キリストの福音に生きよう⁑2025.4.20

聖書箇所:コリント人への手紙第一15章1~6節
説教題:キリストの福音に生きよう

 おはようございます。そして、イースターおめでとうございます。この日にキリストの復活をお祝いし、礼拝を捧げる恵みにあずかり感謝します。又、ライブ配信で参加の兄弟姉妹、病気療養中のあなた、フィリピンやブラジルから参加している兄弟姉妹もおはようございます。そしてイースターおめでとうございます。今日もお会いできることを感謝いたします。 
 
さて、イエス様は棕櫚の日曜日(Palm Sunday)のエルサレム入場から始まり、中身の濃い5日間を過ごされた後、木曜日の夜中に捕らえられ、ユダヤ最高法院(国会に相当)の尋問を受け、死刑にされる方向へと追い込まれます。当時ユダヤはローマ帝国に支配されており犯罪人を死刑にする権限を持っていないので、祭司長、律法学者たちは、翌日(金曜日)早朝、総督ピラトのもとへ連行して有罪判決を強く求めました。
ついにピラトはイエスに死刑判決を下しました。イエスはピラトの官邸から十字架(多分横木だけ)を担いで、処刑場(ゴルゴタ=どくろ)(ラテン語でカルバリ)迄向かいます。これが有名なヴィア・ドロローサ(悲しみの道)ですね。500メートルぐらいの距離を歩いたようです。

いよいよ処刑場に着いたイエスは、十字架(木を組み合わされた)に、手と足にくぎを打たれて磔つけにされました。この時点でイエスは苦しみの極みにあります。朝9時から午後3時迄、実に6時間もの長時間、ずっと極度の苦しみの中にいたことになります。そして、午後3時に十字架の御業の完了を宣言して息を引き取りました。全部私たちの罪を赦すためです。前回はここまでを皆様と共に考えました。

後にイエスは、金曜日の午後3時から日没までの間に、アリマタヤのヨセフ達によって亜麻布で包まれ、岩に掘った墓に納められました。土曜日を迎えます。この期間イエスは何をしていたか?そうです。よみ(死者が集められているところ、囚われの霊たちのいるところ、サタンたちの為に備えられた場所)に下り、十字架の死による罪の赦し勝利の宣言をした(Ⅰペテロ3:19)こうしてイエスは週の初めの日曜日早朝、栄光の体で、人が肉眼で見える形で復活したのです。私たちにとってまさしく福音、良い知らせであります。そこで今日は私たちの信仰の源であるキリストの復活、福音にともに理解を深めていきたいと思います。

兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。コリント人への手紙 第一15章1節

私達には克服できない事があります。①心の中にある罪。犯罪や、事件を引きおこす事よりも、私達の心の中にある恨みや妬み、高ぶり、ごまかし、冷たい心、自己中心、不品行です。すべての人の心に生まれながら存在する悪です。修業を積んで立派な人になっても、道徳的に立派な人であっても、悟りを得ても、キリストの救いを受けても、罪を消し去ることは出来ません(罪は赦されるものだからです)。聖書によると全ての人が神の前に罪人(的外れ)です。それは、人を創られた創造主に背を向けている生き方です。誰もが死ぬまでこの罪を持ちながら生きるのです。

②死の現実。最近、私の周りで高齢の兄弟方が続けて3名亡くなりました。生まれて初めての経験です。人が死に対して無力であることを思い知らされました。当たり前ですが、私も含めすべての人に地上の生涯が終わる死の現実が待っているのです。例外はありません。
 
さて、この聖書箇所は、パウロがコリント教会の信者に宛てた手紙ですが、彼らが忘れかけていたキリスト信仰の本質、キリストが復活した事実をもう一度問いかけています。そしてキリストの「福音」こそ、キリスト信仰の根本であることをコリント教会の信者に、キリストにある生き方を強く語りかけています。同時に、この福音こそ、私たちが克服できない罪と死の問題を解決する力であり、カギであります。

では福音とは具体的に何か?それは、キリストが私たちに対してしてくれた御業で3節から、①私たちの罪の為に死なれた事、②墓に葬られた事、③三日目によみがえられた事です。この事実を信じたら救われる。即ち、罪の赦しと永遠の命を受ける。そのまま全部私達に適用できます。このキリストの十字架の死と復活こそが福音、良い知らせであります。多くの日本人はキリストの復活の話になると、馬鹿するので人生が変わりません。損しています。

 しかし、キリストの十字架の死と復活の御業は歴史の事実で、信じた人の人生は確実に変わります。何故、断言できるのか。実は私も52年前に生まれて初めて聖書を読み福音を信じて救いを受けました。直ぐに私の心に変化が起こりました。救いを受けた以降、復活のイエスの命が、私の内に入ったので、死に対して大きな恐れはありません。また肉体は死んでも、やがてイエスと同じ栄光の体に変えられ、イエスのもとに行きます。そうです。死は私にとって大きな恐れではなくなったのです。かつて自分がどこから来て何処へ行くか分からず、死の恐怖で一杯だったのとは大きな違いです。

また、心の中の罪について、人は誰も克服出来ません。どんなに修行しても心の中の罪は消えません。キリストの救いを受けても罪は消えません。しかし、罪のないキリストが私の罪の為に十字架上で砕かれ、ご自身の命を代価として差し出し、死んで葬られ、よみに下り、三日目に復活し、罪の負債を帳消しにしてくださいました罪はなくなりませんが赦してくださったのです。
私もキリストの復活を信じた故に罪赦され、罪の力から解放されました。自分の力で罪を克服する事はできませんが、神に赦され解決したのです。そして生きる目標はキリストに似たものとされることです。

私の生き方は、キリストの福音を信じて生きること、それは固い、暗い、つまらない人生から、「明るく、元気に、伸び伸びと」した人生に変えられたことです。これはキリストの福音(十字架の死と復活)のお陰であり、キリストの福音を信じる信仰によって受ける変化です。
今、私は福音を通して受けた大きな恵みを隣人愛の実践で外に向かって表しています。それこそが私の人生最大も喜びです。是非あなたも今も生きておられるキリスト、この福音のことばを受け入れ、救いご自分のものとしてください。

●読者の皆様、最後に次の事を考えてみましょう。
① 今日の聖書箇所から神があなたに語りかけていると思う事は何ですか。
② 今日の聖書箇所からあなたは何をどのように感じましたか。
③ 今日の聖書箇所を通して、あなたが実行に移せることは何ですか。
④ 今日の聖書箇所と関連した聖句はありますか。

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