星に導かれて②
2016年12月18日
参照聖句:マタイ2:1~12
説教題:星に導かれて②
3回続けてのクリスマスメッセージ第2回目になります。聖書の箇所は前回と同じところになります。話の内容は主に「星についての続きと贈り物」について考えてみましょう。2つになります。
①星について
まず先週の話を復習してみましょう。イエス様が生まれてしばらくして東の博士たちがエルサレムに来て、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは東の方でその方の星を見たので拝みにまいりました。」と訪ねてきたところから話は始まります。
東方の博士たちとはエルサレムから東という事ですのでユーフラテス川沿いのメソポタミア(バビロン)地方から来た人々で、天文学者、占星術者、医師、祭司、知者を兼ね備えた人を表す言葉であります。因みに博士はギリシャ語でマゴス(複数形はマゴイになります)英語のマジシャン手品師の語源になっています。
エルサレムから東に遠く離れた博士たちの人数ははっきりしていませんが、何故、彼らは遠い道のりを旅して来たかというと創造主なる神を信じる信仰を持っていました。彼らもまた救い主、メシヤの誕生を待っていたのです。それ故、多額の費用をかけ、膨大な時間を費やし、危険な旅をして千キロ前後の道のりを旅して来たのです。このメシヤ待望から出た彼らの大胆な行動こそが本物の信仰を持っていたと理解する根拠になります。
また星に導かれてきたこの星は私たちが夜に見る通常の星でないことは前回話しました。超自然的な不思議な星でした。何故か。まずこの星は博士たちを西(バビロン)から東(ユダヤ)に動いて先導します。また北(エルサレム)から南(ベツレヘム)に、最後には、ベツレヘムにあるイエスの家の上にまで来てピタッと止まるのです。実に導く星こそ、神の臨在と栄光を現わす星であります。彼らはこの星に導かれてメシヤである幼子イエスとお会いして礼拝したのです。私たちの信仰生活も同じです。自分の考えや願いを優先するのではなくイエス様がお考えになる事を優先して生きるのです。別の言葉では聖霊の導きに従う事です。これこそ栄光の星に導かれる人生であります。
博士たちはメシヤが生まれる事はダニエル書を通して知っていたと類推する事ができます。ダニエル(意味:神は私の裁き主)はイエス誕生前600年に国を滅ぼされ遠くバビロン帝国に連れられた中の一人です。しかし彼は屈辱的な捕らわれの異教的文化の中にあっても真の神への信仰を貫き、人々から信頼され、やがて政治家、預言者として王国が変わっても60年間王様に仕えるようになります。またダニエル書こそバビロンで書かれた書物です。特にダニエル書12章の内、2:4~7:28までは博士たちの公用語であるアラム語で書かれています。
勿論ダニエル書にもメシヤの事が書かれています。ダニエル書9:24~27です。彼らもダニエル書を学び、この書物からメシヤを待ち望むようになったのではないでしょうか。実にダニエル時代から創造主に忠実な信仰深い人々は連綿と600年も続き待ち望んでいたのです。
では何故メシヤの印が星であると考えていたのでしょうか。
民数記24:17。この記事はイスラエルの民がモーセ時代にエジプトから脱出して民族大移動の時に途中モアブで起きた事件です。モーセ達に恐怖を抱いたモアブの王は、自国民が損害を受けると判断し、占い師バラムを雇い、イスラエルを呪ってもらいたいと願い出ます。ところがどういう訳か、このバラムに神の聖霊が下って彼はイスラエルを呪うどころか祝福の預言をしたのです。その一部に民数記24:17メシヤ誕生のことば「今ではないが、やがてヤコブから一つの星が上り、イスラエルから1本の杖が起こり、・・・」と預言として出てきます。星とは杖の事で、杖は王の権威の象徴を現わしています。この素晴らしい預言をしたのが不思議にも占い師バラムでした。更に彼もまたメソポタミア北部のペトルという町の出身であります(民数記22:5)。博士たちが星の出現について理解していたのは民数記を通して知っていたと類推する事ができます。
②贈り物について 10~11
10:彼らは感激の喜びで身震いした。11:彼らは家に入り御子イエスを前にして礼拝を捧げました。そして宝の箱を開けて黄金、乳香、没薬を捧げたのです。これには全部意味があります。すべて大変貴重なものです。黄金は文字通り金です。金は変わらないものです。故に価値があります。乳香は木の表面を傷つけてとる樹液で乳白色になります。香料として用いられる貴重品。没薬は没薬という植物から採取する樹液です。これもまた貴重品で神経の薬、胃薬、うがい薬、また防腐剤として亡くなった人に塗られたものです。勿論イエスがなくなった時にニコデモを通して使われました。旧約聖書の伝統では黄金は王の身分を示し、乳香は神性を表し、没薬は死を象徴しています。実にこれらは全てイエス様に相応しい贈り物でした。イエスこそ真の神であり、王であり、贖いの死を遂げるメシヤである事を明確に表しているのです。
適用
東の国の博士とユダヤの祭司長・学者の違い
真理が分かって行動する人と頭だけで理解して動かない人の違い
4~6を見るとユダヤの学者たちは、ヘロデ大王の質問に対して、預言書ミカ書5:2を引用してメシヤはベツレヘムで生まれると即答しています。でもこんな大きな出来事にあっても全く感動もなく、ベツレヘムに向かう訳でもないのです。信仰が働かない、感動がない、宗教家の姿であります。勉強だけして、実践に生かすのではなく、他人を批判し、裁く事しか関心のない宗教家の姿です。神学の議論ばかりで、内向きになり、外に向かって愛の行動を起こそうとしない人、又は起こせない人の姿であります。
一方、1~2を見ると東の博士たちは、メシヤ誕生を待ち望み、その星を見て危険を顧みず、大きな経済的犠牲を払い、長い時間をかけて危険な旅をし、メシヤを礼拝するために信仰によって行動しています。そしてベツレヘムに止まる星を見た彼らは感激の喜びで身震いしたのです。ついに彼らはメシヤ出会い礼拝するのです。メシヤであるイエスの絶大な価値を知り理解していたのです。
結び
私たちはいかがでしょうか。聖書を知っていても何の感動もなく、愛の実践もせず、隣人に冷たい批判ばかりするようなキリスト者でしょうか。
それともクリスマスの季節にあって今日、聖書を通して主イエスというお方の計り知れない素晴らしさ、愛、偉大さ、価値を知り、あなたの人生をキリストにかけてみようと決断する人ですか。信頼して従う時、主なる神はあなたの人生に100倍の祝福をもって答えてくださるお方である事を悟るでしょう。今から神の臨在と栄光の星に導かれる確実な人生を送らせていただきましょう。