コリント人への手紙第一(59)

収録日:2025年9月7日

聖書箇所:コリント人への手紙第一13章8~13節

説教題:信仰 希望 愛

内容

会場におられる兄弟姉妹の皆様おはようございます。9月最初の日曜日を迎え、今日はパン裂き礼拝です。主イエス・キリストは私たちの罪の為に十字架に掛かって死なれ、墓に葬られ、三日目に栄光の体をもって復活し、今も生きておられます。この御業を覚えるパン裂き(主の晩餐ともいう)を行います。パンとブドウジュースを通して主イエスによる罪の赦しと新しい命を受けている事をお祝いする記念礼拝です。私たちの教会では月の初めに行っています。

又、ライブ配信をご覧の皆様お元気ですか。日本国内や海外の皆様と共に礼拝をささげる恵みを感謝します。時々「見ていますよ」と声かけもいただき、有難い事です。

さて、今日は「御霊の賜物」シリーズ5回目です。「信仰、希望、愛」。前回は神の愛(アガペー)こそ最も優れた賜物で、キリスト者はこの11の愛に生きるべき事を学びました。

この愛(アガペー)は男女の恋愛(エロス)とは違います。自己中心の面が強く、条件が変わればすぐに消え去るからです。又、親子の愛(フィリヤ)や友情とも少し違います。私たちが求める愛は、条件付きの愛や見返りを求める愛ではありません。どこまでも一方的な愛、無償の愛であり、この愛の実践を100%達成した人は誰もおりません。
唯一この愛に生きたお方が人となられた唯一の神、主イエス・キリストだけであります。故にイエスの生き方を通して神の愛がどのようなものか具体的にわかります。

8~9:今日は8節からです。ここは永遠性における賜物の比較が書かれています。
聖書によると、愛は決して無くなりません。私たちが天の御国に移されてもずっと続きます。13節に信仰と希望と愛はいつまでも残るとあります。故に私たちがキリスト信仰に生きるなら、この3つ(①神と隣人への愛、②いつも主に信頼していく信仰、③どんな時でも可能性しかないと確信して生きる希望)を大切にします。特に一番優れている愛を大切にします。

ここでパウロは、絶える事のない愛と比較し、他の賜物である預言(啓示を受けて神のことばを語る)なら廃れる。又異言(神への賛美や祈りを意味不明のことばでささげる)なら止みます。そして知識(誰からも教えられていないのにわかってしまう神から来る特別の能力)なら廃れます。これら3つは素晴らしい賜物ですが、神について一部分しか教え示してくれません。

例えば預言の賜物は、神の御性質、御業、約束について教え示してくれますが、長い目で見たら一部分しか教え示してくれません。知識の賜物も人の状況を特別に知らされますが、すべて知る事は出来ません。異言についても神への賛美は一部分にしかすぎません。
でも愛は決して絶えることがない最も優れたものだとパウロは述べています。

参考までに一つ申し上げます。ある人々は8節を引用して、新約聖書27巻が完成した時点で、「預言や異言の賜物はなくなった」と教えます。だから今この賜物はないというのです。
私も以前その考えに立っていましたが、ここは愛との比較を述べている箇所で、キリストの再臨迄の限定的期間(10節)の事をのべているので、現代は廃れて無くなったという解釈は不自然です。キリストの再臨迄は、預言も異言も知識の賜物もそのまま残っていると解釈するのが無理のない解釈だと思います。
10~12:賜物比較の理由
10:完全なもの(主イエス・キリストの再臨)が現れたら、部分的なものはすたれる。
今はイエス・キリストが再臨していないので、イエスとの関係、信頼を深める為に預言や異言、知識の賜物が与えられています。これらの賜物によって更にイエスご自身を深く知るためです。それが御霊の賜物ですが、神の視点から見ると一部で、イエスが再臨した時に預言も異言も知識の賜物もすたれるのです。

10節で完全なものが現れたら(すなわちキリストの再臨の時)不完全なものが廃れる理由をパウロは2つの例を示しています。子供と大人の関係、子どもの時は子どものように語り、子どものように考え、子どものように論じるが、大人になった今はそのようなことはやめた。

11:御霊の賜物によりイエス・キリストについて語りますが、天においては幼稚である。一部を論じているだけだから。しかし、キリストの再臨以降、天ではイエスがおられるので大人の知識に基づいて会話をする。このように使徒パウロは大人と子どもの関係を例にして示しています。

12:もう一つのたとえは鏡です。パウロの時代は現代のガラスのようにはっきり見える鏡はなかったと思われます。金属を磨いて作るのでぼんやりとしか見えませんが、でも、その時(キリストの再臨)にはキリストと顔と顔を合わせて見るので、キリストにより完全に自分が知られているように、私達も完全にイエスを知る事が出来るのです。

そんなわけで、預言や異言や知識等の賜物は、キリスト再臨時迄の限定的な賜物であり、しかも一部分である。しかし、神から来る愛(4節~7節の11項目)は決して絶えることはない。そのことをパウロは子どもと大人の関係、鏡を例にして示してくれました。

13:結びの部分
いつまでも残るもの(キリストの再臨以降も残るもの)が3つあるとパウロは示しました。私たちが天の御国に移っても残るものです。①信仰、②希望、③愛。その理由は天国に移されても私たちは神を信頼します。又、お互い兄弟姉妹を信頼します。天においても神への希望(期待)はずっと続きます。そして三番目、神を愛し人を愛する愛は天国でもずっと続きますし、変わりません。そして愛が最も優れているのです。

今週も、私を愛し、私の為に十字架に付き、罪の身代わりとしての御業を成し遂げ、死からよみがえられたイエスを見上げて歩んでいこうではありませんか。私たちが信仰と希望に生きる時、キリストの愛は強く働き、私たちを愛に生きる人に変えてくださるのです。信仰、希望、愛、その中で一番優れているのは愛です。

◉教会成長に欠かせない今日のメッセージから次の事を考えてみましょう。
① あなたは今日の聖書箇所を読んで何をどのように感じましたか。
② あなたは今日の聖書箇所を通して神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。
③ 今日の聖書箇所を通してあなたが、今から実行に移せることは何ですか。
④ 今日の聖書箇所と関連した個所や聖句があったら教えてください。

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