あなたは新しい年をどう生きるか 

2022年12月22日

2016年1月1日
参照聖句:ローマ12:1~2
説教題:あなたは新しい年をどう生きるか 

少し昨年を振り返ってどんな1年であったかを考えてまいりましょう。
世界の流れを見るとアメリカが独り勝ちしていた時代が終わり、中国が経済力、軍事力伸ばして露骨に行動するなりようになりました。アジア、ヨーロッパ諸国ではテロ事件が頻発し、多くの人が犠牲になっています。またシリヤ難民をはじめとする難民への課題は大きなものであります。日本も国際社会の一員として対応を迫られる時代になっています。

日本に目を向けると、安全保障関連法案が国会で可決され、自衛隊を世界中に派遣する事が可能となり平和を守ると称して戦争が出来る国になってしまいました。韓国とは慰安婦問題で両政府が合意し、一歩前に進むことになりました。戦後70年の大転換であります。しかし国民の平均所得も下がり続け、所得格差が大きくなっています。持つ者はますます富を増やし、持たざる者は益々貧乏になっていく社会です。私たちは一市民として常に政治に関心を持ち発言する必要があります。

本庄キリスト教会の1年を振り返るとどんな事があったでしょうか。昨年は二人の方が主のもとに召され、2人の方が洗礼を受け新しい歩みを始めました。因みに今年は中高生3名の洗礼式を予定しています。3月の召天者記念礼拝に多くの方が出席して礼拝を捧げました。夏には森谷正志牧師を迎えて基本原則の学びの集いを行いました。「ちいろば」の皆さんが主体となりバザーを2回行い教会債返済の為に貢献されました。クリスマス礼拝関係では新しい方が来られ今年に繋がる礼拝となりました。昨年始めた生活支援ネットワークの会員が18名になり協力者が増え、食品等を沢山献品していただき感謝します。お蔭で必要としている方に差し上げる事ができました。小さな働きですが主の愛の業としての働きが少しずつ進んでいます。常に教会は課題が多くありますが2016年も神の家族共同体として互いの足りない所を補い合い、支え合って共に歩んでいければと願っています。キリストにあってこの地域の繁栄の為に生かされてまいりましょう。

さて、一つ質問します。キリスト教会の歩みの中で基礎となるものは何でしょうか。いかがでしょうか。色々あります。一つは聖書理解を深める事。常に聖書が何と言っているかを探り求め、その示すことに従って生きるのが私たちキリスト教会の生命線です。なぜそのような、分かり切っているようなことを言うのかと申しますと、意外に私たちは聖書を読んでいないし、読んでいても聖書が教える意味を理解していないことが多いのです。これは私を含めてです。その故にキリスト信仰をこんなものかと物足りなさを感じる事が多くあります。
これではいけないと思い私は小グループで聖書を読んで考える集まりを大切にしています。この学びがないと信仰の成長がストップしてしまいます。そしていつの間にか聖書が教える信仰生活からはかけ離れた信仰になる場合があります。その代表例は、聖霊の力に励まされつつ信仰の歩みをするのではなく、自分の努力や頑張りで神に喜ばれようとする信仰生活です。これを少し難しい言葉で律法主義の信仰と言い、まじめな信者が多い日本人に多く見られるのがこのパターンです。

今日はキリストにある成長に欠かすことのできない聖書箇所から学んでいきます。
○そういうわけですから兄弟たち
どういうわけとはローマ人への手紙1章からこの前の箇所でいっている内容全部が含まれます。
即ちイエス・キリストが十字架で私たちの罪の身代わりとなり死んで、葬られ、三日目によみがえり、今も生きておられます。これを信じたら救われる(罪の赦しと永遠の命を受ける)ので福音、良い知らせと言います。これは恵みにより、信仰によって与えられる救いです。キリスト信仰の最も中心の部分です。
この救いには3つの側面があります。①信仰義認。過去形の救い。人は恵みにより信仰によって救われる。②聖化、現在進行形の救い、救いを受けたら性格が少しずつイエス様に似てきます。③栄化、未来形の救い、やがて私たちの体が死なない栄光の体に変えられる時の事、あなたや私の地上生涯が終えてイエス様の御許に帰る時、又はイエス様の再臨する時に起こります。ローマ8まで。9~11章では、今イスラエル人はキリスト信仰を持つ人が少ないのですが、やがて終末時代になると民族的な救いを受けると教えています。最後に創造主の計り知れない深い御計画を覚えて主の前にひれ伏して礼拝し、栄光を神にお返ししています。以上を踏まえ神の大きな恵みを覚えつつ「そういうわけですから」と言って次にキリスト者の新しい生き方を述べています。

○お願いします。ここからパウロの勧めが語れられる。
・神の憐れみのゆえに。この憐れみは複数形です。多くの憐れみがあるという事です。例えば、私たちを信仰によって義として、心の内に聖霊を与え、救いを授けて下さった事、毎日一方的な恵みを下さる事、神の御心に喜んで応答する者にしてくださった。このように多くの特権と祝福を神から受ける事を「神の憐れみ」と言います。
・原語では「お願いします」という言葉から始まります。この意味は幅広く、懇願する、願う、慰める、励ます、勧める、呼びかけるという非常に強い意味があります。
○あなたがたのからだを生きた供え物として捧げる
・からだを捧げる・・・自分が犠牲になり「いけにえ」になる必要はありません。自分の全存在を。
・きよいとは・・・・神の為に別にとっておくことをここで聖いと言っています。
・生きた供え物としてささげなさい・・・旧約聖書時代のように動物を殺し、血を流して捧げるのではなく、自発的に自分の人生が主に喜ばれるように生き方をする事です。
○結論の部分 霊的な礼拝です。
ここは意味が伝わらない聖句です。
・霊的な・・・これはロギゴス。何かと発音が似ていませんか。そうですロゴスです。日本語では言葉、事柄、計算、勘定する、決済、合理的な理由、動機、関係、割合、類比、当時の宗教用語として生まれる前から存在しているキリスト等様々な幅広い意味があります。
・礼拝は・・・神に仕える、奉仕、献身する、礼拝するという意味です。
これらを踏まえて言いかえると、「私はあなた方に懇願します。自分の全存在をもって神に喜ばれるよう生き方をしなさい。この生き方こそが、考え抜いた結果として最も道理に適っているすべてのキリスト者の生き方です」とパウロは強く勧めているのです。
そうするとこの聖書箇所の勧めは牧師や伝道者になる人に対してではなく、全ての信者に語り掛けている事が分かります。自分の全存在をもって使命に生きる事が真の礼拝者の生き方です。新しい年もこのみことばを受け止めながら歩んでまいりましょう。

適用 あなたは今日のみことば対してどのように答えるか。
献身するとは特別な一部の人がするのではなく、私たち全員に対する神のメッセージです。
2016年も聖書のみ言葉に心と耳を傾けて主の恵みに応答してイエスに献身する者と変えられてまいりましょう。これこそ最も道理に適っているもっとも普通の生き方です。お祈り致します。
暗唱聖句