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キリスト・イエスは罪人を救うために来られた

2022年12月22日

2016年12月24日
参照聖句:Ⅰテモテ1:15
説教題:キリスト・イエスは罪人を救うために来られた

今年もまた皆様と一緒に電球に明かりを灯してクリスマスの夜に救い主の誕生をお祝い出来る事を嬉しく思います。話を始める前に当たりキャンドルサービス(燭火礼拝)について説明します。今日のクリスマスイブはクリスマスの前日、前の日と誤解している人がいます。イブとは夜や晩を意味する英語のイブニングから来ている言葉です。聖書の1日の数え方は日没から翌日の日没までが1日ですので、今日24日の日没後は既に25日なのです。今のこの時間はクリスマスの前日でなく、クリスマスの日そのものです。でありますからキリスト教会では暗い闇の中にあって真の光である救い主キリストの誕生をお祝いし、キャンドルを灯して礼拝を捧げるのです。

さて今日は聖書の中心テーマであるイエス・キリストについて話します。しかもクリスマスの意味そのものについてであります。みことばを読んで意味をお伝えします。今日の聖句はイエスをメシヤと信じ生き方が激変し使徒とされた使徒パウロが若い牧師テモテにあてた手紙の一節です。

1、キリスト・イエスは
キリストは日本語では「救い主」という言葉です。でも何から救う救い主なのかが良くわかりません。実はキリストは人間の本質・根本問題を解決してくださる救い主です。本質問題は人それぞれ違います。ある人にとっては政治や経済、又ある人は平和、貧困、教育問題と考えます。しかしもっと突き詰めてすべての人にとって共通の解決できない課題は何か。それは全ての人の心にある罪、原罪が最も大きなテーマです。この罪の解決方法は創造主なる神に赦されること、そしてあなたが新しく生まれる以外に人は本質・根本問題から解放される事がありません。音楽や芸術は素晴らしいものですが本質的な解決は与えてくれません。しかし次の言葉に希望があります。

2、罪人を救うために来られた(罪が分かると聖書が分かる・逆に罪が分からないと聖書の救いは分からない)
罪人という言葉は誤解を受けやすい言葉です。聖書でいう罪人の意味は法律に触れることをした犯罪人という意味では全くありません。人間の先祖アダムとエバ迄さかのぼります。最初の人アダムが創造主なる神によって食べてはならないと言われた木の実を食べたことに罪は始まります。即ちアダムは創造主の言葉に背を向けて生きてしまったのです。これから神との断絶が始まり、聖書で罪(的外れ)と言い、すべての人はアダムの性質を受け継いでいるので全人類は神の前にあって罪人なのだと聖書は語るのです。

人は創造主によって命を与えられ生かされている存在として創造主を仰ぎ、共に生きる様に創られています。しかしこれを認めない人の心はますます神から離れてしまい自分さえよければよいという考え方(自己中心)になっていきます。そして人は最終的に死んで、人生の総決算としていのちの源である創造主の前に出て、永遠の命か滅びかが決まるのです。人を愛してやまない創造主はあなたが滅びに向かわない為に今から2千年前にキリストを人として(但し罪はない)この世界に送ってくださったのです。これがクリスマスの意味であります。

3、「ということばはまことであり、そのまま受け入れるに値するものです」とパウロは記しています。という事は、今この時に、キリスト、メシヤ、救い主が私の罪を赦して新しい命にあふれて生きる為にこの世界に来てくださり、罪のない33年の生涯を送り、最後には自ら進んで、罪の身代わりの十字架に掛かって死んで、葬られ、三日目に甦り今も生きておられます。これは真実の事であり、受け入れるに値する価値があると語っているのです。以上が聖書の意味です。

適用
今日の話を自分に適用してクリスマスの意味をそのまま信じたら罪の赦しと新しい命を受け人生が変わります。では何をどのように信じるのか。キリストが私の罪の身代わりとして十字架に掛かって死に、葬られ、三日目に甦り今も生きておられる私の救い主と信じればよいのです。

結び
この世界は聖書の預言通りに終末時代に入っていますが、世の中がどんなに変わろうとも周りの状況に左右せれず光輝いて生きる人生があります。それがクリスマスのメッセージです。是非試しに「あなたの為にこの世界に来られた神の子キリストを心の中にお迎えします」と思ってください。そうしたら本当にあなたは人生が変わります。お祈りいたしましょう。