第三の道を求めよう

2022年12月21日

2019年3月10日
参照聖句:ヨハネ9:1~12
説教題:第三の道を求めよう 

おはようございます。今日は皆様と一緒に記念礼拝を持てる事を感謝します。25分の時間をいただいて第三の道を求めようという題で共に考えてみたいと思います。

明日で東日本大震災から8年経ちますが、東北の災害復興の為にまずお祈りさせていただきます。

今日の聖書箇所に登場する人物はイエス様と生まれつきの盲人の話です。流れを確認します。
1:イエスの選び 2~5:質問と答え 6~7:癒しのわざ 8~12癒しの結果

1:イエスの選び
いつ頃か?イエスが十字架に掛かって死なれる半年前の事です。場所はエルサレムの南の方。小さなシロアムの池の近く。ここに生まれつきの盲人がいました。生まれつき全盲ですから見える世界を経験していない人です。生活費はどうしていたのか?人の通りが多い神殿近くの道端でものごいし、人の善意で収入を得ていました。彼は自分の責任で盲目に生まれついた訳ではありませんが、現状を受け止めて生きざるを得ませんでした。弱い立場の人をイエスは目を留め、彼を選ばれたのです。ここからイエスは常に弱い立場の人に関心を持ち、助けが必要な時には助けるお方であるということです。私達キリスト教会の人間も心に留めるべきです。

2~5:質問と答え
ここでの質問は彼の目が見えないのは罪の結果ですか?というものです。日本的に言うと何かの罰が当たったから目が見えないのかということです。当時の人々は全ての苦しみの原因は何かの罪があるからと考えていました。だから弟子達のこの質問が出てくるのです。読む。
誰が罪を犯したからですか。面白いのはこの人ですかという質問。当時の宗教指導者は、胎児の内から既に良い性質と悪い性質があって、悪い性質が勝つと、敵意をもって母親の腹を蹴飛ばす、
これは両親を敬わない罪であると教えたのです。だから弟子達の質問で、この人が罪を犯したからかというのは、私たちには変でも、当時の人にはごく普通の質問だったのです。
もう一つは、親の罪の責任なのかというものです。日本的に言うと罰が当たったというものです。

3:イエスの答え
本人の罪か、両親の罪かという2つの選択肢で質問を投げかける弟子達に対してイエスは答えます。私たち日本人は、うーん、それはやっぱり先祖の罪かなという答えが多いかも?しれません。不幸と思われる事を先祖の祟りと決めつけてお金を巻き上げる悪徳宗教家もいるくらいですから。

でもイエスは違います。第三の答えを述べます。この人でもなく両親でもない、即ちAでもなくBでもない。Cの道を答えます。神の御業が現れる第三の答え。
ここでイエスが言いたいのは特定の病気や試練を受けても罪の結果と断定してはならない。創造主なる神は、人がそれぞれ様々な弱さを持って生まれる事を許しています。盲目であったり、体が不自由だったり、精神に不安があったりして生まれる事は良く有ります。確かに家族にとっては重荷を負うことでもあります。それだからと言って神に呪われたりしている訳ではありません。むしろイエスは積極的に、彼の様な人にこそ神の御業が現れされるのだと言うのです。そうです。弱さを持つ人にこそ神のみわざが現わされる、価値のある人なのです。

6~7:癒しのわざ 
この様にのべイエスは面白い癒しの方法を採用しました。ツバキで泥を作り盲人に塗ったのです。これは医療行為ではありません。だから皆さんこのような事はしないでくださいね。ここでのイエスの行為は盲人の信仰を育てる為にしたと思われます。現に7節で、彼はイエスの言葉を信じてシロアムの池に行き目を洗い目が開かれ見える様になりました。シロアムの池は今も残っています。ネットでも調べられますが小さな池です。

8~12癒しの結果
彼は全く別人のように変わってしまいました。周りの人も分からなかったくらいです。顔が激変したという事。彼のしたことはシロアムの池に行って洗いなさいというイエスの言葉を信じて、従ったら見えるようになったことです。話はこれで終わらず41節まで続いていきます。今日はここまでです。

適用 2つ
○試練や苦しみについて考えよう
8年前の東日本大震災の時に、ある人は東北地方の人々は罪深いから地震や津波が起こったと言いました。全く根拠のない話です。また重い病の中にある人に対して、それは先祖の罪の結果だからお祓いをしなさいと言う人もいます。そんなことは全くありません。
試練や苦しみの中にある時こそ自分や家族を責めたりしないで神の御業が現される事を受け止めてまいりましょう。

○第三の道がある
私達が物事を決める時に答えはAかBだけではなく、常に上からの第三の答えの道を聞いて受け取る習慣を身に着けると幸いです。これがイエスを信頼して、祈りの会話をして、私の心の中に語り掛けて下さるイエスの声なき声を聞いて進む道です。実はこれが一番、安全、安心で確かな事で、あなたを通して神のみわざが現される最高の道です。イエスと語り合う時に祝福がある。これが第三の道です。これは誰でも出来る事ですから今日からイエスさまに語り掛けることを始めてみてはいかがでしょうか。あなたの人生に変化が起こります。

結び
盲人を前にしてイエスはAかBかの道ではなく、神のみわざが現わされる第三の道を教えて下さいました。是非今日からイエスに祈って祝福の道がある事を受け止めていただけたら幸いです。
そして、イエス様からくる神のみわざの祝福は親から子へ、子から孫に受け継がれる祝福です。
最後にマタイ11:28~30 週報暗唱聖句
シロアムの池はゆったり水が流れています。そのようにイエス様は今も生きておられ私達をおおらかに、ゆっくりとつつみ込んで下さいます。私は心優しく、へりくだっているお方です。お祈りしましょう。