コリント人への手紙第一(13)

2019年11月17日
聖書箇所:Ⅰコリント3:10~17
説教題:土台はイエス・キリスト 

一コリント3:10~17からです。この聖書箇所はキリスト教会って何だろうかという疑問に答えてくれる所ですね。

10:最初のコリントの教会を設立したのは使徒パウロです。設立したと言っても立派な
教会堂を建てたということではありません。イエス・キリストの十字架のみわざと復活を伝えて、人々を救いに導き、信仰が成長するよう働いたということです。そしてパウロは自分に与えられた特別の使命を神の恵みによって果たしていきました。それは自分の頑張りや根性で伝道・牧会していったのではなく、賢い建築家の様にとありますから神から知恵を頂きながら奉仕したという事になります。キリスト教会は建てものに例えられますが、一番大切な土台を据えるという言い方をしています。
そして今は他の人にバトンタッチをして教会の歩みが成されているということです。但しどのようにして教会がかたち造られるかについては気を付ける必要があります。

11:キリスト教会で一番大事な土台は他のものを持ってくることは出来ません。他のものとは例えば、キリストの十字架の死と復活抜きのキリスト教で、道徳的な教え中心です。
又はキリストの復活など本当はなかったのだと教えるキリスト教。キリストは栄光の体に甦ったのではなく、キリストの愛の精神が復活したのと教えるキリスト教。又は山上の垂訓がキリスト教の本質で、イエスのように生きよとしか教えないキリスト教。創世記1~2章の天地創造、人間が作たれたところは神話であると教えるキリスト教。人間は最初にアダムとエバが造られたのではなく、サルから進化したのだと教えるキリスト教。聖書は誤り無い神の言葉であると教えないキリスト教。それらが他の土台です。このような土台ではキリスト教会は成り立って行きません。では本物の土台は何か。
神が人となってこられたイエス・キリスト。罪のないイエス・キリスト。私たちの罪の為、十字架に掛かって死んで、葬られ、三日目に復活されたイエス・キリスト。今天におられ
やがて再臨して(再び戻ってこられ)世界を裁き、千年間王として世界を治めるイエス・キリスト。このイエス・キリストを土台として生きる本物のキリスト教会です。

12:働きの評価基準 ここはイエス・キリストが土台であることを踏まえての信仰生活を述べています。金 銀 宝石 木 草 わら。これは火で焼かれた時に残るか、何もなくなるかの分かれ目です。

13:各人の信仰の生き方が明確になるのはいつか、その日とあります。これはイエス・キリストが裁き主としてこの地上に戻ってこられる日のこと、再臨と言います。その時に全てのキリスト者の真価、生き方が問われます。ここはとても厳粛なところですね。
人の前に信仰深く見せる事ではなく、神の前にいかに誠実に生きたかが問われるのです。他の人よりまずは自分自身がどうあるべきかを示されます。

14:①真価が試されるとき、すなわちキリスト再臨の審判の日、建物が残る。金、銀、宝石。私たち一人一人が誠実に主の前に生きたか、どうかということです。その人は主から大いなる報いを受ける。同じような事を何回も言いますが、ここは人間の目で見た評価ではなく、神の目で見た評価ですから、採点ミスはありません。公平、公明正大な評価です。

15:②真価が試される日、すなわちキリスト再臨の審判の日、建物が焼ける。金、銀、宝石ではなく、木、草、藁の生き方です。主イエスの前に誠実ではなく、人の前に良く見せかける生き方で中身のない信仰生活をしている人です。日曜日はクリスチャン、平日はノンクリスチャの生活。こういう人を指しています。こちらの人は建物が焼け溶けてしまいます。但し本人はキリストを土台としていますので救いは受けていますから自分自身は火の中をくぐるようにして、辛うじて助かります。地獄の裁きは受けませんのでご安心を。この様にキリストの再臨の時に神の評価が正しくなされます。

16:パウロの問いかけ。あなた方は神の神殿である。これはキリスト者一人一人にいっていいます。神の御霊が住んでいるとは、私達の心の内には御霊、聖霊が住んでいるから、常にここを意識して行動することが求められます。

17:これはキリスト教会の健全な教会形成を壊す人に対する警告です。イエス・キリストが土台のキリスト教会であるのに、キリストを脇に置いて人間の思い優先で教会を支配する。またキリストの十字架の死と復活を抜きにして教会形成をしていく人々。それが神の神殿を壊すということ。そのような人に対して神は滅ぼすと警告しています。この様に神の評価に絶えない教会形成した者には滅びの警告があるという厳しい現実がある事を知る必要あり。
適用
もう一度確認します。本庄キリスト教会の土台は何でしょうか。
会堂ですか?牧師ですか?役員ですか?そうではありません。十字架の掛かり、死んで復活したイエス・キリスト。やがてこの地上に再臨するイエスキリストです。
結び
貴方も私も教会の土台であるイエス・キリストの前にどのように生きますか。金、銀、宝石の信仰生活ですか。これならば、その日、再臨の時にも残ります。それとも木、草、藁ですか。これだと再臨の時に火で試され、全部焼けます。但し救いはありますから日の中をくぐるようにして助かります。ここを自問自答していきましょう。分かれ目は、神の前に誠実に神中心で生きているか、それとも神の御心優先ではなく自分中心で生きているかのどちらかです。別の言い方で生き方の基本姿勢が①神を愛し、②あなたの隣人を自分と同じように愛するかということです。なにをしたかではなく、どのように生きたかです。この二つを意識しながら、本庄児玉郡市の繁栄を願い、祈り、一歩でも二歩でも前に歩んでまいりましょう。