私達の心はうちに燃えていた

2022年12月22日

2018年8月5日
参照聖句:ルカ24:13~35
説教題:私達の心はうちに燃えていた 

おはようございます。今日も共に聖書から学びましょう。今迄の流れを確認してまいりましょう。イエスは金曜日の朝9時に十字架につけられ午後3時に息を引き取ります。仮死状態ではなく本当に死にました。そして当日夕方までに墓に葬られ、よみに下り、週の初めの日に死人の内より甦りました。今も生きておられます。この復活について聖書を読んでいくとイエスは当日から夜にかけて5回連続で栄光の体をもってご自身を現わしています。初めはマグダラのマリヤ。二回目は他の女性達、3回目は詳しくは書いていませんがシモン・ペテロに、4回目はエマオの途上にあった弟子のクレオパ達にご現われました。そこで今日の話は3回目と4回目にイエスがシモン・ペテロとクレオパ達に復活の栄光の体をもって現れたところになります。それでは見てまいりましょう。
1、エマオへの道 13~16
・ちょうどこの日:イエスが復活した日曜日の午後
・二人の弟子:一人の名前はクレオパ、もう一人は無名。11使徒ではない弟子。これは多分
12弟子以外の70人の弟子がいましたがその中の二人ではないかと思われます。
・エルサレムから北西11キロにあるエマオという村に行く途中でありました。十字架刑に関する一連の混乱から逃れる為に静かなエマオに帰る途中であったのかもしれません。
・彼らは話し合いながらエマオに向かっていた。話題は当然イエスの十字架の死、葬り、み使い達が現れてイエスは生きていると言っている。でも現実にはイエスの体がどこかに消えてしまった。こんなことを話し合っていたのです。ここから推測すると、彼らの心は、混乱、驚き、失望、悲しみに中にあったと思われます。少なくても喜びにあふれていない事は確かです。
・そんな中で復活のイエスが現れ彼らと共に道を歩かれました。旅の途中で知らない人が話に加わることはユダヤでは普通の事のようです。ですから彼らは驚いていませんが、思い込みや悲しみ故に目が遮られていたのでイエスだとは分かりませんでした。また神によって霊的に目が閉ざされていたという側面もあります。
2、会話 17~24
・イエス様が質問しています。17節のことば。答え。18節。エルサレムにいながら、近頃、そこで起こったことをあなただけが知らなかったのですか。19節で再び質問するイエス。どんなことですか。ナザレ人イエスのことです。ここから話が始まり彼らは、ずっと経緯を語り続けています。ここを読むとイエス様は素晴らしいカウンセラーである事が分かります。ずっと彼らの話を聞いているのですから。私達なら話を遮りすぐにしゃべってここはこうですよ。こうすればいいですよとか、こうしなさいなどと直ぐに教え始めるのです。でもそのように教えられても人の行動は変わりません。話を十分聞いてもらい納得して初めて人の生き方は変わり始めます。イエス様はずっと口を挟まず話を全部聞いて適切に指導するワンダフルカウンセラーです。
3、聖書の解き明かし 25~29
イエスは話が終わった後で話し始めます。ああ愚かな人たち。何と物わかりの悪い無知な人たち。今流にいうと頭悪いねというのです。昔の預言者たちも言ってたしとは旧約聖書時代の預言者という意味です。キリストは必ず苦しみを受けて、それから栄光に入るはずではなかったのですか。即ちよみがえるはずだよねと言っているのです。そして旧約聖書のモーセ五書から始めて預言書を通してご自分の全てを話された。旧約聖書全体からという意味です。そうしているうちに夕刻になるので彼らは自分達の家にイエスを泊まるように勧めます。イエスも部屋に入ります。
4、目が開かれる 30~35
 ・食事の時にパンを裂くのは家の主人の仕事です。裂いてから食事が始まります。
・彼らはこの瞬間に霊的な目が開かれ、今まで自分たちと話していたお方が復活のイエスだと
わかりました。どうしてイエスだとわかったか。5つのパンと2匹の魚を通して5千人の給食の時の動きや光景を思い出したのかもしれません。いずれにしてもこの時、彼らの目が開かれイエスだとわかったのです。すると不思議な事にイエスは消えて見えなくなりました。
・彼らは言います。(32節の言葉を読む)聖書を説明してくださった間も、私達の心は燃えていた。これはキリスト者共通の特徴です。皆さんは聖書の解き明かしを受けている時退屈で眠くなる人が2~3人位いるかもせれませんが。普通心が燃えるでしょう。彼らの心は燃えていたのです。
・心が燃えるとどうなるか。行動につながる。エマオの途上に向かっていたクレオパ達はエルサレムに引き返して11使徒と仲間に報告します。その他大勢の人にも。
・一方彼らは34節にありますように本当に主はよみがえってシモン・ペテロに姿を現されたという話でもちきりでした。でも聖書には詳しく出ているところはありません。こことⅠコリント15:5に短く出ているだけです。
・35節、クレオパ達は復活の主にあったことを一生懸命証します。でもこの時点では使徒たちは二人の話を信じていませんでした(マルコ16:13)。これが現実の姿でありました。
適用
 イエスの事が分かると心が燃える。キリスト者共通の行動
救いを受けると聖書の話が楽しい⇒行動が変わる⇒イエスを証する⇒様々な機会に聖書を学ぶ⇒そうすると聖書が分かり、聖書の話が楽しくなる⇒次の行動につながる。イエスを証する。このクリスチャンの心が燃える行動パターンをしっかり受け止めよう。
結び
①イエスは何故ペテロに現れたか。
ペテロはイエスを絶対に知らないとは言わないと言っていたのに3回も否定してしまった。彼が一番失意のどん底にあったと思います。そんなペテロに立ち直って欲しいと願っていたイエスは赦しと励ましと希望を真っ先に与えたかったのではないでしょうか。またペテロが使徒達のリーダーとしてもう一度活躍する機会を与える為ではないでしょうか。
 
②クレオパとはどんな人物か。この人は名前だけで意外と知られていません。
しかし、  ルカが福音書を書いた時、既にクレオパは良く知られていたキリストの弟子でした。聞くところによると彼はエルサレム初代教会でイエスの弟ヤコブが死んでから指導者になったようです。彼は使徒職ではありませんでしたが良い働きをしました。特に紀元70年にエルサレムが陥落する前にユダヤ人クリスチャンたちはイエスの言葉に従って山に逃げたのです(マタイ24:16)この時死んだクリスチャンは一人もいませんでした。実はこれを指導したリーダーがクレオパだと言われています。数万人の命を守るという大きな働きをした人物です。
主イエスはこの働きを成さしめるために復活の時、最初にご自身を現わされたのかもしれません。
 
③私達:ペテロやクレオパのような人物ではありません。無名のキリスト者であります。しかし
イエス様は気落ちしたペテロを励まし、エマオの途上で道すがらクレオパ達と共に歩まれたように、今日も私達と共に歩み、話しかけ、励まし力づけてくださるお方です。そして主イエスと共に歩むとき私達の心は内に燃えてくるのです。今週も復活の主イエスを見上げて歩んでまいりましょう。