キリスト者の生き方とは

2022年12月23日

2017年12月3日
参照聖句:マタイ6:9~13
説教題:キリスト者の生き方とは
松井田キリスト集会

 

皆さんおはようございます。今日はクリスチャンとされた私たちはどのように生きたらよいのか考えてみたいと思います。そこで宣教題は「キリスト者の生き方とは」にしました。共に学びましょう。聖書箇所は一般的に主の祈りと言われている箇所です。ここは主が教えて下さった弟子達の祈りという受け止め方が正解だと思います。この祈りの中身は主の名を崇め、この地上で主のみこころを行い、栄光は主にお返しするというキリスト者の生き方そのものを祈っているもので、理解を深め信仰生活に取り入れて実践していくならば大きな恵みを受けます。今日は時間の関係で10節に焦点を絞って学んでいきます。(もう一度読む)

1、意味の確認をしましょう。
○御国が来ますようにという意味について考えます。ここの御国とは、王国、統治、治める、支配という意味がありますので、はるか彼方から天の御国が来るように願う事ではなく、むしろこの現実の世界に於いて私たちが神に支配される王国が実現するように願うものです。即ち、神の憐れみと恵み、神の愛と平和が支配するような関係を築いていく事です。そのような意味でクリスチャン同士だけではなく、私たちの周りの人との関係においても御国が来るように願う事が出来ます。

ただ現在地上では依然として神の許しの範囲の中で悪魔が強く働いて、私たちキリスト者をも支配しようとしています。そして様々な関係を破壊しようとしています。しかしキリスト者は悪魔の支配から救い出され、この地にあっても神の御国を願いつつ味わっていけます。これは私達に与えられている大きな特権です。
やがてキリストの再臨によって天の御国が完成する千年王国を期待して、その日が一日も早く来るように祈ることが出来ます。この様に神に支配された生き方を願いながら生きるのが私たちキリスト者の生き方であります。あなたはいかがでしょうか。

○次は御心が天で行われるように、地でも行われますようにという言葉です。当然ながら主の臨在する天においては神のみこころが行われています。これと同じように今、この地上においてキリストの弟子である私たちを通して神のみこころがあらわされるのを願う祈りです。

ではこの「みこころ」とはどのような意味があるのでしょうか。私たちが祈る時に神のみこころは何かとか、どこに神のみこころがあるのだろうかとか、自分の思いと神のみこころは違う時があるとか、クリスチャンの会話でも御心という事が良く出てきます。
実はみこころという言葉には二つの側面があります。
一つは「神の定められた、みこころ」これは神の計画、神の主権を指しています。これは人が妨害しても変わらない神の御心です。神の計画は必ずなるという事です。
二つ目はのみこころは、少し違います。これは「神が人に対して望まれるみこころ」あるいは「期待されること」であります。神は私達に対してご自身にふさわしく生きて欲しいと願っているのです。
例えばエペソ1:1、1:5、1:9をお開きください。この場合はいかがでしょうか。これは前者の「神が定められた御心」ですね。一方エペソ5:17、6:6はいかがでしょうか。こちらは私達信仰者の意志にゆだねられているもので、神は私達に対してご自身にふさわしく生きて欲しいと願っている御心なのです。この様に二つの面を含めて「神の御心が地でも行われますように」という祈りを望んでいるのです。

2、地上で主のみこころが行われるような生き方とは何か。
具体的には未来の千年王国に備えての神の国をつくっていく事です。即ち神の憐れみと恵み、神の愛と平和が支配するような神の国、人間関係を作り拡げていく事です。この神の国の中身は福音宣教と社会貢献の2つです。本庄キリスト教会を例に挙げるならば

一つ、日々神の恵みの中で主イエスと祈りやみことばを通して交わり、主イエスに性質、考え方、生き方が似る事です。そのうえで人々に仕え、イエスを証しすることです。あなたの生き方、仕事、家庭、趣味、聖書のみことば、兄弟姉妹の交わり、礼拝を通してイエスを証すること。これが証であり福音宣教なのです。
二つ目、地域貢献をすることです。本庄キリスト教会を通してなされる地域・社会貢献は何でしょうか。これは兄弟姉妹に与えられた御霊の賜物や能力に関係してきます。自分達に与えられた賜物をもってそれぞれ置かれた立場でのびのびとアイデアをもって地域社会に貢献できれば素晴らしいと思います。是非アイデアを出し合って取り組んでみてはいかがでしょうか。既に本庄教会では兄弟姉妹の賜物が生かされて様々な事に取り組み始めました。因みに私は本庄教会の周りを清掃しています。ですから本庄教会の周りはきれいになっています。多くの方の協力を得て資源回収、災害復興協力、フードバンクも軌道に乗りつつあります。もっと大きな地域貢献の可能性を求めて、アイデアを出し合い行動しましょう。そうすればもっと楽しい、夢のあるクリスチャンライフを送る事が出来るのです。

