何故災害復興協力なのか

2022年12月22日

2018年4月22日
参照聖句:ローマ12:15  テトス3:8
説教題:何故災害復興協力なのか 

おはようございます。先週は4月16日~19日までの4日東北宮城県の石巻市と南三陸町を訪問してきました。今迄交流してきた方々と昨年12月からお付き合いを始めたシャロームいしのまきの皆さんの所を訪ねました。まずは写真を撮ってきましたのでご覧下さい。7分位です。

1、みことばの根拠
○私達が災害復興協力の働きを続けているみことばの根拠は何か。例えばローマ12:15です。
喜ぶ者と一緒に喜び、泣く者と一緒に泣きなさい。キリスト者の人に対する心の姿勢は隣人愛が基本にあります。100%完全に実践できる人は誰もいません。主イエスだけです。でも私達は聖霊を受け神の愛を知っていますので、不完全であっても聖霊の働きにより神の愛を実践する事が可能となります。
自分の周りの人と一緒に喜び、一緒になって泣ける関係を持てることは素晴らしい事です。主イエスの心と同じです。時々人は喜んでいる人がいると妬み、悲しんでいる人がいるとざまあみろと喜ぶ場合があります。中々喜びや悲しみを共有できないのが私達の姿でもあります。でも聖霊を受けた私たちはそれが自分の力によるのではなく聖霊の力によって可能となるのです。この生き方、考え方から出てくるのは災害復興協力の根拠であります。

○あと一つはテトス3:8のみことば。良いわざに励む。
パウロはテトスに対して良いわざに励むように勧めています。これは自分に与えられている使命に生きる事です。よいわざは災害復興協力だけではありません。自分に与えられている賜物や能力使命に応じて隣人愛は実践する事が出来ます。これが出来ると例えキリスト者は日本では少数であっても100倍の力を発揮して社会に対し良い影響力を与える事が出来る様になるのです。あなたにできる良いわざとは何でしょうか。様々なものがあり、数えきれません。どうぞ自分に出来る良いわざを実践して世の中にキリストの証を立てていこうではありませんか。

2、今の考え方に立って災害復興協力を適用してみましょう。
①出会いを大切にする
東日本大震災の時に多くのキリスト者が燃え上がり被災地支援をしました。素晴らしい事ですね。でも今あれから7年が経ち、多くの奉仕グループは撤退しています。理由は一定の役割を終えた、活動資金がなくなった、その他諸々、こうして東日本大震災の記憶は少しずつ消えつつあります。やむを得ない所もあります。自分の生活の事で精一杯な面もありますから。
しかしもう一度考え直してみると、折角東北の諸教会の兄弟姉妹や多くの方と交流した事は大きな財産です。人は他の人との交流を通して多くを学びます。生き方や考え方から学び取れます。例え東北人の忍耐や粘りからあきらめない事を教えられます。またその誠実な人柄から生き方を学びます。この交流やつながりを途中でやめるのはあまりにももったいないと思います。色々な形に発展させて交流を継続してければと願っています。

②被災地から学ぶ
東北は多くの所で人口減少や過疎化が進んでいます。様々な課題を突き付けられています。日本の縮図の様なところでもあります。例えば今のままでは地域社会が成り立たくなるのです。人口減少による、経済の縮小、税金収入の減少、少子高齢化への福祉対策がついていけない、空き家率の増加、全国で820万個、13%以上人口、放火(3月熊谷で3軒燃えた)低年金故の経済的困難。介護、孤独死等々ありとあらゆる課題が噴き出しています。これが今の東北の現状です。
 そのような中で私達の関東地方も後を追っています。既に同じ課題を抱えているのです。この課題は5年後、10年後には様々な面で顕著に表れてきます。今の日本は人口減少、少子高齢化に伴い非常に厳しい時代の中に入っているのです。
しかしそこから学びとって自分たちに生かすことが出来るのです。この視点を大切にしながら取り組んでいければと願っています。

また人口減少、少子高齢化に伴う日本のキリスト教会に目を向けると皆さんどのように思いますか。同じ課題を抱え、今最先端を行っているのが日本のキリスト教会の姿です。
皆さんは本庄教会という恵まれた中にいるのであまり感じないかもしれませんが今の日本では消滅する教会が増えています。信徒の高齢は、牧師の高齢化と共に沈んでいき、やがてなくなります。この現状を直視して東北の皆さんから学ぶことが沢山あるのです。是非旧態依然として、同じことをしているのではなく、基本は変えずに、枝葉の部分は大胆に変わることも恐れず、皆で知恵を出し合いながら教会形成させていただこう。

③自分たちに生かす
災害は忘れたころにやってきます。埼玉児玉郡市は災害が少ないところで住みやすい。有り難い事ですね。感謝です。
しかし災害は突然襲ってきます。3年前の関東東北豪雨、茨城県常総市で鬼怒川の堤防が決壊して津波のように町が飲み込まれたのは記憶に新しいです。
多くの場合まさか自分の所でなるとは思わなかったという事になります。その時になると慌てふためきます。特に巨大災害では最初の3日間は食料支援が来ないと言われています。それ故自分たちがあらゆる災害が来ても備える事が必要になります。この様に自分の事と受け止めて備える必要があります。今の働きはやがて全部自分に跳ね返ってくるのです。

結び
超高齢社会とは段々と力を失い、やがて自分で自分の事が出来なくなります。その為に必要なのは家族の力です。当たり前ですね。同時に神の家族としてのキリスト教会の在り方も聖書的かどうかを問われているのです。互いに愛をもって関わっているでしょうか。自分のことしか考えないような生き方をしてはいないだろうか。今こそ主イエス・キリストの視点に切り替えて隣人愛、よいわざを実践させていただこうではありませんか。そして広い視点に立って災害復興協力を考え続けてまいりましょう。