
聖書箇所:マタイの福音書5章43~48節
宣教題:自分を迫害するものの為に祈れ
おはようございます。早くも7月最後の週を迎えキリストの再臨がまた一週間近づきました。
ライブ配信で礼拝参加している日本国内や海外の皆様もおはようございます。毎回40名位の方が共に礼拝をささげて下さりありがとうございます。
それでは、今朝も続けて「イエス山上の説教」から学び、私たちがもっとキリストに似たものへと変えられたいと願っています。又、今日のメッセージ原稿も本庄キリスト教会HP、http://honjochrist.church外国語自動翻訳機能付でUPされていますので是非ご利用ください。
イエスは、人々に山の上で8つの幸いを語りました。心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです(マタイ4:3)から始まる話でした。これは私たちの立場や状態に関係なく与えられる幸せです。続いてキリストを信じる人は「地の塩」「世の光」であるから、その立場を自覚して生きよとイエスは励ましてくださいました。
次にイエスは、当時の人々が間違って理解していた6つの言い伝えを、聖書の視点から正しく示されました。それは「殺してはならない」「姦淫してはならない」「妻を離縁するものは離縁状を与えよ」「偽って誓ってはならない。あなたが誓ったことを主に果たせ」「目には目を、歯には歯を(復讐)」でした。今日は最後の「あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め」という言い伝えに対してイエスの解き明かしです。
その前に38節「目には目を、歯には歯を」について前回さらりと流した感じなのでもう一度考えます。このことばは出エジプト記21:24(137頁)にある法律で、目を傷つけたら、目を償いなさい。という勧めで、復讐の勧めではありません。137頁読んでみましょう。
ところが、私たち罪人の心は、やられたら、やり返せという気持ちが強くなり、復讐心が大きくなっていきます。これに対してイエスの勧めは手向かうな、あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けよ。下着をとる者には上着も与えよ。1ミリオン(約1500M)行けと言われたら2ミリオン行け。求めるものには与える。復讐するのではなく、むしろ積極的に人を愛しなさいとイエスは勧めました。そしてその通りにイエスは生きられたのです。故にイエスの言葉は重みがあります。しかし、この通りに生きたら社会の常識や正義が成り立っていかなくなり、かえって悪い人が増えるのではないかと考え、批判する人もいます。しかし、イエスの言葉通りに生きるがゆえに社会の悪が正される場合もある。わたし達、天の御国の民は神の主権を信じるがゆえにイエスの言葉をもう一度真剣に受け止める必要があります。
では、なぜイエスはこのように語られたのでしょうか。それはイエスがこのように語られたほど当時の人々は貧しく、また厳しい環境の中で生活していたのです。今の日本も段々と豊かな人と貧しい人の差がはっきり分かれつつある時代になってきました。それ故にこのイエスの言葉を聞いて、単にこんな事できるはずがないといわず、また自分の権利や所有物に固執することなく、
43:「あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め」レビ記19:18(212頁)ではあなたの隣人を自分自身のように愛しなさいと勧めています。「あなたの敵を憎め」とは聖書のどこにも勧めてはいません。でも当時の人々は口伝伝承(言い伝え)で教えられ、宗教指導者達からこのように聞いて教え込まれていたのです。こうして半分は聖書の教え、半分は宗教指導者たちから教えられた事を、あたかも真実かのように人々は教えられていたのです。
44:これに対しイエスは聖書の真理を人々に解き明かします。隣人を愛する愛は、自分に対してよくしてくれる人ばかりではなく、自分の敵を愛するものです。
ところで敵とは誰の事でしょう。これは自分から見て敵という意味ではなく、自分を敵と思っている人の事です。あなたの存在を「憎んでいる」「侮辱している」「迫害する」。そのような人を愛せよと言っています。主はすべての人を好きになれと要求しているわけではなく、たとえ好きになれなくても、その人を愛し、その人の為に祈れとイエスは勧めているのです。
これを自分はできないと決めつけるのは簡単です。でも聖書を開くと愛に生き、自分を迫害する者の為に生きた人がいるので勇気付けられます。①ダビデ。彼はサウル王に嫌われ命を狙われました。しかし彼はサウル王を立て、彼が亡くなった時「サウルは愛される立派な人」と追悼しています。②主の僕ステパノ。彼は自分を迫害し殺した人たちをとりなし、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と言い残し、殉教の死を遂げました。③パウロも自分に反対する自分の同胞を愛した(314頁・ローマ12:14)。④イエスは人でもあります。イエスは人々の妬みにより十字架にかかって死ぬときに「父よ、彼らをお赦し下さい」と、とりなしています。
45:それこそが、天におられるあなた方の父の子供にふさわしい生き方であるとイエスは言います。何故なら父なる神は人をえこひいきせず、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、雨を降らして下さるお方です。
46~47:自分を愛してくれる人を愛するのは当然です。その例として取税人や異邦人を挙げている。それは何の報いもありません。あなた方が軽蔑している取税人でも自分を愛する者を愛している。自分の兄弟にだけ挨拶するなら異邦人でも同じことをしているでしょう。
48:結び 完全であれ。私たちの父なる神は完全です。6日間(1日24時間)で全世界を創造し、保持しておられるお方です。しかし私たちは、罪人であり、神の前に完全になることはできません。完全というのは、完全無欠で、全く失敗のない人であれという意味ではなく、むしろ「成熟した」、「安定した」、「十分に成長した」、「大人の」という意味です。
結果として、完全な人はどう生きる人か。それは神の計画と神の御心を求め、心を開いて、主を待ち望み、ひたすら主のみ前に生きる事です。私達の最終目標は私たちが生き方や、考え方が、キリストに似たものとされることです。是非私達も主イエス・キリストの前に生きるものとして成熟を求め、今日も、明日も、今週も、今月も、今年も命の限り歩んでいきたいと願っています。
◉今日のメッセージから次の4つの事を考えてみましょう。
① あなたは今日の聖書箇所を読んで何をどのように感じましたか。
② あなたは今日の聖書箇所を通して神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。
③ 今日の聖書箇所を通してあなたが、今から実行に移せることは何ですか。
④ 今日の聖書箇所と関連した個所や聖句があったら教えてください。
