コリント人への手紙第一(62)

収録日:2025年10月12日

聖書箇所:コリント人への手紙第一14章20-26節

説教題:成長に役立てるためにしなさい

内容

会場の皆様おはようございます。そしてライブ配信をご覧の皆様おはようございます。
一気に秋が深まった感じですがお元気ですか?毎回大勢の方がライブ配信をご覧いただき感謝です。ただ前回は途中で画面が映らなくなり大変ご迷惑をおかけいたしました。先週水曜日に風間牧師が点検、確認、再設定をしてくださいましたので今日から使えるようになりました。是非続けてご覧くださいませ。又、私がメッセージ担当する日の説教原稿(自動翻訳付き)は本庄キリスト教会のホームページにアップされていますのでお読みいただけると感謝です。

さて今日は「御霊の賜物」シリーズ8回目ですが、主イエスが私の罪の為に十字架に掛かって死んで、墓に葬られ、3日目に栄光の体で復活し、今も生きておられる、この良き知らせ(福音)を信じて救われました。

救い(罪の赦しと永遠の命を受ける)を、受けた私たちは、だれでも神の御霊(聖霊)を受けています。それぞれが御霊の働きにより、神の家族としての教会が成長するのです。その為にも御霊の賜物を聖書から正しく理解する必要があります。
特に今日の聖書箇所は、今までの続きで教会の成長には欠かせない、預言と異言の役割の違いをパウロは丁寧に書いています。背景はコリント教会の礼拝が異言の用い方の乱用によって混乱していたからです。

さて、14章前半で個人の徳を高める異言(意味不明の祈りのことばで神を賛美するもの)について学びました。この異言の賜物は良いものでありパウロは、「あなたがたがみな異言で語ることを願う」(Ⅰコリント14:5)と言い、又、「私はあなたがたの誰よりも多く異言で語っていることを神に感謝しています」(Ⅰコリント14:18)と述べています。

しかし、それ以上に願うのは、あなた方が預言(神から啓示を受け、相手がわかる言葉で神の真理を語ること)することだと強調しています。更に教会の礼拝では、「異言で一万のことばを語るより、むしろ、ほかの人たちにも教えるために私の知性で五つのことば(預言)を語りたいと願います」(Ⅰコリント14:19)
その理由は3節にあるように、「預言する人は、人を育てることばや、勧めや慰めを人に向かって話すから」です。今日はこの続きで20節からです。

20:コリント教会の人々は、神のみこころに対する考え方が子供だったのです。その為、教会内で様々な争いがあり(分裂・分派)、性の乱れがあり、主の晩餐礼拝の時に貧しい人の事を考えずに先に食事して、ぶどう酒に酔ってしまい、礼拝が秩序をもって執り行われないことが度々ありました。それが考え方において子どもの信仰なのです。そこから脱却するように命じています。
悪事には幼子であれ、しかし信仰に対する考え方は大人であれと命じています。マタイ10:16(18頁)「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ」イエスの勧めに通じるものです。

21:ここから礼拝に於ける異言と預言についてパウロの引用が出てきます。「 」の部分は旧約聖書の引用で、律法によってと書かれていますが、モーセ律法ではなくイザヤ28:11~12(旧約1209頁)のことばです。旧約聖書全体を律法と呼ぶ場合もあります。この箇所の背景はダビデ王国が南北に分裂後、北イスラエル王国がアッシリヤに滅ぼされた時の事です。アッシリヤ人はイスラエル人にわからない言葉を話します。それはイスラエルの民が神に背を向けた結果に対する神の裁きのしるしですが、彼らは神のメッセージに従わないという意味です。これをパウロは異言について適用しています。
外国語で語られたときにイスラエルの民が聞いても従わなかったように、礼拝に来ている人も異言では何を言っているのかわからないので罪を悔い改めるようにはならないという事です。

22:つまり異言は信徒のためのしるし(証拠)ではなく、まだ信じていない人が信仰に関心を持つ為の非常に珍しい現象なのです。一方、預言は神から預かったことばを人にわかる方法で語るので信じている人へのしるし(証拠)となります。ゆえに教会全体の徳が高められます。

ここで気を付けてほしいのは異言を否定しているのではなく、用いられる場面が預言と違うという事です。預言も異言も神から来る素晴らしい賜物です。

23~25:それ故、礼拝の時に皆が一斉に異言(他の人にわからない奇異な言葉)で話したら信じて間もない人や、まだ信じていない人が来た時には、あなた方は気が変になっていると言われてしまいます。

しかし、皆が預言で神のことばをわかりやすく人々に語るなら、信じて間もない人やまだ信じていない人が来ても、言っていることが分かるので心を開き、神の前に誤りを指摘され、心の秘密があらわにされ、この礼拝する中に「神は確かにおられる」と確信するでしょう。

26:ここが結論です。
私たちは礼拝の中で異言や預言をどのように用いたらよいのでしょうか。すべての事を信仰の成長に役立てるためにする。礼拝の時は、それぞれが主を賛美する。それぞれが受けたみことばを教える。啓示を告げる(預言)。異言を話す。異言を解き明かす。自由な礼拝ですね。私たちの教会では礼拝プログラムが決まっていますが、少しずつ自由な形にしてよいのです。牧師以外の人がみことばを取りついでもよいのです。

こうして皆が秩序をもって皆の成長に役立てるために礼拝をささげてまいりましょう(40節)。その為にも異言と預言の違い、用い方を理解して、その時々に十分用いられるように。そして礼拝が生き生きしたものとなり、クリスチャン生活であなたの賜物が十分に発揮され、隣人愛に満ちたキリスト者に変えられていこうではありませんか。

◉教会成長に欠かせない今日のメッセージから次の事を考えてみましょう。
① あなたは今日の聖書箇所を読んで何をどのように感じましたか。
② あなたは今日の聖書箇所を通して神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。
③ 今日の聖書箇所を通してあなたが、今から実行に移せることは何ですか。
④ 今日の聖書箇所と関連した個所や聖句があったら教えてください。

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