エペソ人への手紙(5)

収録日:2025年12月28日分

聖書箇所:エペソ人への手紙2章11~23節

説教題:神の家族として生きよう

内容

神の家族として共に生きよう エペソ2:11~22      2025年12月28日

会場の皆様おはようございます。いよいよ2025年最後の礼拝となりました。ライブ配信をご覧の皆様おはようございます。いつも大勢の方が見てくださって大いに励まされています。前回は調整失敗してしまいました。期待していただいたにもかかわらず配信できず申し訳ございません。今週火曜日に配線工事をしてくれることになりました。尚今日のメッセージは翻訳機能付き多言語でホームページに掲載されていますので必要な方がご覧くださいませ。

今までエペソ人への手紙2章10節迄学んできました。そこで最初に質問です。あなたがキリストの救いを得たのは何か良い事をしたからですか、あるいは救われるに値する素晴らしい人間だからですか。そうではありませんね、私たちは生まれながらの罪人で、神の前には救われるに値する良い所がない存在です。そして、この世の流れ従い、空中の権威を持つ支配者である悪魔に従って生きていたのです。でも神は私たちに対し、いつもあわれみ深く、恵み豊かなお方なので、私たちはただイエスを救い主と信じる信仰によってのみ救われたのです。

ただ、私たちが救われるために良いわざ(行い)は必要ありませんが、救いを受けた後は良いわざに励むことを神は求めています。それは主イエスのように隣人への愛に生きる事です。そして良いわざ(行い)をする力も神は備えてくださったのです。

さて今日は11節からです。今日の聖書箇所は3つに分けられます。
●「ですから」10節迄のまとめの文章ですね。11節と12節は私たちのかつての姿が書かれています。もともと神の前に選ばれた民ではない「異邦人」で、真の神を知らない、また神のみこころから遠く離れた無割礼(神との計画から遠く離れた存在)のものと見なされ、創造主なる神を知らない存在でした。

●「しかし」13節~18節でイエス・キリストが私の罪の身代わりとして十字架に掛かって死なれ、復活したことによって私たちが神に近づく道が開かれました。
かつては神と遠く離れた私たちですが、イエスを救い主と信じ、イエスの十字架の血潮によって、神に近いものとなりました。そして、今既に、イエスとつながり一つとされイエスの内にいるのです。そして新しい命と平安を受けているのです。ここは一番大切ですね。こうして私たちは神との平和な関係を築くことが出来たのです。(14節、15節、17節)こうして対人関係も平和な関係を築く土台ができるようになりました。

これは18節にあるように見えないところで御霊(聖霊)なる神の働きによって大胆に神に近づくことが出来るようにされました。

●「こういうわけで」19節~22節がまとめの文章になります。
旧約聖書時代の律法には他国人や寄留者を大切にするような勧めがありますが、今やキリスト教会においては、キリストを信じて救いを受けた者(この世から聖別された者という意味で聖徒と言います)は、すべての民族的な差別を全て乗り越えて、すべてがキリストにあって一つ神の家族とされたのです。
また、私たちには、それぞれ肉の家族(血縁関係)があります。同時に霊の家族もある幸いな立場に置かれました。これが神の家族であります。ですから互いに無関心になるのではなく、祈り合い、助け合う関係を持ちましょう。すべての兄弟姉妹が意識して互いに祈り合い、助け合う関係です。

20:キリスト教会の根拠となる土台は使徒(12使徒+パウロ他数名)と預言者(新約時代の預言者、神のことばを受け大胆に語る人)、新約聖書と言い換えることもできます。
そして最も重要なのは礎石(要の石)である主イエス・キリストです。このキリストを基としてキリスト者相互の愛によって立て上げられていくのです。ちなみに要の石とは、例えばアーチ状の橋を作るとします。この時、最後に置く石を、keystone、又は要石、礎石、楔石と言います。

21:キリストの内にある私たちの相互の愛のわざによって教会という建物全体が組み合わされていくのです。22:これこそが聖霊なる神の導きと働きであり神の御住まい(みすまい)となるのです。聖霊は私たちの内に住んでくださるだけでなく、キリストの名によって集まるここにもおられ、礼拝を導いてくださいます。これが本物のキリスト教会の姿であります。

今日のメッセージから

今日はここまでですが、最後に一つ考えてまいりましょう。
①今日の聖書箇所から、あなたは何を、どのように感じましたか。

②今日の聖書箇所から、神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。

③今日の聖書箇所からあなたが、今から、実行に移せることは何ですか。

④今日の聖書箇所と関連した個所や聖句があったら書いてみよう。

実は初代キリスト教会の礼拝は使徒や指導者が一方的に説教するのではなく、むしろ皆さんで考えて語り合うのが基本的な礼拝スタイルです。驚きましたか。本庄教会でも木曜日や土曜日にやっている聖書を読む会や基本原則の時にしているスタイルが聖書時代の礼拝の在り方に近いのです。

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