人生の方向転換 

2022年12月23日

2019年7月21日
説教題:人生の方向転換
松井田コーヒーアワー 

皆さんこんにちは。埼玉県本庄市でキリスト教会の牧師をしております吉田孝と申します。どうぞよろしくお願いします。今日はコーヒーアワーにお招きいただきまして感謝します。今回松井田キリスト集会に招かれるにあたって、松井田と何かつながりがあるかなと思って考えてみました。須藤さんご夫妻とは40年位前から主にある兄弟姉妹としてお付き合いがあり事が一つ、あと一つあるかなと思って考えていたところ、ありました!そうです。おぎのやの「峠の釜飯」です。私の場合弁当の中身ではなく器です。あの器はどこで作られているか分かりますか。そうです。栃木県益子町の塚本製陶所で造られています。私は何回も工場を見ています。実は私は22年間益子町に住んで教会のお仕事をしていました。身近なところで意外なつながりがあったことを感謝します。

さて今日はコーヒーを飲みながら人生について聖書から考えたり語り合ったり出来る事は幸いです。このような集会は初めてという方いますか。何回か来られている方は?それぞれ聖書に関心がある方ですので今日私は自分が聖書を読み始めたころのことから話し始めたいと思います。題は「人生の方向転換」になります。

1、10代の頃の話です。
私は今年61歳になりました。同じ年代の方はご存知だと思いますが少年時代は東京オリンピックの頃で51年前のことです。巨人、大鵬、卵焼きの言葉が流行った時代です。夕方暗くなるまで外で遊んで成長しました。中学で軟式野球、高校で硬式野球を始めましたが、高3年夏の大会前に、左肩を壊し投手生命を失いかけて不本意な結果となり、目標をなくしてしまいました。当時の心境で言うと人生の目的を失ってしまったのです。一方心の中では常に自分は何の為に生きるのか、自分はいったい何者か、死んだらどうなるか、という人生の根本課題をよく考えたりしていましたが結論は見出せないままでした。ただ将来は東京で硬式野球部のある会社に就職して野球をしながら会社員として生きる人生設計を立てていましたのでこの願いはかなえられました。1年間野球部に所属しましたが自分の実力が分かりきっぱりと辞める事が出来ました。

2、人生の転機を迎えた時の事を話します。
高校3年の夏の大会が終わり、一区切りついた秋にクリスチャンの友達を通して「聖書を読む会」がある事を知り、最初はからかい半分でしたが生まれて初めて聖書を読みました。ペラペラとページをめくると伝道者の書という題に心が惹かれました。読みやすそうだったからです。読むと1章2節~3節皆さんで一緒に読んでみましょう。「空の空、すべては空」とあります。空とは、全ての物事には確かなものが無いという仏教的な意味ではなく、聖書では創造主なる神に命を与えられ生かされていながら、それを信じないで生きる人の心は実に空しいと言う意味で伝道者の書の著者は語り掛けます。この言葉には自分の心の状態と同じでしたので大きな驚きでした。

続けて7章4節、読んでみますか。知恵ある者の心は、喪中の家に向き、愚かな者の心は楽しみの家に向くという聖句に心が捉えられました。真に知恵ある人は人間の死を通して人生の意味を真剣に考える事が出来るのだと知りました。愚かな者は、逆に目先の楽しみしか考えません。この頃の私は人生の目標を見出せず目先の楽しみばかり求めていたのです。この聖句は自分を指しているなあと思い知らされ聖書に親しみを持ち始めました。

更に12章1節、一緒に読みますか。あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また何の喜びもないという年月が近づく前に。この言葉には反論できませんでした。自分は偶然存在しているのではなく、創造主によって造られ命を与えられている存在なのだという事を初めて知りました。創造主なる神がおられることを知りました。
結論。12章13節、結局のところもう全てが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の
命令を守れ。これが人間にとってすべてである。創造主の存在を信じて、このお方にあって生きる事が私の生きる道なのではないかと強く考える様になりました。

3、この次の段階は(福音を信じて救いを得る)
聖書の言葉をだんだんと理解してきました。その中で友人からキリストを信じて救われる
3つのポイントを教えられました。
①人は最初から人として唯一の創造主なる神により目的を持って造られ、生かされ、愛され
ている存在である。私もその中の一人であり神に愛されている存在である。

②人はアダム以来、神に背を向け、的外れの生き方をしている。聖書でこれを罪と言う。罪
の結果人は多くの悪をなし、神に反逆している。人は罪の結果死に、罪に対して公正な神の
裁きを受ける。私もその中の一人で罪の性質は一生消えない。罪の最たるものは自己中心で
す。この事実を全ての人は消すことは出来ない。    

③創造主は人を愛している。人が罪赦され新しい人生を生きる為に、神は罪の無い神の御子
イエス・キリストをこの世に遣わした。キリストは、私の罪の身代わりとして十字架上で死
に、墓に葬られ、三日目に死人の内よりよみがえり、今も生きているお方である。このキリ
ストの十字架上の苦しみと死、葬り、復活は全て旧約聖書で預言されている。

この事実を信じたら罪の赦しと永遠の命を受け、生き方が変わる。これを聖書で救いと言います。そして救われた人は神と共に歩む新しい人生が始まる。私も信仰と恵みによりイエスを救い主と信じて救われました。暗闇から光へ、死から命へ、空しさから喜びへ人生の方向転換をしたのです。目に見えませんがキリストと連なり新しい命を受け、一つとされました。

4、キリスト者の特徴は
私は18歳の時にイエス様を信じ、救いを受け、21歳で伝道者の志を持ち、10年間準備し32歳で自給開拓伝道を始め、50歳で会社を辞めてフルタイムの伝道者になり、61歳になった今も神と隣人に仕える事が何よりの喜びです。救いは人の生き方を変えます。

①生きる意味が明確になる。
何のために生きているか分からない人生から、創造主によって命を与えられて生きる事が分かりました。そして自分に使命がある事も理解できるようになります。当然喜びと平安の生き方に変わります。あなたも創造主に愛されて生かされ、自分に出来る使命がある事を分かるようになります。私もそうでした。

②性格が丸くなる。
体形も丸くなりましたが、ここでいっているのは人間性です。イエスを信じて救われるとはイエス様と命でつながる事ですから、イエスと共に生きると性格がイエスと似てきます。愛や赦しや寛容という心が実際生活の中で少しずつ実践出来る様にされてきます。

③自分中心ではなく神と隣人の為に生きる事を願う。
自己中心から神の御心を大切にするように生き方が変わります。イエスを信じて生きる様になると徐々に、神が望んでいる事は何だろうか。又、隣人を大切に思うような生き方に価値を見出すようになるのです。これこそ聖書が一貫して進める私達の生き方です。隣人愛

あなたが今日、イエス様を救い主、キリストと信じて新しく生きる人生へ方向転換する事を願っています。罪に支配されて生きる人生ではなく、キリストからくる救い、命、平安に生きる、自分中心から隣人愛、束縛から自由にされる。このような人生への方向転換をさせていただきましょう。43年前私がイエスを救い主と信じる信仰決心して人生が変えられたようにあなたもイエスを救い主と受け入れる決心をしましょう。祈りましょう。信じた人は手を挙げてください。一緒に祈りましょう