聖霊なる神、その人格②

2022年12月20日

2020年2月9日
参照聖句:ガラテヤ5:18
説教題:聖霊なる神、その人格② 

おはようございます。今日も聖書から聖霊の人格についてその2回目と題して学んでまいります。
この人を見よというテーマでイエス・キリストの誕生から地上の生涯、十字架の死と復活、昇天、とりなし、携挙、再臨、千年王国、新天新地を聖書から学んで全体的な流れを学んでまいりましたが、キリストとの関わりの中で私たちはどのように生きるべきかを考えさせられます。特に主のみこころを生きるにはどうすればよいか。
私がたどり着いた最終結論は、自分の思いや願い優先ではなく聖霊に導かれ、励まされて生きるという事でした。そこで聖霊とはどのようなお方であるかを改めて皆さんと共に学ぶ必要が有ると思います。また聖霊というお方についてはあまり多くの時間を使って学んでこなかった面もありますのでこの辺を踏まえつつ聖霊なる神について全般を皆さんと共に学んで行きます。

今日は二回目ですが聖霊なる神の人格について続けて学びます。おさらいですが、聖霊は人格の3要素であるとは知性、感情、意志を持っています。知性は物事を理解し、考え、善悪を判断する能力の事。感情は、喜び、悲しみ、怒るようなことです。意志は物事を考えてするか、しないかを判断する事です。聖霊は私たちの目で見ることは出来ませんが、イエス様と同じように人格を持ち私達に対して関わり、働きかけをしてくださるお方です。それでは見ていきましょう。

①信者を導く。ガラテヤ5:16~18
前回は4つ、覚えていますか?誤りを認めさせるお方、教えるお方、とりなすお方、新しく生まれさせるお方である事を確認しました。今日は3つです。一つ目、聖霊は導いてくださるお方です。当時のガラテヤ地方にある諸教会はイエスの福音から離れて他の福音に移ってしまい、教会の中身が変わってしまいました。そこで使徒パウロはこれを憂いてガラテヤ人への手紙を書きました。

16:この手紙の中でパウロは御霊によって歩みなさいと命じています。この意味は御霊に導かれて、支配されて、御霊の考えに応答して信仰の歩みをしなさいということです。そうすれば肉の欲望、願いを満足するようなことは決してないと述べています。肉の欲とは神を離れた場合の人間性の事。

17節:その理由を語っています。御霊と肉(神を離れた場合の人間性)はいつも逆らっている。これはその通りですね。私達は体験的に知っています。人は生まれながらの性質は神の思いから離れた心で生きやすいので、いつもその性質との戦いですね。これは別の視点から見ると御霊が住んで、救いを受けている証拠です。
18:しかし、御霊に相談し、祈り、助けを求めて、その御霊に指導されながら生きるならば、律法的な縛られたところからは解放されて自由にされると言っています。
※この様に御霊は人格を持っているので私達を導き、指導してくださるのです。しかも聖霊は私達をよくご存じで無理なく、導き、最大限尊重してくださる。ここは聖霊の知性と意志の部分ですね。

②奉仕に任命する。使徒13:1~3
この箇所はパウロとバルナバがシリヤのアンテオケ教会から第一次伝道旅行に遣わされる場面です。一同が礼拝し、断食していると聖霊が語られた場面です。内容は「バルナバとサウロを私のために聖別して私が召した任務に就かせなさい」というものでした。働きに相応しい人を任命して働きに就かせるのです。彼らは聖霊の確かなその声に従ってバルナバとパウロを伝道旅行に送り出したのです。これが第一次伝道旅行です。
※私も妻もこの経験をしました。10年間の祈りを通して主のみこころを確信して益子に移り住んで伝道を始めました。その時、御霊の声は聴きませんでしたが、あらゆる状況が開かれていった事を思い出します。ここも知性と意志の部分です。
※皆さんも聖霊の声なき声を聞いて前に進む経験をされていると思います。是非大切な局面に来た時にはしっかり祈って主の御声を聞いて前に進む訓練を積んでいきましょう。

③悲しむ エペソ4:30
ここは聖霊の感情の部分です。ここも体験的に理解できるところです。聖霊は私たちの内に住んで下さっているので理解できますが、神の心から遠く離れた生活をして御心に反する生き方をしている時には喜びの感情は沸いてきません。それは聖霊なる神が悲しんでいるからです。理由は聖霊が心の中で小さくなって自由に働けないからです。また自分の心、考えを最優先して生きる時に空回りして信仰の喜びが沸いてきません。神の聖霊を悲しませない歩みをしていければ幸です。

逆にイエスを見上げてイエスに信頼してみ心の中にある時にはどんなに厳しい環境にあっても平安があり、喜びが沸いてきます。聖霊はこの様に私たちの信仰の在り方と密接にかかわっています。以上3つです。

適用
聖霊に導かれつつ行動する信者 使徒15:28
具体的にどう生きればよいか、これについては使徒15:28が参考になります。ここはキリスト信仰が広がりを持つ中で、ある人々がユダヤからパウロたちのところに来て、キリストを信じるだけでは駄目だ。きちんとモーセの律法に従って割礼を受け受けなければ救われないと教えていました。この危険な教えを聞いたパウロは猛反論して、エルサレムに上り話し合いをします。これが有名な第一回エルサレム教会会議です。
確認された文書の内容を使徒達から選ばれた人が手紙を携えてアンテオケに来て伝えられました。それは血と、絞め殺したものと、不品行をさけること。これが23~29の手紙の内容です。28に注目。エルサレムの使徒達と長老たちが決めた時に、聖霊と私達と書かれています。ということは使徒達がよく考えて自分達の考えを作り出したのではなく聖霊様によく相談して導かれて結論を出したということです。彼らは聖霊と仲良しであり、聖霊に好まれていたのです。私たち聖霊と仲良しでありたいと願います。

結び
2回に亘り聖霊は知性、感情、意志を持つお方であることを学びました。是非この聖霊なる神に信頼して、助けられ、導きを受けて歩んでまいりましょう。そうすればクリスチャン生活はマンネリ化せず、自分たちにふさわしい確かな歩みをすることが出来ます。お祈りいたしましょう。