3、地上で主のみこころが行われるように生きた使徒パウロ
パウロは宣教に命を懸けた人ですが、愛の実践も忘れていませんでした。今でいうなら宣教と社会貢献をしていたのです。主のみこころを実践したパウロの隠れた人柄、生き方に注目しましょう。
ガラテヤ2:10を開きます。貧しい人を顧みるのは彼のイメージから遠い感じがします。しかしパウロは食事の提供や人が生きる上での支援を常にしていたことが分かります。読み落としがちな言葉ですね。
 
4、地上で主のみこころが行われる為の前提
私達はキリストの十字架の尊い血潮によって買い取られたものであり自分のものではありません。すなわち主の者とされ主の御心を行うものとされています。この自覚を持ちましょう。また私たちの内には聖霊が住んで下さっているのです。これを前提として3つの事を考えてみよう。
 ①主のみこころを行う事は私達に託された使命、生き方だと積極的に自覚する。
②主のみこころが行われるように願いの祈りをするとともに、主のみこころを実行する。
③主のみこころを行うには聖霊の働きが鍵になる。
皆さんにお聞きします。聖霊を受けていないクリスチャンはいるでしょうか?そうです。いませ
んね。聖霊を受けていない人はクリスチャンではありません。クリスチャンとはイエスをキリス
ト、メシヤと信じた時、聖霊のバプテスマを受けてキリストと一つとなりキリストから新しい命
と性質を受けたものです。クリスチャンは誰もが真の神である聖霊を受けています。この確信に立ち聖霊が豊かに働かれるような信仰者とさせていただこうではありませんか。
5、結び 
 神に支配された生き方を求め、主のみこころが行われる様な生き方、イエス・キリストの心で生かされていこうではありませんか。次の6つに心を留めてください。
①人を尊敬する。
人はそれぞれが、その人しか生きる事の出来ない人生を歩んでおり、この地上に於ける唯一の価値を持った存在です。それ故、すべての人を尊敬するのです。
②人を信頼する。
人は自分の人生の唯一の専門家として、知恵を発見し、能力がある事を意識して信頼するのです。
③人を好意的に見る
人の人格、行動、言葉をあら捜しせず、常に好意的に見ていくことを習慣化する。
④関心を持つ。
その人自身の持つ者の受け止め方、感じ方、充実感、価値観に関心を持つ。
⑤人の最高を願う。
人のかけがえのない人生、尊さを意識してその方が最高に充実した人生を送れるように願う。
⑥人を裁かない
自分を含めて人は常に失敗をしやすいものですが、死ぬまで成長の過程にあるという立場に立つ。そうすると人のミスや足りなさがいちいち気にならなくなります。目くじらを立てなくなります。

私はここ数ケ月この人間理解に立って意識的に多くの人と関わっています。すると不思議な事が起こり始めます。人は自由になり、明るくなって生き方が変わってくるのです。まず私自身が大いに変わりました。これこそ御心が天で行われるように地でも行われる生き方の第一歩だと実感しています。
なぜこのように関わると人は本来の人間性を取り戻し自由に生きる事が出来ると思いますか。
そうです。これがイエスの心そのものだからです。この人間関係の中に神のみこころがあらわされますので聖霊様が働かないはずはありません。

もう一度言います。人の話をよく聞いて、命令したり、支配したりする事無く、自分の価値観を押し付けることなく常に人を①尊敬し②信頼する③好意的に見る④関心を持つ⑤最高を願う⑥裁かない。普通の世界ではこの逆でしょう。人を馬鹿にし、不信感を持ち、嫌い、無関心で最高を願うどころか、不幸を願う。上から目線で人を裁きまくるのではありませんか。こういう人間関係には聖霊様は働きたくても残念ですがごめんなさいと言って去ってしまいます。しかし6つの人間観を心に決める時、主のみこころがこの地に広がり始めます。そして宣教と社会貢献が進んで行くのです。お祈りしましょう。