
限界集落と限界教会
先週、能登志賀町で神社で石塔回収の手伝いをしていた時に、古老の方が「この地区は限界集落なんだ」と話していた。
浄土真宗の寺もかつては27軒の檀家であったが今は20軒に減ったそうだ。ご住職は代々、学校の先生をしながら生計を立てているとの事でした。
以前輪島市のお寺さんで片付けした時も同じような話でした。檀家の減少と共に、やがて村も寺も無くなってしまう。これが日本国の地方の現実です。
一方日本のキリスト教会はどうだろうか。
自分が所属する教会でもメンバーの半分は65歳以上である。私も70歳で平均年齢を押し上げている。このまま推移して救いを受ける若い人が加えられなければ数十年後には消滅する。
ではどうしたら生き残っていけるだろうか。キリスト者が本気で隣人を愛し生きる以外にないと思っている。
新約聖書時代の信仰者のように、弱い者や貧しいものを助け「キリストにある生き方」が大切だと思う。キリストの心を持って証ししたい。残された自分の人生が15年あるとしたら、そんな事をして生き続けたいと毎日問いかけている。愛は行動する事。これしかないかな。
行いのない信仰は死んでいるのです。ヤコブ2:26
