いつもあなた方と共にいます

2022年12月22日

2018年9月16日
参照聖句:マタイ28:16~20
説教題:いつもあなた方と共にいます

おはようございます。今日も共に礼拝を捧げる事が出来て感謝します。また9月の誕生祝いや敬老祝いも行われますので感謝です。さて私たちは今までマルコの福音書を中心にイエスの生涯を見てきましたが、いよいよあと数回で終わります。特に公生涯における十字架の死と葬り、復活については他の福音書も読みながら何回も学びました。特に今読んでいる所はイエス様の復活ですね。聖書によると復活のイエスは何回ご自身を現わしているか。そうです。10回ですね。
①マグダラのマリヤ。
②他のマリヤ達。
③シモン・ペテロに単独で。
④エマオの途上で弟子のクレオパ達に。
⑤当日夕方10人の使徒達に、戸が閉められた部屋に栄光の体をもって入ってこられました。
⑥週の初めの日から8日後、翌週の日曜日。トマスを含めた使徒達に。
⑦ガリラヤ湖畔で7人の使徒達に(ヨハネ21章)。しばらくしてから。先週やりました。
⑧続けて500人以上の信者たちと使徒達に(Ⅰコリント15:7・マタイ28:16~20)。
⑨9回目はヤコブに(Ⅰコリント15:7)
⑩10回目はオリーブ山で弟子達に(使徒1:3~12)という事になります。
そこで今日は8回目と9回目に現れた時のことから学んでまいります。Ⅰコリント15:6~7節を読みましょう。初めに500人以上の人たちに同時に現れたという事ですが、これは500人以上の人が同じところにいて、そこに復活のイエスが現れたという事です。ではこの時はいつか。マルコ15:15で「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音をのべ伝えなさい」とイエスが世界宣教命令をした時と言われています。またマタイ28:16~20が500人以上の人たちに同時に現れた時の背景だという解釈が一般的です。私も同じ視点から学んでいきます。

前回の流れを見ていきます。ガリラヤに集結してイエスと再会を待っていた弟子達はついにイエスとお会いします。生き方が後ろ向きになっていた弟子達はイエスの励ましを受け前に向かって歩み出します。特にペテロはイエスと3回も愛の約束をして前進しました。また自分がどのようにして死を迎えるか迄教えてもらいました。この続きがマタイ28:16~20の所です。

1、イエスの11弟子と500人以上の信者達に(マタイ28:16~20・Ⅰコリント15:7)。
16:ガリラヤの山に行き、イエスが指示された山に登りました。
17:11使徒たちはひれ伏して礼拝しています。彼らの中には疑った人はいませんでした。今迄勘違いしていました。11使徒はイエスと何回もあっているから疑いはありません。復活のイエスが神であると信じています。ではある者は疑ったというのは誰か。使徒たち以外の500人以上いた人の中の誰かという事になります。
18:イエスこそ一切の権威が与えられているお方。これを認めて普段の生活をすることが大切。すべての権利や力がイエスにあるということです。
19:これを前提として私たちの使命について考えよう。この宣教命令の最大のポイントは何かお分かりですか?そうです。キリストの弟子にせよという命令です。これは全ての人が牧師、伝道者になりなさいという意味ではありません。キリストの弟子になれということです。これが一番重要です。イエスの弟子は師匠であるイエス様の心や生き方を理解して、イエス様と共に生きることです。具体的には。困っている人がいれば助け、悩んでいる人がいれば悩みを聞いて慰めを与え、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く。また自分の住む町の繁栄を祈り、行う事です。聖書の言葉でいうと、隣人愛に生きる。神と隣人に仕える。自分の賜物を最大限生かしていく。他の人と比較する必要はなく、このようなキリストの弟子になる事が最大のゴール、命令なのです。
ここでの文脈ではその為にする事が3つあります。私の命令ではなく、キリストの命令として。

①出て行く:外の世界に向かって出て行く。福音が伝わっていない地域に出て行く。海外に出て行く。キリストをのべつたえるのです。日本にも海外(あらゆる国の人の所へ)にも沢山あります。

②信じた人に父・子・聖霊の名によってバプテスマを授ける。受ける人はキリストを信じたら受けるのがセット。信じているけれどもバプテスマ・洗礼を受けないという事はキリストの弟子になっていないので、これは有り得ません。

③教える:聖書全体を。救いの確認、実際生活を通しての信仰の歩み、終末論としてキリストの携挙、再臨、千年王国、新天新地すべてを教えるのが弟子の務めです。だから自分も聖書を学び教える必要があります。牧師だけがすると思ったら大間違いです。執事もすべての信者がすることです。何故ならここでイエスは使徒達と500人以上に人に語り掛けているのだから。適用すれば私たち全員です。但し賜物の違いがあるのは当然ですからご安心下さい。
約束:20:主イエスは世の終わりまでいつも私たちと共にいます。キリストの再臨の時まで共にいます。あなたが喜びの時も、悩みの時も、苦しみの時も、イエスはいつも共にいる。安心して。

2、10回目ヤコブに現れ Ⅰコリント15:7
このヤコブはだれか。使徒の中でヨハネの兄のヤコブですか。アルパヨの子ヤコブか?この文章を見ると12使徒の中の2人のヤコブでない事が分かります。これはイエスの父親違いの弟ヤコブです。イエスの公生涯の最初の頃はイエスをメシヤと信じていませんでした。頭がおかしいから連れ戻そうとしたくらいです。でも彼は復活のイエスにお会いしてからメシヤと信じています。そして彼もまた後に使徒に任ぜられエルサレム教会の指導者になります。信者は信仰と行いの両面が大切であると述べます。それが新約聖書一番初めに書かれたヤコブの手紙。このヤコブに復活のイエスは現れて下さいました。
適用
○私たちもキリストの弟子として、キリストの考えや思い、願いをよく理解して世界に目を向けよう。その為に自分の信仰、能力を磨こう。
○イエスはどんな時にも共にいる。本当の友達でない人は都合は悪くなるとその人からさあと消えていきます。でもイエスは私達の真の味方でありいつも共にいて下さるという確信を持とう。
結び
もっと聖書を一緒に読む機会を増やしましょう。私達本庄キリスト教会の弱点は直ぐに集まりを辞めてしまうことです。ヘブル10:23~25。愛と善行に励む。人の助けになる行いに励む。その為にも一緒に集まり聖書を学び、一緒に祈ることを簡単にやめてはいけないのです。諦めが早すぎてはならないのです。是非自分の事としてこのみことばを受け止めようではありませんか。キリストの再臨が近づいている今日は特にそうする事が肝要です。ともに集まる事をやめると祝福が逃げていく事を私は何回も経験しています。祈ります。牧会祈祷。