
収録日:2025年12月14日分
聖書箇所:エペソ人への手紙2章1~10節
説教題:恵みによる救い
アドベント第3週を迎えました。会場の皆様おはようございます。そしてライブ配信をご覧の皆様おはようございます。いつもライブ配信を通して共に礼拝をささげてくださり感謝します。毎回大勢の方が見てくださっているので大いに励まされています。今日も主の恵みを共に味わい主イエスをほめたたえていければ幸いです。尚今日の説教は翻訳機能付き多言語でホームページに掲載されていますので必要な方がご覧くださいませ。
さて、今日は2章1節~10節で、3節迄が:背きと罪の中に死んでいた者達。4節~7節:憐れみ豊かな神。8節~10節:恵みによる救い(神の賜物と神の作品)3つに分かれています。
●1~3:背きと罪の中に死んでいた者
1:1章では、三位一体の神によって救われた人に対する恵みの大きさが語られて後、1節で「さて」とありますから別の内容になってきています。イエス・キリストが私の罪の身代わりとして十字架に掛かって死んで葬られ、三日目に甦られた事を信じて救いを受けました。その結果、私たちは命の源であるキリストと結ばれ、永遠の命と罪の赦しを受けたのです。
1節はイエスを信じる前の私たちの姿が述べられています。確かに生きていますが、霊的には自分の背き(罪の具体的な表れ)と罪(原罪)の中で霊的に死んでいたものです。(すべての人は生まれながら罪の性質を受け継いでいます。イエスを信じてパウロのような霊的に優れたキリスト者であっても罪の性質は残ります)※私たちも救いを受ける前は霊的に死んでいたものでした。
2:今まで彼らは罪の中で、この世の流れに従い(神の価値観に立たず神に背いた生き方)空中の権威を持つ支配者(悪魔・悪霊どもは天から落とされた結果、天の御国に居場所はなく、空中にしかいられない存在)。以前は私たちも神の前に不従順な子らの中で今も働いている悪魔、悪霊に従って生きてきたのです。※私たちがキリスト者になる前の生き方も全く同じです。
3:私たちも同じように以前は自分の生まれながらの性質をもち生きていた。(自分の肉の欲望のままに生きる)結果的には神の御怒り(裁き)が待っています。
●4節~7節:憐れみ豊かな神
4~6:「しかし」ここから話は全く変わります。人間がどんなに落ちぶれても、罪を犯し神の御心を悲しませたとしても、憐れみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、神に背を向けて歩み続けて来た者を愛し、イエスを信じる信仰によってキリストと結び合わせ、一体にして下さいました。こうしてキリストの復活の命を受けたのです。これをキリストによる救いと言います。
キリストが下さる救いはすべて恵みによります。(恵みの定義:ふさわしくないものに対して神が一方的に良いものを与えてくださる)目には見えませんがキリストの救いを受けた人は、キリストとつながっているので共に甦り、共にキリストと天上に座らせてもらっています。
7:神がこのようにしてくださったのは、イエス・キリストを通して表された慈しみによって、神の恵み(私たちの功績には関係なく注がれる大きな神からの祝福)が大いなることを後の時代の人々に示す為です。※そうです。私たちの時代にも明確にされているのです。
●8節~10節:恵みによる救い(神の賜物と神の作品)
8:私たちの神は世界を無から創造し、今も支配し治めておられるお方です。正しいお方であると共に、愛に満ちておられるお方です。そして、いつも一方的に良いものを私たちに与えてくださるお方。神の恵みを受けるにふさわしくないような愚かな人間に対し、神は私たちを救うために救い主イエスを人としてこの世界に送ってくださいました。それがクリスマスの意味です。
救いはイエスを救い主と信じるだけで与えられます。私たちが何かしたから救われたのではなく、「イエスを救い主」と口で告白して救われます。これが神からの賜物(プレゼント)です。神は私たちに対し一方的な恵みとしてキリストをこの世界に人として送ってくださったのです。だから私たちは祈る時に「恵み深い天の父なる神様」と祈るのです。
9:ただイエスを救い主と信じて救いを受ける。聖書の示す救いは、貧乏から解放される事ではなく、罪の赦しと永遠の命を持つことです。誰でも心の中にある罪は消すことが出来ません。でも赦していただくことは出来るのです。
イエスはただ一人罪がないお方ですが、私たち人間の罪を赦すため、私たちの身代わりとなって十字架に掛かって死んで墓に葬られ、三日目に復活しました。これを信じたら救われるのです。だから誰も誇ることはありません。救いは行いによるのではないからです。小さい子供から高齢者に至るまで信じた人は誰でも皆救われるのです。
10:神は私たち一人一人をご自身の作品として造り変えてくださいます。キリストと一つになり、神の作品とされたのです。それは私たちが良いわざに励むためです。イエス・キリストに似た人にされ、自分の周りの人を愛する(大切にする)人となることです。そしてその力も神は備えてくださっているのです。
具体的にはイエスやパウロ達のように弱い立場の人を助けることです。私たちはこの愛のわざを受け継ぎ、兄弟姉妹全体が愛に生きるのです。こうしてキリスト教会はたて上げられるのです。
しかし、日本の教会では、伝道や訪問や弱い人を助ける愛のわざは牧師だけがやるものだと思う方も少しいます。それ故、牧師が伝道や訪問、トラクト配布を一生懸命やると「あの牧師さんは伝道熱心な良い人だ」という評価になり、逆に牧師が信徒訪問をせず、福祉の働きを多くすると「もっと教会の伝道に力を入れて欲しい」「牧師が伝道や牧会をする専門職、信徒は献金する人」と他人事の発言をして聖書とは程遠い教会になっていきます。牧師はスーパーマンではありません。私たち一人一人が置かれた立場の中で無理なく主イエスの証しをし、訪問するのが聖書的教会の姿です。ぜひ受け身ではなく自分にできる良いわざ、愛のわざに励んでまいりましょう。そうしたら本庄キリスト教会は地域の宝として主イエスに用いられる健全な聖書的教会となります。
◉教会成長に欠かせない今日のメッセージから次の事を考えてみましょう。
①あなたは今日の聖書箇所を読んで何をどのように感じましたか。
②あなたは今日の聖書箇所を通して神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。
③今日の聖書箇所を通してあなたが、今から実行に移せることは何ですか。
④今日の聖書箇所と関連した個所や聖句があったら教えてください。
