ピラトによる裁判②

2022年12月21日

2019年4月7日
参照聖句:ヨハネ18:38~19:16
説教題:ピラトによる裁判②

おはようございます。今日はピラトによる裁判の2回目の場面です。しかしこの間には国主ヘロデの所に連れていかれ裁判がありました。政治裁判ですが、詳しくはルカ23章に書かれています。この後イエスはヘロデからピラトのところに送り返され有罪判決を受ける2回目の裁判が今日の聖書箇所です。
まず全体の流れを確認致しましょう。

●ピラトの側から見た流れ
38後半:ピラトはユダヤ最高議会の指導者たちがイエスに対する妬みによって死刑にしようと考えている事を見抜いていました。ピラトはイエスが彼らに告発されているような罪状は全くないことから釈放しようとしています。
39:そして彼は一つの提案をします。過ぎ越しの祭りの時には一人の人物を釈放する、習わしになっているが、あなた方がユダヤの王と言っているイエスを釈放する事にしようかという提案内容でした。ところがこの提案は裏目に出ます。ピラトの思いとは裏腹に指導者たちは強盗殺人罪で逮捕された極悪人バラバを釈放するように要求するのです。
19:4ここでもピラトは官邸の外に出てユダヤ人指導者にイエスは死刑になるような告発理由が全くないことを述べています。
6:更にここでもピラトはユダヤ人たちが言うところの告発には当たらない事を述べています。
8:ここではユダヤ人たちの言葉を聞いて恐れています。主導権はユダヤ人指導者に移っています。
12:ここでもピラトはイエスの釈放の為に努力しています。
14:朝6時ごろになると投げやりになっています。さああなた方の王です。1回目の裁判ではピラトの所に連れてこられたのは明け方とありますがこの辺の時間の整合性については良くわからない所があります。明け方を午前3時~6時ごろの時間帯と解釈すれば矛盾はしません。
16:ピラトはついにユダヤ指導者に押し切られ、イエスを十字架につける為に引き渡したのです。

ピラトとしてみればイエスの無罪は、わかっていながらも、ユダヤ人指導者の脅しに屈してしまいました。真実は何かを考えて生きるよりも、自分の生活や今の立場を失いたくない気持ちが優先したのです。でもピラトのこれからの人生は惨めな結果となっていきます。

●ユダヤ人指導者の側から見た流れ
40:巧妙にピラトの言葉を逆手にとってバラバの釈放を願います。
6:十字架につけろ。十字架につけろ。十字架につけろとは、木に掛けろという事ですから、旧約聖書の視点で見ればイエスは呪われた存在だという意味です。
7:ピラトを脅す発言。
15:十字架につけろ。ここには理性はありません。イエスにくし。一辺倒の姿勢です。
やがてユダヤ民族はローマに反抗して戦争となりますが紀元70年にエルサレムは徹底的に破壊され滅ぼされてしまいます。最後はあの有名なマサダの砦に千人近い人が立てこもり抵抗しますが、数人を除いて集団自決し滅びの道を歩みました。自分たちはさばかれても良いと発言した事に対する裁きはここで終わりました。
今日、ユダヤ、イスラエル人は神に捨てられた民族ではありません。神に愛されている神に選ばれた民族です。やがて終末の7年間の大患難時代になると144000人のイスラエル人が救いを受け迫害の中で世界宣教をしていきます。沢山の人々が信仰を持ちます。患難時代の最後にはキリストの地上再臨があり、イスラエル人は皆救われるのです。ローマ人への手紙11章26節。これが彼らに対する神の計画です。ですから皆さん、ユダヤ人はキリストを時十字架につけた民族だから神に捨てられた人々だという考えや、ユダヤ人は呪われ、迫害されて当然であるという考えは持ってはなりません。またユダヤ人にとって代わってキリスト教会があるという考えも捨てなければなりません。

●イエスの態度
1:鞭打たれる ローマの兵隊さんの持っている鞭は先に貝殻、金属や鋭利なものがついている。
2:あざけりの象徴
3:あざけりを受ける
4:あざけりの象徴
11:あなたは私に対して権威はないという発言。どこまでも毅然としている。
16:十字架に引き渡された。
血だらけ、傷だらけ、フラフラ状態。進んで神の御心を成しています。

適用
イエスに対するユダヤ人の妬み、ピラトの自己保身がキリストを十字架につけました。
但しこれは異邦人もユダヤ人も持っている罪です。そうです彼らは全人類を代表しているのです。私達がその場にいたらどうでしょうか。彼らと同じように十字架につけろと叫ぶかもしれません。そうすると、私達がイエスを十字架に付けたのと同じであります。同時にイエスの有罪そして十字架への道は神の御心でありこのような手法をもって私達を罪から贖われる事が計画されていたのです。

結び
イザヤ53:5彼の打ち傷によって私たちは癒された。 Ⅰペテロ2:24キリストの打ち傷の故に癒された。罪のない方が罪とされた。この事実を覚えて今週もあゆもう。