平安あれ

2022年12月22日

2018年8月12日
参照聖句:ヨハネ20:19~25
説教題:平安あれ 

おはようございます。今日も共に聖書から学びましょう。今迄の流れを確認してまいりましょう。イエスは金曜日の朝9時に十字架につけられ午後3時に息を引き取ります。仮死状態ではなく本当に死にました。そして金曜日夕方までに墓に葬られ、よみに下り、週の初めの日に死人の内より甦りました。今も生きておられます。この復活について聖書を読んでいくとイエスは週の初めの日の朝から夜にかけて5回続けて栄光の体をもってご自身を現わしている事が分かります。初めはマグダラのマリヤ。二回目は他の女性達、3回目は詳しく有りませんがシモン・ペテロに、4回目はエマオの途上にあった弟子のクレオパ達に現われました。そこで今日は5回目に現れたところになります。更に復活後40日間に残り何回現れていると思いますか。5回です。6回目は8日後トマスを含めた弟子達に、7回目はガリラヤ湖畔で7人の弟子達に(ヨハネ21章)8回目は500人以上の信者たちに(Ⅰコリント15:7)9回目はヤコブに(Ⅰコリント15:7)10回目はオリーブ山で弟子達に(使徒1:3~12)という事になります。こんなに沢山イエスはご自身を現わしてくださったのです。それでは見てまいりましょう。ヨハネ19~20イエスの現れ、ルカ24:37~43弟子達の信仰、21~23平安あれ、24~25トマスの信仰。それでは5回目のイエスの現れを見ていきます。

1、ヨハネ19~20イエスの現れ
・週の初めの夕方:今でいうとイエスが復活した日曜日の夕方と言う事になります。ユダヤ人を恐れて戸が閉められていた。彼らの様子が分かります。心細い状態が続いています。でもよく考えてみるとこの時は既にイエスはよみがえったという知らせがシモン・ペテロやクレオパを通して受けているのです。でも彼らは信じませんでした。それ故ユダヤ人を恐れていたのです。
・そこにイエスが戸を開ける事無く入ってこられました。次元の違う栄光の体を持っています。しかも以前の体と同じ体です。但し中身が全く違う栄光の体です。
・弟子達に平安があるように語り掛けました。そして手と脇腹の傷を示されます。弟子たちはここに来てやっと本当にイエスが復活した事が分かり喜びに変えられるのです。しかし皆さん、聖書を連続性の中で読んでいくと、彼らはイエスの復活をすんなりと信じた訳ではないのです。前後関係を見ていきましょう。

2、ルカ24:37~43弟子達の信仰
・それがこの場面ですね。ペテロやクレオパがイエス様は復活したと言っても信じなかったのです。復活なんか起こるか。以前の私達のようですね。(マルコ16:13あり)そしてこの場面です。これらの事を話している間に、喧々諤々やっていたのでしょう。ユダヤ人を恐れていた部屋の中で。そこに栄光の体を持った復活のイエスが現れました。最初彼らは取り乱し、不信仰でした。驚き畏れて、霊を見ているのだと思ったのです。直には信じられなかったのです。今までずっとイエスの話を直接聞いていた弟子たちでさえ、この様な有様でした。
・38~:イエスは弟子たちの不信仰ぶりを見て叱るのです。そして実物教育をするのです。手や足を見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。それでもまだ嬉しさの余り信じられないので、イエスは食べ物をもって来させて食べました。魚でした。こうしてやっと弟子達は理解できるようになったのです。ヨハネ19~20喜んで迎える事が出来たのです。

3、21~23平安あれ
このような経過を経て彼らは復活のイエスを見てやっと理解を深める事が出来ました。こうして彼らはキリストから平安あれという言葉を受けます。また聖霊を受け、またペテロに与えられたと同じ使徒的権威を受けて人々に福音を伝えるべく遣わされる準備が整うのであります。

4、24~25トマスの信仰
日曜日の夕方よりも少し後のことです。たまたまトマスは他の弟子達と一緒にいませんでした。彼は弟子たちが復活のイエスに出会ったという話を決して信じませんでした。手の釘跡やわき腹の傷跡のところに自分の手を差し入れて見なければ信じないと宣言します。彼はキリストの弟子でしたが、見ていないので信じないと言ったのです。ここも私達と同じですね。信仰というよりも不信仰という事になります。今日はここまでです。

適用
○弟子達の信仰、トマスの信仰
ここでの弟子達の姿を見た時に皆さんはどのように思われましたか?そんなに信仰的ではない事を知り、安心した面もありますか?彼らも私達と同じ普通の人間なのです。
聖書は正直にキリストの復活にまつわる弟子達の対応を記録しています。彼らの対応に安心しながらも、これから彼らの変化、成長に目を留める必要があります。それはやはり聖霊の力によるものです。正式にはペンテコステの時でありますが、
10人の使徒たちはこの時に聖霊を受け、みことばを理解する力を受けました。やがて彼らは別人となって力強く世界に向かって伝道するように変えられていきます。
私たちも同じ聖霊を受けていますので、この聖霊の力によってイエス様の性格に似る様に成長していければ幸いです。その為にも聖書に親しみ、理解する力が深められ、みことばを実行する者にされれば幸いです。このような中にこそ聖霊の力が働くのです。

結び
復活のイエスを信じた時、私たちは聖霊と真の平安をイエスから受けました。そしてイエスの下さる平安はこの世のものとは違います。どのように違うのでしょうか。読みましょう。

○ヨハネ14:27、私が与える平安はこの世が与える平安と違います。どのような状況になっても消える事の無い平安です。

○ヨハネ16:33、患難に打ち勝つ平安です。困難を恐れない。

○ピリピ4:7、全ての人の考えに勝る神からの平安を受けるのです。神からくるもの。

新しい一週間も主の恵みの中で聖霊を受け、キリストの平安を受けているものとして確信を深めて歩んでまいりましょう