
2024年11月10日
聖書箇所:Ⅰコリント14:26~40
説教題:全ての事を適切に、秩序正しく(礼拝において)
おはようございます。大分寒くなりましたがお元気でしたか。兄弟姉妹と共に11月第2週を迎え、主への礼拝をお捧げし一週間過ごせることを感謝します。またライブ配信を通して参加している本庄教会、本庄教会以外の方もこのライブ配信を通して礼拝をささげている全国の兄弟姉妹の皆様、病気療養中のあなた、フィリピン、ブラジルそして各国から参加しているあなたもおはようございます。あなたの参加をとても嬉しく思います。お知らせですが、今日の説教内容は教会ホームページの礼拝メッセージTOPを開くと出てまいります。自動翻訳機能がついていますのでそれぞれの言語で読むことが出来ますのでご覧になると便利です。
それでは今日も「聖書が私達に何と言っているのか」を考えてまいりましょう。
聖書箇所はコリント人への手紙第一14章26節~40節です。「全ての事を適切に、秩序正しく」(礼拝において)というテーマで考えていきます。実は以前から礼拝の在り方が、今のままでいいのかなと考えていました。特にメッセージは一方的ですので、皆さんは聞くだけとなり、果たしてみことばが、きちんと伝わっているか確信がありません。何故なら今の礼拝は聖書で示されている礼拝とは違うからです。牧師が会衆に向かって聖書のみことばを一方的に語るのは今から500年前のマルチン・ルターの宗教改革から始待ったことです。
当時のカトリック教会は儀式中心であり、聖書のみことばが解き明かされることは少なかったのです。それ故、聖書メッセージが教会で語られたのは画期的で素晴らしい事でした。今の私達には、当たり前の事ですが、宗教改革を通して一歩前に進んだことはとても大きな事です。
しかし、宗教改革は、更に聖書が示す礼拝の在り方に近づけることなく、私達も同じスタイルで500年以上続けている事を何の疑問も持たないで今に至っています。どこが問題か?それは一人の人が一方的に30分話し、会衆は行儀よく聞くだけで、すべて受け身です。それ故、物事を自由に考える力が育ちにくく、礼拝の中心は牧師の説教だと考えてしまう落とし穴にはまっているのが今のキリスト教会の現状です。
それゆえ人によっては「礼拝を受ける」という感覚に陥ります。私が本庄教会に招聘されて来た時、礼拝を受けるという発言が普通に飛び交っている事に驚きました。みことばの宣教中心の礼拝だとこのような受身の信仰になります。礼拝は受けるのではなく主に捧げるものです。さすがに、今の本庄教会では、礼拝を受けるという言い方をする人はいないと思いますが・・・・
では新約聖書時代の教会にはどのような形で礼拝をささげていたのでしょうか。
●26:ここは使徒パウロが礼拝の在り方をについてコリント教会の兄弟姉妹たちに問いかけているところです。彼はコリント教会の礼拝を見て憂いていました。主の晩餐の時にバラバラに食事をし、我先にと葡萄酒を飲んで酔っぱらう人もいれば、食べられなくて空腹の人もいたのです。異言を一人で語りだす人もいました。そんな訳でコリント教会の礼拝は混乱していました。これに対しパウロは秩序をもって礼拝をささげるために問いかけたのがこの聖書個所です。
まず、礼拝は①それぞれが賛美する。私達の教会には証の時間があります。それぞれが賛美したり、証したりしています。素晴らしいことですね。特に最近は賛美の時に挨拶を勧めてくれるので感謝です。挨拶は、心をたたいて開くという意味がありますのでとても良いことです。特に皆さん礼拝が終わるとすぐに帰る人が多いので交流する時間が持てません。ですから出来るだけ多くの方と挨拶する時間は大切です。②教え合う、これは今のところ牧師一人だけなので今後の課題です。③啓示を告げる。これは神から受けた特別な知識を知らせる。この時代はまだ聖書が完成していなかったので特別啓示が多くあったと思います。意味は預言する事だと思います。
④異言で語り、解き明かす。異言は神への祈りの時に意味不明な言葉で祈る神からの賜物です。解き明かすことが出来る賜物を持つ人もいます。
因みにパウロは誰よりも多く異言で神に祈りました。しか彼は教会では異言で1万のことばを話すより、他の人を教える預言することを優先しました(Ⅰコリント14:18~19)
パウロは礼拝でこれらを全てセットで行いなさいと勧めています。こうすると兄弟姉妹が成長する礼拝へと変わります。私達の礼拝も聖書が示す礼拝の有り方に近づけたいと思います。
●27~32:異言と預言の違いについて述べています。異言は神からの賜物ですが、意味不明の言葉で神に祈るので個人の徳は高めますが、他の人の徳を高めません。何を言っているか分からないので礼拝が混乱します。よってパウロはその異言を解き明かす人がいなければ礼拝では異言で祈らないように勧めています。預言の場合は一人ではなく2人か3人で預言しなさいと勧めています。預言は神のことばを預かり語る事なので、今牧師が話しているようなことを、一人10分ぐらいで数名で行いなさい。
●33:神は混乱の神ではなく平和の神なのです。こうして礼拝が混乱していたコリント教会に対して秩序ある礼拝の在り方を示したのです。
●34~38:教会における女性の立場について、女の人は教会では黙っていなさい。どうですか。こうなったら大変ですね。何故コリント教会でパウロはこのように命じたのでしょうか。それは女の人が、預言(みことばの解き明かし)の意味が分からなくて大きい声で夫に尋ねたりして、礼拝が適切に進んで行かなかったからです。
基本的には本庄教会の礼拝のように女の人も自由に祈ったり、語ったりしても問題ありません。女の人も神の創造の秩序を守り、祈りや預言(みことばの解き明かし)をするなら、何も問題ありません(Ⅰコリント11:5、新約342頁)。
●39~40:預言する事を熱心に求めよ。聖書のみことばの意味を解き明かすことを勧めています。これは兄弟姉妹全員です。こうして礼拝は適切に、喜びをと秩序をもって行う。
ここが結論部分ですね。この様に聖書時代の違う事は少しずつ、今日の聖書個所を参考にしながら自由で聖書的な礼拝がささげるようにしたいと願っています。
その為にも、礼拝の証の時間がもっと充実するように、皆さんが証し、賛美し、聖書のみことばを解き明かす預言(説教とも言いますが)を数人で語れるような礼拝になる事を願っています。その為にも私達が、聖書のみことば理解を深め、聖書のみことばを実行できるキリスト者になりたいと願っています。
皆さん是非、いつも「聖書は何と言っているか」という視点に立って聖書を読み、理解を深めて、聖書のみことばを実行する信仰の歩みをさせていただきましょう。又すべての事を適切に、秩序をもって行い、伸び伸びした信仰生活、生き方に変えられてまいりましょう。
