
聖書箇所:使徒の働き11章19~30節
説教題:キリスト者と呼ばれて
おはようございます。3月第3週を迎え、主への礼拝を皆様と共に捧げる恵みを感謝します。ライブ配信で参加している兄弟姉妹の皆様、病気療養中のあなた、フィリピンやブラジル、ヨーロッパの国々から参加しているあなたもおはようございます。あなたの礼拝参加をとても嬉しく思っています。ライブ配信は本庄教会以外の方も含め30人前後の方がご参加くださりとても嬉しく思っております。これからもよろしくお願いします。ただ先週はライブ配信に失敗し多くの皆様にご迷惑をおかけし申し訳ございません。
報告ですが、本庄教会では高齢の兄弟方3名が続けて亡くなりました。3月5日重昆兄、6日長岡兄、11日谷矢兄が主のみもとに召されました。お二方の葬儀は既に執り行われ、明日、本庄教会で谷矢兄の葬儀を11時半に執り行います。是非ご参列くださいませ。ご家族の上に主の慰めが豊かにありますようお祈りいたします。埋葬式(納骨)はそれぞれ日を改めて行う予定です。
さて、2月16日から①教会②バプテスマ③献金について考えてまいりました。今日は④「キリスト者と呼ばれて」というテーマで考えてまいります。
今日の聖書箇所は、初代キリスト教の歴史が書かれています。イエス様は弟子たちに「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えよ」続いて「聖霊があなた方の上に望む時、あなた方は力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、地の果てまで、わたしの証人となります」と宣教命令しています。この言葉を受け弟子達はイエスの福音を伝えました。どんな形で広がったか、意外にも迫害によるものでした。(使徒の働き6章~11章19節)
始まりはステパノが喜びあふれてキリストの福音を伝えるので、周りの人々は妬み心から迫害するようになりました。結果的にステパは殉教の死を遂げ、エルサレム教会に対する迫害は激しさを増す一方です。結果的に使徒達は迫害によりユダヤ、サマリヤ地方へと散らされて行きますが、彼らは町々で福音を伝え、至る所で救いを受ける人が起こされ逆に広まっていきました。
19:キリストが天に挙げられた後10年~20年が過ぎ、ステパノ事件以降、キリストの福音はイスラエル以外の地域にも広がって行きます。フェニキア、キプロス、アンティオキア(ローマ帝国内の大都市、今のシリア)。でもユダヤ人は異邦人との交流を避けて(汚れた民だと考えて)おり、異邦人にはキリストの福音を伝えませんでした。
20:ところが、散らされた信者の中のキプロス人とクレネ人(今のリビア)がアンティオキアに来ると、ギリシャ語を話す人達にも主イエスの福音・良い知らせ(十字架の死と復活の御業)を伝えたのです。こうして福音は異邦人(ユダヤ人以外の民族)にも伝わっていったのです。
21:主の御手が彼らと共にあった(良い言葉ですね)これは彼らが主の御心に叶った生き方をしていたので、主の御霊(聖霊)大いに働いてくださったという意味です。結果的に大勢の人がイエスを信じて主に立ち返った(人が救われ新しい命を受けた)。
22:異邦人の大都市アンティオキアで信者が増えていった事がエルサレム教会の指導者に知らされると、彼らは、人格的にも、信仰的にもすぐれた指導者バルナバ(慰めの子)を派遣して状況確認しました。ここからユダヤ人以外の異邦人教会が世界で初めに設立されました。
23:バルナバはアンティキア教会の様子(彼らの上に神の恵みが満ち溢れている)を見て、
異邦人であってもユダヤ人と同じ信仰だと確信して喜び、心を堅く保っていつまでも主にとどまっているよう皆を励ました(※キリストにより近く、より親密にとどまる)
24:バルナバは立派な人で聖霊と信仰に満ちた人です。結果として大勢の人たちが主に導かれた。※日本では何故救われる人が少ないのか?私達が聖霊と信仰に満たされていないからともいえます。今こそ日本人クリスチャンの生き方が問われています。自分勝手で愛のない生活をしていたら、世の中の人達は見向きもしません。バルナバのような生き方をしていきたいと願います。彼は慰めの子と呼ばれているように非常に優しく面倒見が良い人物だったと思われます。
25~26:彼はサウロ(ユダヤ名)、後のパウロ(ラテン語⇒ギリシャ語・小さき者の意)を探しにタルソ(アンティオキアから西に200km離れた町)に行き、彼を見つけアンティオキアに連れて来た(面倒見が良い一面が現れている)。こうして彼らは一年間大勢の異邦人信者を教えた。この教える事が大切ですね。教えないと信仰は成長しませんから。
※注目はここで初めてキリスト者(ギリシャ語でクリステァノス・英語でクリスチャン)と呼ばれたのです。教会がエルサレムから始まり10年~20年後のこのように呼ばれるようになった。それまで、ナザレ派とか、この道の者と呼ばれていました。
この様にキリスト者ということばは、周りの人達が彼らの生き方を見て呼んだのが始まりです。※キリストに取りつかれてしまった感じの人というようなイメージで軽蔑した意味が込められているようです。そこまでアンティオキア異邦人教会の信者たちは「イエスの心を自分の心として生きていた」のです。周りの人々のあざけりの言葉かもしれませんが、彼らにとっては名誉ある呼ばれ方です。私達もクリスチャンの名前に恥じない生き方をさせていただきましょう。
27~30:ここにはキリスト者の具体的な生き方が示されています。預言者は神のことばを預かって語る人。ここでは未来に起こることを語る人々です。今、聖書全体は完成していますが、それとは別に神のことばを預かって語る預言の賜物を持つ人が今もおられます。ここではアガボという預言者が登場します。大飢饉を預言しましたが、ローマ皇帝クラディウス(在位AD41年~54年)の時代に大飢饉が起こりました。
その時アンティオキア教会の人々は何をしたか。それぞれの経済的な力に応じ、ユダヤに住んでいる兄弟姉妹たちに救援物資を送ったのです。これは現代版能登半島被災地支援や子ども食堂支援も当てはまりますね。
このように、キリストにより近く、より親密にとどまる生き方。それがキリスト者の生き方です。
●今日はここまでですが、皆さん如何でしたか。4つの事を考え書いてみましょう。
①今日の聖書箇所を通して神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。
②今日の聖書箇所を読んで何をどのように感じましたか。
③今日の聖書箇所を通してあなたが、今から実行に移せることは何ですか。
④今日の聖書箇所と関連した個所や聖句があったら教えてください。
