星に導かれて 

2022年12月22日

2016年12月11日
参照聖句:マタイ2:1~12
説教題:星に導かれて 

今日から3回続けてイエス様の誕生にまつわる話をさせていただきます。マタイ福音書のこの場面は良く読まれている聖書箇所で、またクリスマスの聖画を通して慣れ親しんでいるところです。
面白いことを言います。よく聞いてください。
この場面は星に導かれて東の国から来た3人の博士たちが羊飼いと共に生まれたばかりの飼い葉桶に寝ているイエス様を訪ねて礼拝しているところです。もう一度言います。この場面は星に導かれて東の国から来た3人の博士たちが羊飼いと共に生まれたばかりの飼い葉桶に寝ているイエス様を訪ねて礼拝している場面です。今私が話した事は普通何の疑問も感じないでフンフンと当たり前に聞いてしまうところですが。

ところが間違いがあります。①東の国の博士が3人かどうかは分かりません。黄金、乳香、没薬を捧げたと有りますから3人と言ってしまいやすいのですが30人かもしれませんし、300人の大使節団かもしれません。断定はできないのです。また②博士たちは羊飼いと共に礼拝には来ていません。時間差が2年くらいあります。2年後に来たと言う意味です。③この時イエス様は飼葉桶には寝かされていないと考えた方が一般的です。この時イエス様は既に2才になり大きくなっていました。既に歩いているのです。それでは実際聖書は何と言っているかを考えてまいりましょう。

全体の流れから見ていこう マタイ2:1~12
今読んでいただいた内容をさらに詳しく順を追って見ていきましょう。
①ヘロデ大王の時代 1
まず時代背景です。主イエスが人として生まれた時代は残虐な人で有名なあのヘロデ大王がローマの後ろ盾を通してユダヤを王として治めていたころです。ヘロデ大王はイエス様誕生後AD4年に亡くなっていますので、即ち今から2012年前です。後に新約聖書の福音書や使徒の働きに出てくるヘロデという名前は彼の子供や孫たちの事ですので混乱しないようにお願いします。

②東方の博士たちとは 1
東方とはエルサレムから見て東の方です。そうすると今の中国やインド、日本かと思いきや、そうではありません。東に道伝えで行くと千キロ以上離れたバビロン、バビロニア帝国という国です。カルデヤ人とも言い、今のイラクになります。ここから博士たちが数名、あるいは数十名が長い時間をかけて旅をしてやっとの思いでエルサレムに着きました。博士たちとは何の博士でしょうか。実は聖書学者ではなく占星術(星占い)と天文学が一緒になっていることを学んでいる星、天体の学者達でした。

③ユダヤの王として生まれた方を礼拝しに来た
何故、占星術の人たちがメシヤの誕生を待ち望んでいたかを考えると疑問があります。ここがどうもピンときませんね。一体どんな接点があるのか。聖書は星占いなどの占いやまじないと言ったものを忌み嫌います。真理から外れ、悪魔、悪霊が強く働くからです。私達聖書を信じるものは占いしてはならないことは言うまでもありません。ところが彼らは聖書の学問をしっかりと持っていた人々です。彼らがメシヤを訪ねてきたのは星占いの結果ではありません。根拠となったものは聖書のみことばです。特にダニエル書であります。ダニエル書は実はエルサレムで書かれた書物ではなく、ダニエル達が国ごと捕らわれているときにバビロニア帝国で書かれたのです。しかも彼らの言葉アラム語でその多くは書かれたのです。ですから当然この書物は週百年にわたって読まれてきていましたので彼らは確信をもって期待と命がけで旅をしてエルサレムまで来るのです。しかもはっきりした星に導かれてきたのです。
実に彼らはダニエル書や他のみことばを通して彼らはメシヤ、キリスト、救い主(みな同じ意味ですが)が生まれる事を知っており、600年待ち望み、ついにその時がきたのです。

④星に導かれて
ダニエルは紀元前600年頃に、捕虜となってバビロン帝国に連れていかれ、捕虜でありながら60年以上、国の中枢で王に仕えた優れた政治家、預言者であります。ダニエルは神の啓示によってダニエル書をバビロンで書きました。ダニエル書12章の内2:4~7:28がアラム語という言葉で書かれ、他の箇所がヘブル語になります。アラム語は当時の世界で公用語になっていました。ダニエル書9:25ではメシヤ誕生の時について書かれています。ここから彼らはメシヤ誕生を待ち望み求めていたのです。実にメシヤ誕生の600年前のことです。そうすると彼らは600年間待ち望んでいたことになります。連綿とメシヤ待望の機運があったという事が分かります。

更にその印となる星は何か。何故星なのかということが引っかかります。彼らはユダヤの王の星を見て(2節)、導かれて訪ねてきました。調べていくとこの星はバビロンに現れ、東に動いて導きます。ユダヤの王の星は東から西に移動します。エルサレムに着くと見えなくなります。そしてまた現れベツレヘムまで導きます。最後はベツレヘムのイエス様の家で止まります。9~10。この様に自由自在に動く星は通常存在しません。しかし彼らには星に見えたことは確かです。ギリシャ語で星という輝きとか光を意味します。実はこの光を放つ星は、通常の星ではなく、シャカイナ・グローリーまたはシャハイナ・グローリーと呼ばれる神の栄光、臨在の現れである星です。旧約聖書では神が目に見える形をとる時、光、火、雲、輝きとして現れます。博士たちはこの神の臨在の光、星に導かれて千キロ以上の旅をしてエルサレムそしてベツレヘムまで来たのです。また彼らはこの星がユダや王の星である事を、旧約聖書を通して知っていました。この辺は次回になります。

適用
○星に導かれる人生とは
彼らは神の臨在、栄光の星に導かれて千キロ以上の道のりを旅してベツレヘムまで来ました。私たちの人生の旅はどのようなものでしょうか。自分の考えだけで行動するのでしょうか。長いようで短い人生であり、又短いようで長い人生でありますが、主イエスの心に導かれて行動する事が確実、最善の人生の旅であります。いつもイエス様のこころと共に人生の旅をさせていただきましょう。

結び
創造主によって命が与えられていることを信じ、また自分が創造主の前に罪人であることを認めた上でイエス・キリストが私の罪の為に死んで、葬られ、三日目によみがえられた救い主と信じたら無条件で救われます。即ちキリストに接ぎ木され、キリストの聖霊を受け、キリストの新しい永遠の命を受けるのです。これこそキリストの福音、良い知らせです。是非罪人の救いの為に来られたイエスの福音をそのまま信じて新しくされる人生を歩ませていただきましょう。そして神の臨在なる星に導かれる確実な人生を送らせていただきましょう。