聖霊なる神、その人格③ 

2022年12月20日

2020年2月16日
参照聖句:ヨハネ14:16.26
説教題:聖霊なる神、その人格③ 

おはようございます。今日も聖霊の人格について学んでまいります。今日は3回目になります。今迄聖霊、御霊と呼ばれるお方は、単なる活動の霊ではなく人格を持つ第3位格として人格を持つ神であることを様々な聖書箇所から確認してまいりました。人格とはご存知のように知性、感情、意志の3つを持っている事です。聖霊はこの人格の3要素を持つお方として私達に関わり、内に住み、共にいて下さいます。ですから聖霊は私たちにとってとてもありがたい存在です。

さて今日のメッセージの視点は、聖霊が人格を持つお方として他の存在者から働きかけを受けるということです。例えば、父なる神から、また御子イエスから、そして人間から働きかけを受けるというものです。週報を開くと左上にまとめてありますのでご覧ください。①は御父が御子を遣わすとありますがこれは御霊の間違いですので修正してください。

①父なる神によって遣わされる聖霊 ヨハネ14:16、26
ここはイエスが最後の晩餐の時に弟子達に語られた場面です。もう間もなく十字架に掛かり死なれます。そこでイエスは言います。「私は父にお願いします」そうすれば父はもう一人の助け主をあなた方にお与えになります。
助け主とは傍らにあって慰め、励ますお方、パラクレイトスと言います。パラリンピックのパラで「共に」ですね。聖霊は父なる神及びイエスと全く同格の神ですが、その働き、役割は違います。あくまでも時至った時、イエスが地上の生涯を終える時に、父によって遣わされるのが聖霊です。聖霊はご自分の役割をきっちりとわきまえているお方です。

②御子イエスが遣わす聖霊 ヨハネ16:7
ここも14章の続きでイエスが弟子達に語られている言葉です。「私が地上の生涯を終えて去っていかなければ助け主は来ない。しかし、行けば、私は助け主をあなた方の所に遣わします」今度ここはイエスが聖霊を遣わすと述べている所です。こうしてイエスが天に帰られた後、イエスに遣わされイエスをメシヤと信じて救いを受ける人の中に住んで、励まし、慰め、助けて下さるお方です。

③人は御霊を痛ませる イザヤ63:10 これからの対象は人です。
イザヤの預言の書はイエス誕生前700年頃の時代です。国は南北に別れ、既に来た王国は滅び、南ユダ王国も政治が安定せず、不信仰で国は乱れた時代です。
この時イザヤは未来に起こる事を預言しています。いつの事の預言だと思いますか?それはキリストが裁き主としてこの世界に再臨する時の預言ですから少なくとも2700年後に起こる預言です。キリストに反対する多くの人々は、当然ながら主の聖なる御霊が傷みを覚えるほどに反逆するのです。この様に人が神に逆らうことは御霊も痛みを覚えるのです。感情があり、他者との関わりを持つ神であります。でもこの時にキリストは再臨すると預言しています。

④悲しみ エペソ4:30
パウロはエペソ教会の信徒に対して神の聖霊を悲しませるなと書いています。細かくいうと、憂いさせてはならない、怒らせ、苦しめ、悲しませるなと述べているのです。ここではキリスト者の罪をご覧になって悲しむ聖霊の姿があります。愛に満ちた教会であっても神の聖霊を悲しませる罪を犯し続ける者もいたのです。私達に対する警告でもあります。私たちも罪を悔い改める事をしないで神の前に罪を辞めないなら当然聖霊は心の中で悲しみ、小さくなっています。
 
⑤御霊は消すな(拒むな)Ⅰテサロニケ5:19
パウロは誕生して間もないテサロニケ教会に再臨に至るまで、きちんと救い全般を教えました。ここは今の日本の教会と違いますね。日本の教会は福音的な教会でもあまり再臨の希望は語らなくなりました。だから元気がありません。ここで使徒パウロは16~18の言葉で励ましています。続いて御霊を消してはならないと警告しています。消すとは、御霊の働きを抑え込んで、人間の考え中心の教会の事です。別の言葉でいうと御霊を拒むということです。こうすると御霊に導かれるという事がないので命がない教会となってしまいます。これをパウロは消すなと強く否定しています。この様に聖霊は神ですが私達が聖霊を拒むならば聖霊は働くことが出来ません。聖霊は私たちと共に働くお方なのです。ですからいつも聖霊を歓迎して歩む信徒になりたいと思います。

⑥侮られる ヘブル10:29 最後です。
当時の人々はイエスを信じていても、主から離れ、主に逆らう事がありました。このような時には本当に救いを得ていたのか疑問が残りますが、たとえ信者であっても御霊を侮り、侮辱する事があります。それに対して厳しい裁きがあるとヘブル人への手紙の著者は警告しています。私たちも信仰の歩みの中で聖霊を軽く見て馬鹿にし、見くびる事が無いようにしましょう。このような行為に対して厳しい裁きがありますから、何をしても許されると考えないで、誠実に歩みましょう。

以上6つの視点から聖霊は他の存在者から働きかけを受けるという事を見てきました。是非私達は聖霊を拒まない生活、侮らない生き方、また悲しませない、痛ませない生き方を模索しながら歩んでいければと願っています。聖霊は神の第三位格を持ち、父なる神、子なる神イエス・キリストと全く同格なるお方なので、決して劣っているとか、格下であるという事は有りません。ただ役割、働きが異なるということです。そして父なる神と、子なる神によって遣わされて働いてくださるお方です。今日も信じた私たちのうちに働き、共にいて励まし、慰めて下さる神なのです。
結び
3回に亘って聖霊の人格について学んできました。どうぞいつも聖霊を歓迎し、聖霊が共に住んでいてくださることを感謝し、そして御霊に好まれるようなキリスト者とさせていただこうではありませんか。
最後に一か所。ヨハネ3:3、ここはイエスがニコデモとの会話の中で語られた言葉です。風はその思いのままに吹く。風は吹きたいところに吹く。この風こそ聖霊です。聖霊は主権をもっていて好むところがあります。どこだと思いますか?思いのままに吹き、吹きたいところに吹くとは、それは主の前に正直に、誠実に主に信頼して生きる人を聖霊は好んで、そこに聖霊の風は吹くということです。これだけ奉仕をしたから聖霊の風は吹くとかは有りません。聖霊は自分の力で頑張る生き方をする人は好みません。聖霊が入り込んで風が吹く余地がないからです。私もあなたも、主の前に正直、従順にされて、もっともっと聖霊に好まれて、聖霊の風が吹きまくる信徒にさせていただきましょう。次回は「聖霊は父なる神、子なる神と同格の神」であるという視点から学びます。ご期待ください。