父と子と同格な聖霊は神のみわざを行う 

2022年12月20日

2020年3月1日
参照聖句:Ⅱペテロ1:16~21
説教題:父と子と同格な聖霊は神のみわざを行う 

おはようございます。今日は聖霊について5回目の学びになります。今迄聖霊の人格について学んできました。そして前回は聖霊様が父なる神、及び子なる神イエス・キリストと同格な神であることを学びました。聖書の神は父、御子、御霊の三つにして一つなる神であります。それぞれが人格を持ち役割が違いますが、聖霊なる神は、父及び御子イエスと同じく神の本質を持ち、同格の神です。今日も続けてこの視点で学びます。まず週報に書きましたので参考にしてください。今日は後半の神のみわざを行うという視点です。尚、今日から新改訳2017の聖書を使ってメッセージさせていただきます。

○聖霊は神のみわざを行う Ⅱペテロ1:18~21
この手紙は使徒であるペテロがキリスト信仰者に書き送った手紙です。内容は、ペテロ自身がこの地上に於ける人生の終わりを知り、兄弟姉妹達に自分がいなくなっても、いつもイエス・キリストを思い起こして歩んで欲しいと願って書いているのがこの箇所です。思い起こしてほしいという確かな根拠をペテロは2つ述べています。

1つ、16~18:やがてイエス・キリストが力と栄光をもってやがてこの地上に戻ってくる事を来臨と書いています。それは自分達がキリストの栄光の姿を見たからだと言います。これは作り話ではありません。どの場面だと思われますか?はい。イエスが変貌山で栄光の姿に変えられた時の事をペテロは思い出しているのです。この時モーセとエリヤも現れ十字架のみわざについてイエスと話していました。(マタイ17:1~8、マルコ、ルカの福音書にあります)この時に父なる神から「これは私の愛する子、私はこれを喜ぶ」という声を聞いています。この様にキリストはやがて再臨するお方であるからキリストを思い起こしつつ歩むよう勧めているのです。

2つ目、19~21:確かな預言の言葉を持っている。預言の言葉?これ何だと思いますか。そうです。主に旧約聖書の言葉です。現代に適用してみると旧新約聖書全体です。聖書は記者たちが自分の考えや思いを書いたものではありません。神から啓示を受けて、言葉を預かって書いています。ですから聖書の預言は誤りのない神の言葉なのであります。
これは今私達が手にしている日本語の聖書と同じで、書かれている内容は確かで信頼できます。

夜が明けて、明けの明星があなた方の心に昇る迄とは、イエス・キリストの再臨の時までということです。常に御ことばを学び、力を得て下さいと言ってペテロは励ましているのです。

20:但し聖書の読み方は、自分勝手な読み込みをしてはならないとペテロは指摘しています。これはどういう意味か?前後関係、文脚(コンテキスト)を理解しながら学びなさいと言っています。今の私達に対して適用するならば歴史的な背景も理解しながら読むと尚、理解が進みます。

○ペテロのこの指摘について私達がよくやるのは一つのみ言葉だけ気に入り、文脈を関係なく読んで、引用して、誤解する読み方がしばしばあります。
例えばヨハネの黙示録3:20「見よ、私は戸の外に立って、たたく。誰でも私の声を聞いて戸を開けるなら、私は彼のところに入って彼と共に食事をし、彼も私と共に食事をする。」とあります。これを勝手に自分に都合良く伝道用に用いる言葉として使う事があります。しかしよく読んでみるとわかりますが、この箇所はイエスを追いだして、聖書からかけ離れた歩みをしているラオデキヤ教会の信徒にあててイエスが言われている箇所です。ここは悔改めが前提にあって再びイエスを受け入れる様にという言葉です。
○もう一つは創世記6:1~3
ノアの時代に神の子と呼ばれた堕落した天使が人の娘を選んで結婚をし、神が立てた人間の秩序を壊し始めて、人々が乱れた生活を始めました。天地創造後約1600年でここまで堕落しました。それなのに愛と恵みの神は、人の齢は120年としようと言われました。これはどういう意味か?大洪水で滅ぼすまで120年神は裁きを忍耐して待つという神の愛の現れの期間を言っています。しかし私たちは、この120年という言葉をピックアップして勝手に、ここから人間の寿命は120才までであるという現代事情の論理を当てはめて自分勝手な解釈をしてしまいます。都合の良いことに120歳まで生きた人はいないので。なるほどと言って勝手に納得してしまうのです。でも文脈を読むとここから人の命を120年に定めたという解釈は成り立たないのです。文章の流れを無視した聖書の読み方はやめようとペテロは言っているのです。

Ⅱペテロ1:21に戻ります。20:理由を書いています。なぜなら、聖書の預言は人の思い付きで書かれたのではなく聖霊に動かされた人たちが、神から啓示を受けて書いたということです。ここでやっと聖霊の働きが出てきましたね。聖書記者たち約40人が1600年にわたり聖書を書いたのですが、すべて聖霊に動かされて書いたのです。動かされてとは、聖霊に担われ、運ばれて、恍惚状態ではなく、しっかり理性を持ちつつ聖霊に動かされて神から預かった言葉を書いたのです。これが聖書ですから神の言葉であり誤りがないのです。ここまでよろしいですか?この様に聖霊は聖書記者に働いて聖書が誤りの無い様に導いた神なのです。

○関連聖句 Ⅱテモテ3:14~
この書は使徒パウロが牧師であるテモテに充てたもので彼の人生の最後に書き送った手紙です。テモテは信仰者の家に生まれ育ちました。幼いうちから旧約聖書に親しみ成長してきました。聖書は知恵を与えキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることが出来ると述べています。

16:聖書は全て神の霊感によるもので・・・霊感とはどういう意味か?聖霊が聖書記者の内に働いて誤りが無い様に導いてくれたということです。この様に聖霊は神の一位格として大いに働いてくださっている神なのです。
結び
以上ですが、聖霊は神として働きの分野は父なる神、子なる神と違いますが、父と子と同格の神として聖書が1600年かけて完成される過程で約40人の聖書記者に関わって誤りの無い様に導いてくださった神です。こうして完成された神の言葉である聖書を私たちは今読んでいるのです。
如何でしたか?
改めて聖霊の働きによって完成された聖書を自分勝手な解釈をせず、文脈を大切にしながら学んで行くとますます知恵と力と恵みを受け、あなたの人生を確かなものにします。お祈りしましょう。内村鑑三の有名な言葉、読むべきは聖書、学ぶべきは天然(自然)、なすべきは労働、聖霊の助けを得て文脈を意識しながら聖書を読みなおしましょう。