰である、神の独り子を信じないので既に裁かれている立場である。
説明:19、20 読む
御子を信じない事が人間にとって最大の罪であるは聖霊の働きが無ければ、イエスを神であると信じる事は誰も出来ません。自分は、まともな人間であると思い込みをするだけです。

では具体的に私達はどう生きるべきなのでしょうか?いつも人に対して裁きのメッセージを語るのですか。そうではありません。隣人愛に生きる。隣人に聖霊が働かれる様に祈ることです。自分自身の生き方を通して聖霊が働かれるようにさせていただく事です。それが次に挙げる6つの視点です。
隣人との関わりで 具体的な生き方は
①人を尊敬する。その人は価値ある者として神に造られた人であるから尊敬する。
②信頼する。人は自分の人生を生きる為に知恵と行動を持っているから方信頼する。
③好意的に見る。隣人に対してあら捜しをしない。
④関心を持つ。人の生き方考え方に関心を持つ。存在に対して関心を持つ。
⑤最高を願う。その人が最高の結果を残せる人生となるように願う。
⑥裁かない。人には失敗はつきものなのでいちいち裁かない。
私達の信仰の歩みが、このような人間理解に立てば、聖霊に喜ばれ、聖霊は私たちの周りで自由に働かれ大きなみわざをしてくださいます。人に悔い改めの心(人生の方向転換)を起こし、人を救い、導き、平安、喜び、希望を与えて下さいます。

私達は死ぬまで不完全で、失敗だらけの人間ですから100点というわけにはいきませんが少なくても以上挙げた6つを心がけていきますと私の生き方も変わるし、回りの人の生き方も変わります。それは聖霊が働くからです。
結び
ヨハネ16:14、御霊はイエスの栄光を現わす。
今週も是非、聖霊の力を信頼して歩んでまいりましょう。そうすれば結果として、最終的に私たちに栄光があるのではなく、私達が崇められるのではなく、主イエスが崇められ主イエスに栄光が帰されるのです。