ピラトによる裁判①

2022年12月21日

2019年3月31日
参照聖句:ヨハネ18:28~38
説教題:ピラトによる裁判①

おはようございます。いよいよ今年もイースターが近づいていますがイースターはクリスマスと違って春分の日の次の満月の次の日曜日と決まっています。今年は4月21日になりますが、これから4回の日曜日がありますがイエスの裁判、十字架の死と復活について4回に分けて皆さんと共に考えていきたいと思います。
今日はユダヤ人による宗教裁判の後に、十字架刑の当日の朝開かれたローマの総督ポンテオ・ピラトの前に置ける裁判についてであります。この場面がヨハネ18:28~ですので見てまいりましょう。4つの流れになります。①場面設定28 ②ピラトとユダヤ人29~32 ③イエスとピラト33~37 ④ピラトが出した結論

1、場面設定 28
イエスが十字架につけられる当日の朝明け方からの場面です。当時ユダヤはローマの支配を受けていました。故に裁判で犯罪人を死刑にすることは認められていませんでした。ユダヤの最高議会の指導者たちはイエスに対する妬みからイエスを殺すことを考え彼らの宗教裁判で有罪にしたのですがそれ以上のことは出来ないので総督ピラトに願い出て有罪にしてもらう必要がありました。

総督は日本的に言うと江戸時代のお代官様という事になります。彼らは前日の夜中十イエスを連れまわし、ついに明け方早くローマ総督ピラトの官邸に連れていき裁判を願い出ています。これは明け方の話ですから通常はあり得ない時間帯です。異常ですね。ユダヤの最高指導者たちは朝9時に過ぎ越しの食事が食べられなくなると困るので官邸の中に入らないで、外にいました。ローマ人である異邦人は汚れていると考えていたので彼らは官邸の中に入りませんでした。何とも人を見下げた高慢な選民意識です。

②ピラトとユダヤ人 29~32
ピラトはユダヤ指導者に対しイエスの告発理由を聞きます。29:ピラトが官邸の庭まで出てきています。
この時のやり取りを通してピラトはユダヤの指導者がイエスに対する妬みによって訴えている事が分かりました。さすがピラトです。
32節に注目。どのような死に方をするか。ヨハネは預言の成就だと言っています。それはマタイ20:19でイエスの語った言葉に寄ります。①十字架につけられて死ぬ。これは木に掛けられるということです。②異邦人に引き渡されて死ぬ。
ここで一つ考えたいことがあります。私達の思い込みによる大きな間違いです。それは、ユダヤ人だけをキリスト殺しの犯人とする考え方です。
イエスはユダヤ人によって殺されたのだ。だから彼らは迫害を受けて当然である、また神に捨てられた民族なのだと言う考え方です。でも聖書を調べると、使徒2:23、4:27には異邦人やユダヤ人たちの手によってイエスを十字架につけて殺したと有ります。異邦人を代表するピラト、そしてユダヤ人を代表する最高議会の人たちによって十字架につけられたのです。全人類によってイエスは十字架につけられたのです。

③イエスとピラト 33~37
ピラトは官邸内にある裁判の広間に戻りイエスを中に入れ尋問します。ユダヤ人は外にいます。ですからここはピラトとイエスの対話です。
33節:ピラト聞きます。あなたはユダヤの王か。ローマには皇帝がいるのでイエスがユダヤの王だとなれば反逆罪になります。
34:イエスは質問に対して質問で答えています。
35:ピラトの答え。私がユダヤ人だとでもいうつもりなのか。当然ユダヤ人から聞いたが、そんな話に興味ない。あなたは何をしたのだ。
36:私の王国はこの世のものではない。
37:それではあなたは王か?その通り私は神の国での王だ。私は神の国の王として真理を証するために生まれ、そのためにこの世界に来た。そして真理を愛する者は、私の声に聞き従う。これがイエスさまの答えです。

④ピラトが出した結論 38
真理とは何か。これは一見真理を求めて質問しているような感じですが逆です。真理そのものであるイエスを前にしながら、真理なんて言うものはこの世に在ろうか?という意味あいがある発言です。ここがピラトの最大の悲劇でした。

適用
真理とは何か
今の時代、真理を求めるとか、政治の話をしたりすることは喜ばれません。特に若者の間ではそのような話をしたら相手にされない世の中です。特に今の時代は絶対的な真理を求めるより世の中でじょうずに生きる。時には嘘をついても、権力者にこびて自分の生活を豊かにしていく事が主流ではないでしょうか。

ピラトの生き方はまさしくそのようなものでした。真理そのものであるイエスを前にして、真理などというものは世に在ろうかと軽くあしらいました。
あなたはいかがですか。私が道、真理、命であると語られた真理そのものであるイエスを愛し、イエスを心に従って自分の人生を歩んでいますか。それともこの世の中には確かなものなど一つもないと言いながらこの世の価値観の中でいきますか?是非真理そのものであるイエスを見上げて歩んでまいりましょう。

結び
イエスはピラトの前で「真理に属するものは私の声に聞き従います」と宣言されました。今週も心を神の前に開いて真理そのものであるイエスの声なき声を聞いて従うものでありたいと願います。
イエスこそ私達の道、真理、命であることを覚えながら主を見上げて歩んでまいりましょう。