この人を見よ⑦

2022年12月20日

2020年1月5日
参照聖句:Ⅰコリント15:50~58
説教題:この人を見よ⑦ 

あけましておめでとうございます。今年初めての礼拝を感謝します。また今日は聖餐式を通してイエスの十字架のみわざと復活を覚える事が出来感謝です。そしてキリストにあって私たちは一つ体とされている事も感謝です。

前回キリストの昇天の話の時に言い忘れた事がありましたので加えます。それはイエス・キリストのみが昇天したのであって、私達人間は当てはまらないと申しました。人は必ず死にますから天に召される召天であるとことでした。でも聖書には死なないで、生きたまま天に帰った人がいます。誰でしょうか?そうです。創世記5:24にあるエノクです。彼は神と共に歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなったと有ります。もう一人は有名な預言者エリヤです。Ⅱ列王2:11エリヤは竜巻に乗って天に昇って行った。この様に二つの例外があります。

さて12月第一週から先週までイエスの誕生から十字架上の死と復活、昇天、大祭司としてのとりなし、再臨までの話をしました。キリストの地上再臨は7年間の患難時代後にあります。マタイ24章を見ると、様々な前触れがありますからいつごろ起こるのかは大体わかります。また人の目で見る事が出来ます。世界の裁き主として来るのが地上再臨です。
今日はこのキリストの再臨でも空中再臨又は携挙と呼ばれるものについて話します。これは瞬間的に起こるので人の目に見えません。また前触れもなく突然起こります。キリストが空中に来て、キリスト者を天に携え挙げてくれるもの、それ故、携挙と言います。私達は聖書を読むときにキリストの地上再臨と空中再臨は別物であることをしっかり頭に入れて読む必要があります。これは文章の流れを確認しながら読めばわかります。決して難しい事ではありません。

皆さんに資料を渡してあります。みて下さいますか。これはこれから未来に起こることです。現在、未来、永遠とあります。今は生みの苦しみの初めの時ですが、やがて世界規模の大患難時代があります。7年間と言われています。最後にキリストが裁き主として世界に戻る。これをキリストの再臨と言います。後にキリストによる世界統治、千年王国があり、後に永遠の新天新地へと続きます。

今日の話は一番手前のキリストの空中再臨、携挙と呼ばれるものです。これはキリスト者を救うために来られるので、希望であり喜びです。人の目には見えませんがキリストが空中まで来られて、キリスト者をキリストのもとに携え挙げることで、もし私達が生きている時に起これば、その時に私たちも一挙に天に上げられ栄光の体に変えられます。但し携挙は前触れなくいつ起こってもおかしくありません。極端な話、今日かもしれませんし、明日かもしれないのです。携挙がいつ起こるかには解釈上3つの立場があります。資料を見て下さい。今回分かりやすくまとめました。説明する。私は聖書を読んで理解しているのは患難期前携挙説の立場です。ですからその立場で話しますのでご理解ください。そしてこの携挙について書かれてあるのが、今日の聖書箇所です。

50:血肉のこの体は、神の国を相続できない。朽ちる者は朽ちないものを相続できないということです。私達は今の体では天の御国に移れません。
51:奥義の意味は「前の時代には知らされてなかった神の真理が今現わされる」ということです。眠るのではなく変えられるのです。
52:終わりのラッパとともに、たちまち(アトム)これ以上にない短い時間で、一瞬とは、まばたきする時間ということです。信者は朽ちる体だから朽ちない体に変えられるのです。これがキリストの空中再臨の時に実現するのです。すごいことが起きるのです。

58:少し飛ばして58節に行きます。だから信仰に立って主のみわざに励みなさいとパウロは信徒を励ましています。私たちの労苦が主にあって無駄な事は何一つありません。よって主の前に誠実に生きる事が望まれます。

使徒パウロは別の箇所、Ⅰコリント16:22で「主よ、来てください」マラナ・タと言っているのは空中再臨を待ち臨みつつ発言しています。又、ピリピ3:20で「私たちの国籍は天にあります。私達はそこから私たちの救い主、主イエス・キリストが来られるのを熱心に待っています」これも地上再臨ではなく、空中再臨を待ち望む信仰の言葉です。

他に一か所聖書を引用します。Ⅰテサロニケ4:16~18。特に17節。たちまち彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。雲の中にとは神の栄光の中ということです。いつまでも主と共にいる。携挙の時から、私達はキリストと離れる事無く、いつも一緒でキリストの地上再臨の時には私たちも一緒に地上に戻ってくるのです。 18節ではこの希望をもって励まし合いなさいとパウロは勧めているのです。
以上が空中再臨・携挙についての希望の事です。この他にも新約聖書の至る箇所に空中再臨の聖句が、ちりばめられていますので、皆さん捜してみて下さい。そして私にも教えて下さい。
適用
空中再臨についておさらいしてみましょう。
○キリストの空中再臨はどんな風にして起こるか:、たちまち、一瞬の内に起こります。人の目に見えない速さです。
○いつ起こるか:これは前触れが無く突然起こります。いつでも起こり得るのです。この為にも普通に主イエスにより頼みながら、イエス様がいつ来られても良い様に、無理なく信仰生活をしていく必要があります。
○空中再臨はあなたにとってどういう事か。これは全信徒にとって希望、喜び、励まし、慰めです。キリスト者全員にとって最大の喜びです。もし私たちにとって携挙が待ち望むものでなかったら、我々の信仰はどこかずれていて、眠った信仰に成り下がってしまいます。そして初代教会信徒たちの信仰とは違うということです。もしそうであるならこの辺が私達キリスト教会に力がない要因だと思います。
結び
空中再臨はいつでも起こり得ます、今日かもしれない、明日かもしれない。そしてキリスト者にとっては最大の希望です。地上再臨は患難時代に全世界への裁きとしてキリストが来られます。そこが大きな違いです。
今日こそ、「この人を見よ」という通りに再臨信仰に燃やされ眠った信仰者でなくいつも心の目を覚ましてキリストをお迎え出来るよう待ち望む信仰者とされるよう願いつつ歩んでまいりましょう。そして来週はいよいよ千年王国になります。