十字架のイエス①

2022年12月21日

2019年4月14日
参照聖句:ヨハネ19:17~27
説教題:十字架のイエス①

おはようございます。今日も共に聖書からイエスキリストの十字架のみわざについて理解を深める事が出来ますことを感謝します。聖書箇所はヨハネの福音書19章17~27節です。大まかな流れは朝の9時前にイエス様が十字架を担いで刑場迄向かう場面、次に十字架につけられた場面、時間は9時に十字架にて磔にされる場面です。今日の箇所は27節迄なので十字架上で苦しまれた最初の3時間となります。28節から午後の3時近くなので合計6時間苦しまれたわけです。
17:十字架を負うイエス 18~27十字架につけられたイエス 2つに分けられます。

①17:十字架を負うイエス
イエスさまは死刑にされるゴルゴタと呼ばれている所迄自ら十字架を担いで行きました。少し前にローマの兵士による鞭打ちの刑を受け全身血だらけ、出血多量の状態、いばらの冠もかぶせられているので血だらけの状態です。十字架の横木を担いで刑場のある城壁の外ゴルゴタ迄の距離は約1.6キロメートルを歩いていきました。十字架用にたての柱は死刑場に用意されていました。フラフラ状態で1.6キロメートルを歩いていきますから体力的には限界に近かったことでしょう。途中でクレネ人シモンが無理やりに代わりをさせられます。これが朝の7時頃から9時前です。

②18~27:十字架につけられたイエス
18:いよいよゴルゴタに着くと用意されていた、縦木と横木を組み合わされ、イエス様は寝かされました。手にくぎを打たれます。ここは手首ですね。でないと体重で体が落ちてしまいます。そして足にも釘が打たれました。2人の犯罪人と一緒に十字架がたてられます。イエス様が真ん中。この時に着る物はすべて脱がされています。素っ裸という事になります。恥の極みですね。

③他の福音書から順番を理解する。7つの祈りの最初 ルカ23:33~34 
十字架にかけられて早い時間帯です。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分で何をしているのか分からないのです。」
苦しみの極みにあっても十字架上のイエスは人をとりなす為にとりなしの祈りを父なる神にささげています。これは非常に大切な言葉で、私もこのみ言葉でイエスが神であるという確信を持ちました。イエスのこの言葉は文字通り敵をも愛する神の愛ですね。

④23:イエスの着物がわけられる
イエスが十字架に磔になっている時に着物がローマの兵士たちに分けられた。上着、下着、頭を包むもの、サンダルの4つ。今と違って着物は貴重で高価なものです。その他に(下着)毛布のようなもので体を全部包めるもの。これをローマの兵士たちはくじ引きしてにします。詩篇22:18の預言の成就です。

⑤十字架上のイエスは午前中に次の言葉を発しています。26、27節
母マリヤに対して女の方そこにあなたの息子がいます。ここまでが十字架につけられたイエスのお姿です。朝9時~12時までの3時間の様子です。

このイエスの十字架の苦しみは私達とどのような関係があるのでしょうか。自分達に適用してまいりましょう
①父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、分からないのです。自分を十字架にかけた者をとりなすイエスの姿からイエスの愛を知ります。彼等とは直接的にはイエスをののしる人々に対してですが、その場面にいたら同じことをするような私達も含まれます。罪人の一人として。そして私達には人を許す力はなかなか出てきませんが、聖霊の力を受けて、人を愛する者とされてまいりたいと願っています。

②十字架の意味は
文字通り6時間苦しみ続けたイエス様。私達の罪の身代わりとなり、私達が受けるべき刑罰を神の子羊であるイエスが代わりに受けて下さっている姿が十字架刑の意味であります。

結び
十字架の意味をもう新約聖書から一度考えてみよう。
①Ⅱコリント5:21
罪を知らない方を私達の代わりに罪とされた。
②Ⅰヨハネ4:7~12
私達の罪の為に、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

もう一度イエス・キリストの十字架の意味と苦しみを覚えて歩んでまいりましょう。
そして主イエスの心を自分の心として歩んでまいりましょう。最後まで苦しみながらも十字架のみわざを成し遂げた主を見上げてまいりましょう。