十字架上のイエス④

2022年12月22日

2018年6月17日
参照聖句:ヨハネ19:28~30
説教題:十字架上のイエス④ 

おはようございます。今日は十字架上のイエスというテーマで4回目です。まず理解を深める為に十字架刑に関する質問をします。十字架につけられた日は何曜日?時間帯は?朝9時から午後の3時。実に6時間。イエスは6時間も十字架上で苦しまれたのです。次に午前の3時間と午後の3時間の大きな違いは?午後は真っ暗の状態が3時間続いたという事ですね。
最後にイエス様はあの苦しい十字架の上で何回話したか?7回です。午前中に3回。イエス様は
敵対するものに対してとりなしの祈りを捧げた。
①父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分で何をしているのか自分でわからないのです。
ルカ23:34
②十字架につけられた極悪人の一人に対して「今日あなたは私と共にパラダイスにいます」
ルカ23:43
③母マリヤに対して「女の方。そこにあなたの息子がいます。ヨハネに対して「そこにあなたの母がいます」ヨハネ19:25~27。イエス様は苦しみの中で3時間耐え忍びました。
ここまでが午前の話です。
午後の3時間は4つの言葉を残しています。しかも午後の発言は真っ暗闇の中で息を引き取る3時ごろに集中しています。
④エリ、エリ、レマ、サバクタニ、わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか。
マタイ27:46。
⑤私は渇く。ヨハネ19:28
⑥完了した。ヨハネ19:30
⑦父よ、わが霊を御手に委ねます。ルカ23:46 これで7つです。

前回の話を振り返りましょう。
その前にヒソプという植物の話の所で私はハーブの一種と申し上げましたがハーブではありませんので訂正させていただきます。間違えていました。
さて、今日の話はイエス様が真っ暗闇の中で語られたのですが、どんな意味か。第一に暗闇が意味するところはメシヤの上に神の怒りが注がれていること。十字架刑の前にゲッセマネの園でイエスは祈ります。「この杯を私から過ぎ去らせてください」と祈った杯とは苦しみを逃れることではなく、神の怒りを意味する杯の事です。マタイ26:39。
もう一つはイエスを拒否したイスラエルの心の暗闇を示しています。
4番目と5番目の言葉を復習してみましょう。
④これは詩篇22篇から引用している預言の言葉であります。当時のユダヤ人はメシヤの言葉であることを知っていました。
どうして私をお見捨てになったのですか、絶望の祈りではなく、神に助けを求める祈りです。最終的に詩篇24節では神への賛美がのべられています。罪を知らない方が私達の罪の身代わりに罪とされたのです。こうしてイエスご自身が神の怒りを受けているのです。それ故イエス様は父なる神に対してはいつも父よと呼びかけていますがここではわが神、わが神という叫びになっています。

⑤私は渇く。ここでは罪人が受ける神の怒り、苦しみを受けている。ハデスにおける渇き、苦しみに通じるものです。ここまでが前回の話です。
今日は6番と7番目の言葉です。
⑥完了した。ヨハネ19:29~30
酸いぶどう酒とはぶどう酒ではありません。飲料用の酢、ワインビネガー。ローマの兵士は常に持っていて、脱水症状を防いでいたのです。私の様にのどがカラカラだから喉を湿らすための水分です。痛みを和らげる鎮痛剤として使うのではありません。ヒソプを束ねて枝につけこの水ぶどう酒(酢)をイエスに飲ませたのです。
ここで思い出すのは昔モーセの時代、過ぎ越しの祭りの時に、ヒソプの束を取って鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血を鴨居と二本の門柱に付けたのです。これはイエスの十字架の雛型で、イエスの十字架のみわざを表すものです。救い主であるイエスご自身に対して実行されています。

ところで何が完了したのでしょうか。それはこの言葉の意味を知ると理解が深まります。ギリシャ語の言葉はテテレスタイという言葉です。これは商売用語で借金は全部支払いましたという意味になります。イエスは神の前にある私達の罪の負債をこの十字架の上で完全に支払って、私達の罪が赦される道を開いてくれたのです。テテレスタイ。Ⅰt has been finished。
このイエスの行為に対して私達がすべきことは何か。そのままイエスの十字架刑は私の罪を赦すためと信じる事です。
また信じている人はもう一度イエスの十字架の愛の御業を確認し、恵みと信仰に生きる事です。そうです。あなたの罪はイエスの十字架故に完全に赦されている。テテレスタイ。Ⅰt has been finishedなのです。帳消しにされた。コロサイ2:13~14。債務証書は無効となった。イエスの御業はこれで完了した。罪の代価が払われたのです。

⑦父よ、わが霊を御手に委ねます。ヨハネ19:30 ルカ23:46 これで最後です。
イエスはご自分で死の時を選ばれた。頭を垂れて霊をお渡しになった。普通は死んでから頭を垂れますので。
さて、既にイエスの御業は完了したのでここでは「わが神」とは言っていません。今迄は罪となられて神の怒りを受けている立場でしたので「わが神、わが神」という叫びでした。しかしみわざは完了したので、「父よ」と呼びかけています。そうです。この時点で既にイエスと父の関係は回復しているのです。この様に主の十字架の御業は完全に成し遂げられました。
以上で十字架上の7つの言葉が終わります。

十字架のみわざを自分との関係で適用すると
自分が創造主の前にあって罪人である事を認める人はイエスの十字架の御業は自分の為であることを認めます。罪とは創造主から離れて背を向けていること。的外れの状態です。その罪ゆえ私達は神の前にも人の前にも様々な悪を行うようになります。
イエスの十字架の御業は罪の世界から回復し神に立ち返り、新しい命をもって生きるための御業です。この命を自分のものとするのは信仰と恵みによってのみ受けます。イエスは私の罪を赦して新しい命を与える為、十字架に掛かって死に、葬られ、三日目によみがえられたと信じたら救いを受けます。是非、今日のメッセージを自分との関係の中でイエスのみわざを受け止めて下さい。

結び
6時間にわたり苦しまれたイエス様、私達の罪の身代わりとして罪とされたイエス様。このみわざにより救いの道は開かれました。今日もう一度イエスのみわざの意味を確認しましょう。