この方はまことに神の子であった 

2022年12月22日

2018年6月24日
参照聖句:マタイ27:51~56
説教題:この方はまことに神の子であった 

おはようございます。マルコの福音書からずっと学んできましたがイエス様の十字架刑の所を終えました。2年でここまで来ました。あと少しで終わります。先週までイエスが十字架上で語られた7つの言葉を中心に苦しみの6時間を追いかけました。振り返ってみましょうか。
①父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分で何をしているのか自分でわからないのです。
ルカ23:34
②十字架につけられた極悪人の一人に対して「今日あなたは私と共にパラダイスにいます」
ルカ23:43
③母マリヤに対して「女の方。そこにあなたの息子がいます。ヨハネに対して「そこにあなたの母がいます」ヨハネ19:25~27。イエス様は苦しみの中で3時間耐え忍びます。午前の話です。
続いて午後の3時間は4つの言葉を残しています。しかも午後の発言は真っ暗闇の中で息を引き取る3時ごろに集中しています。
④エリ、エリ、レマ、サバクタニ、わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか。
マタイ27:46。詩篇22篇のメシヤ預言。助けを求める。
⑤私は渇く。ヨハネ19:28
⑥完了した。ヨハネ19:30
人の罪、神への負債、借金は私が支払った。これでOK、救いの道は完了した。テテレスタイ。あとは救いを受け取る為にはイエスを信頼する信仰だけです。そしてイエスを信じた時に私達の人生の変化が始まります。
⑦父よ、わが霊を御手に委ねます。ルカ23:46 父なる神との関係が回復しているから父よ。

こうしてイエス様は十字架上で死に、埋葬、復活と続くのですが、その前に不思議な出来事が起きています。今日はこの事を確認してまいりましょう。またどのような意味があるか、私達との関係は何かを考えてみましょう。
皆さんと一緒に前提として確認したいことはキリストの死、埋葬、復活は歴史的事実です。この事実をそのまま事実と信じるのが私達信仰者の立場です。では今日のこれから見ていく場面はどのように理解するか。比喩的に捕えた方が良いのでしょうか。そうではありません。福音書にあるイエスの奇跡と同様にここもそのまま字義通りに受け止めることが大切です。それは十字架の死後、直ぐに起きた不思議な現象のことです。裂けた神殿の幕や地震、聖徒たちの復活などですね。
1、裂けた神殿の幕 51
すると見よ。イエスがわが霊を御手に委ねますと言った後、直ぐに神殿の幕が裂けたのです。どういう事か。当時のエルサレム神殿の中に聖所と年に一度大祭司が入ってとりなす場所の至聖所があります。この幕の事。長さ18m、厚さ約10cm、この至聖所は神ご自身が臨在される場所であり、大祭司が年に1度入り、人々の為にとりなすところです。この幕が上から下まで真二つに裂けました。あり得ない事が起こり神ご自身の御業があらわされたのです。人間の業なら下から上になるが、ここでは上から下に裂かれています。
超自然的な力で幕が上から下まで裂けた事は何を意味しているのでしょうか。神は大祭司だけでなく、今やすべての人が創造主なる神の臨在に近づける事を示されました。今や私達も含めて直接、神に近づき神と交わりが出来る新しい時代となりました。もはや人間の仲介者、大祭司は必要ないことをここで神ご自身が示しているのです。
2、地震51
裂けたのは幕だけではありませんでした。大地も岩も続けて地震によって裂けました。神の御手の中にあって起きた、神の御子イエスの死は被造世界に大きな衝撃をもたらしたのです。
3、聖徒たちの復活52
地震によって墓の入り口が開いた。7年前の東日本大震災でも墓石が倒れました。イエス様時代のお墓は横穴に石で封印したものです。人が入れる広さがあります。ここはその入り口の石が動いて、死者が生き返った事を述べているのです。但しこれは私達が未来に受ける復活の体とは違いますので誤解の無い様に。福音書にはヤイロの娘や、ナインのやもめの一人息子、ラザロの蘇生がありましたが復活の体ではないので時間が経てばまた死にました。
この様にここで多くの死人が蘇生したのです。しかも聖なる都エルサレムに続々現れ、家族の前に立ったのです。大きな喜びや驚きだったと思います。これは何を意味しているか、やがて栄光の体に復活するキリスト者のひな型としてこのような事件が起こったのです。
4、次に人々の反応として百人隊長とガリラヤの女達の事を見ていきましょう。
・ローマの兵士たちはイエスを散々痛めつけ、あざけり続けました。酷い仕打ちをして十字架刑にしたのです。しかし今イエスの十字架上のみわざを6時間にわたり見ていたローマの兵士の長、百人隊長はイエスの傷だらけの姿を見て、あまりにも気高く、見事に十字架刑を耐え忍ばれ、救いのみわざを成し遂げたのでこの方はまことに神の子であったと述べました。異常な現象をみて自分達の上に罰が下るのを恐れもあったと思います。この時、百人隊長の内には恐れと共に、イエスへの信仰が芽生えた事は言うまでもありません。伝承によると百人隊長の名前はロンギナスと言い、イエスの忠実な信者になったと言われています。彼は福音をのべ伝え、最後は殉教の死を遂げたと言われています。
・大勢のガリラヤの女達
教会は女性たちの信仰で支えられている所が大きいですね。本庄教会もそうですね。ここでも3人の女性、また、その他にガリラヤからついてきた多くの女性たちがいます。いずれも十字架刑の時にイエス様のすぐ下にいた人たちです。この女性たちはイエスをメシヤと信じて揺るがない信仰をもって歩んだ模範者です。彼女たちは深い悲しみがあってもイエスに信頼してついて行きました。マグダラのマリヤ、クロパの妻マリヤ、ヤコブとヨハネの母サロメ達です。そして多くの女性達。
適用
ヘブル10:19~22 皆で読む
今日の話で何が適用出来るか。神殿の幕が上から裂かれ新しい時代の幕開けとなりました。神の御子イエスが私達の身代わりに尊い血を流され、ご自身の肉体という垂れ幕を通して私達に新たな生ける道を設けて下さったのです。この様にイエスこそ真の偉大な祭司であり、神の御前でとりなしてくださるお方です。そうです。十字架上で6時間の苦しみを受け最後には「完了した」と宣言して救いのみわざを完成してくださいました。私達の罪の代価、負債、借金を全て払ってくださったのです。これは私達にそのまま適用できる事です。イエスこそまことに神の子であったのです。
結び
今こそ私達が真の救いを受ける為に必要なのはイエスのみわざをそのまま信じることです。そうすると神の一方的な恵みにより真の救いを受けます。救いを受けたら新しいイエス様の命を受けます。そして人生が変わります。イエス様に似てくるのです。神を愛し人を愛するという人生が始まるのです。そして自分の賜物を発見して、自分の使命を発見して、神に仕え、人に仕える人生を生き抜くことが出来るのです。今週も真に神の子であったと言われたイエスに信頼していこう。