この人を見よ⑧ 

2022年12月20日

2020年1月12日
参照聖句:ヨハネの黙示録20:1~10
説教題:この人を見よ⑧ 

おはようございます。今日は「この人を見よ」シリーズの8回目になります。12月第一週から7回に亘り、イエスの誕生、幼少時代、30才からの公生涯、十字架上の死と復活、昇天、大祭司としてのとりなし、そしてこれから起こることとして、予告なしに起こる空中再臨(携挙)7年間の大患難時代、キリストの地上再臨迄の話をしました。再臨の後、何がありますか。そうです。キリストによる世界統治が始まります。これは新天新地の前段階の千年王国です。最終的には永遠の新しい天と新しい地へと続きます。ここが私たちのゴールですね。
私達は聖書が示すこの大きな流れを理解することにより、空を打つ様な信仰ではなく、的をえた信仰生活をしていけます。そこで今日の話は新天新地の前段階として、この地上でキリストが王となって世界を治める千年王国についてです。「この人を見よ」シリーズ⑧になります。

キリストの再臨の後、反キリストとそれに従う軍勢はイスラエルに集結しますが、キリストのよってたちどころに滅ぼされます。これが一連のハルマゲドンの戦いでヨハネの黙示録19:11~21にあります。反キリストと偽預言者は捕えられ、生きたまま最終的な苦しみの場所、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれ、永遠に苦しみます。
続いてこの地上では、新しい秩序のもとに回復がなされ、キリストによる世界統治が始まります。この期間はヨハネ黙示録で初めて啓示され千年間続きます。
○1~3:悪魔の縛り
1:底知れぬところ(ギリシャ語でアブソス)悪魔、悪霊どもが一定期間閉じ込められる場所、最終的な裁きの場所である硫黄の燃える火の池ではありません。み使いがここの鍵と鎖を持っているとは支配権を持つことです。そのみ使いをヨハネは見たのです。
2:千年の間縛って底知れるところ(アブソス)に千年間閉じ込めるのです。最終的な裁きではありませんが、これにより地上の千年王国は悪魔の影響力が無いので平和な時代となります。但しこの時代に生まれる人は罪を持っているので、罪の性質は残ります。
悪魔の正体を示す言葉が詳しいですね。悪魔:敵対するもの。サタン:訴えるもの、糾弾するもの、竜:凶暴な性質、古い蛇:創世記3章に登場するエバを誘惑する蛇。時には光の天使の様に変装して誘いをかけます。これが悪魔の正体です。
3:キリスト再臨の後悪魔は千年間、底知れぬところ、アブソスに縛られて投げ込まれるのは、千年王国時代に生きる民を惑わせる事がない為というのが理由です。その後悪魔は解き放される。
○4~6:千年王国
4:前半の多くの座と裁きを行う権威を与えられている人は、使徒と教会時代の信徒の事であり
後半は7年間の患難時代に殉教死した人や迫害の中にあっても信仰を守り通した人の事です。この人々はキリストと共に千年の間王となった、すなわち統治した。あるいは支配したという意味です。
因みに私たちはこの時にどうなっていると思いますか?はい、キリストによって携挙され、キリストと共に一緒にいるので、私たちも栄光の体で共に再臨し、栄光の体に変えられたまま千年王国の時にキリストと共に支配する立場になります。
5:その他の死者は、千年の終わるまでは生き返らなかったとは救いを受けていない人に向けて語られている言葉で、千年が終わった後、全ての不信者は復活します。それが11節以降にある白き御座の裁きに立つための復活で、栄光の体に変わるのではなく、行いに応じて最終的な神の裁き、日の池に投げ込まれます。これが罪人の第二の死です。因みに第一の死は肉体と魂の分離です。
5後半:これが第一の復活であるとは、前の文章の続きではなく、6章に掛かる言葉なので注意してください。5節の続きで読むとここの意味が全然分からなくなってしまいます。
6:ここは5節後半の続きで、4節にある義とされた者の復活を第一の復活に与る者は幸いである。
その人々には第二の死は何の力も持っていない。これはどんな意味か。人は誰でもこの世に生を受けたら例外なく死にます。死とは肉体と霊魂の分離です。体は土に帰りますが、霊は栄光の体に変わり神のもとに帰ります。
それに対して救いを受けていなければ、すなわち罪人はやがて復活して白き御座の前に前に立つ、それが第二の死で、救いを受けている人には何の力も持っていないのです。何故ならキリストと共に千年の間王国を治めるからである。
因みに千年王国という言葉は黙示録で初め出てくる言葉なので信用できないという人がいます。でも旧約聖書には千年という言葉はありませんが、このメシヤ的王国の様子はたびたび出てきます。旧約時代の人々は当時の人々は、この神の国がずっと続くと考えていました。では旧約聖書にはどのように紹介されているか。例えば有名なのはイザヤ書2:4、11:3~5、35:1~2にあります。開いてみましょう。また詩篇の42篇から始まる第二巻以降には千年王国の様子がいたるところに出てまいります。例えば46:8、以降を見ましょう。67篇。97篇。98篇。この様にいたるところに千年王国の描写が出てきますから皆さん注意深く見て下さい。
○7~10千年王国の終わり
やがて千年が終わり悪魔は解き放され、救いを受けていない人々をそそのかして、エルサレムを取り囲みますが、天からの火によって焼けつくされます。最終的に悪魔はついに火と硫黄の池に投げ込まれ永遠に苦しみます。ここに悪魔の最終的な裁きがあります。反キリストと偽預言者も千年前に投げ込まれて苦しんでいます。悪魔が入る事により悪の三位一体の役者がそろう事になります。

○白き御座の裁き:11節にはこの天地が消え失せることが書かれています。12節以降、罪人のよみがえり、最終的な裁きが始まります。ここにはキリスト者もたつことになるのでしょうか?いいえ立ちませんのでご安心を。これは信者に対する裁きではなく、不信者が甦って白き御座におられるキリストの前に出て数々の書、いのちの書が開かれ、名前が書かれていない者は、おのおの自分の行いに応じて裁かれます。最終的に火の池に投げ込まれる、これが不信者の第二の死です。
続いて21章からは、以前の天と地とは全く違う、新しい天と新しい地が天から下ってくる場面であります。次回で「この人を見よ」シリーズは最終回になります。
適用
イエス誕生から千年王国迄を8回に亘って学んできましたが、どのような感想を持ちましたでしょうか。是非大きな流れをつかんで、聖書理解の助けにしていただければ幸いです。そして今の時代はイエス・キリストがいつ空中に来られてもおかしくない時であることを認識して、主イエスが救い主として来られる事を待ち望む信仰者でありたいと願っています。
結び
Ⅰヨハネ3:2~3、キリストに望みを置く者はキリストに似た者とされる。聖さにおいて同じように清められる。
主イエスよ、来てください。マラナ・タと再臨信仰をもって生きるならばあなたのクリスチャン人生は大きく変わります。そして、本庄キリスト教会に一人でも二人でも再臨信仰者が増えると私たちの教会はもっと成長して、イエスに似た者へと変えられていきます。今こそ再臨信仰に目覚めて日々の歩みをさせていただきましょう。