
聖書箇所:マタイの福音書5章27-32節
宣教題:神の基準と人の基準
おはようございます。7月第2週を迎え感謝します。ライブ配信で参加している兄弟姉妹の皆様、埼玉、群馬、栃木、神戸、アメリカ、シンガポール、香港、フィリピン、ブラジルからの参加のあなた、おはようございます。いつもともに礼拝をささげていただきありがとうございます。
今朝もイエスの「山上の説教」から共に考えてまいりましょう。そして主イエスの心を生き、私たちがもっとキリストに似た人になることを目指してまいりましょう。又、このメッセージ原稿は本庄キリスト教会ホームページhttp://honjochrist.church自動翻訳機能付きでUPされていますのでご利用ください。
さて、山上の説教(垂訓)でイエスが8つの幸いついて解き明かしました。自分の状態がどうあるかに関係なく与えられる幸いです。そして私たちはキリストの僕として地の塩、世の光の使命が与えられている事を学びました。続いて、マタイ5章17節から聖書が示す本当の意味を具体的に解き明かしてくれました。前回は「殺すな」というテーマで基本的な生き方について示さ
「姦淫」
27:姦淫の罪は、結婚以外の男女が性関係を持つことです。聖書では非常に厳しく禁じられています。モーセの十戒(出エジプト20:14)には「姦淫してはならない」とあります。人間が幸せに生きていくための基本的な条件です。今も変わりません。性の自由化はありません。
又、申命記22:22に「夫のある女と寝ている男が見つかった場合は、その女と寝ていた男も女も、二人とも死ななければならない。こうして、あなたはイスラエルの中からその悪いものを除き去りなさい。」とモーセがのべています。死刑が決められていました。
ところが、1世紀当時のユダヤ社会では男性が既婚女性と性的な関係を持った場合のみが姦淫と見なされ、娼婦や独身女性、奴隷の女や異邦人女性と関係を結んでも姦淫とみなされなかったそうです。一方、既婚女性はいかなる相手であっても性的関係を持てば姦淫とみなされた。これが当時のユダヤ社会の常識でした。口伝伝承(27節)という形で伝えられていた内容です。
28:続けてイエスは、当時の聖書理解に対し「しかし」と切り込んで発言しています。
なぜか?人々が(特に律法学者たち)神のことばである聖書の真意をゆがめ、男性に都合よく利用されていたからです。実に自分勝手な聖書の読み方ですね。聖書が何と言っているかを求め、それに従っていく信仰生活でないと神の祝福はありません。ここがポイントですね。
イエスは本質の部分に切り込んでいます。(読む)ここは誤解しないでください。ある男性が美しい女性を見てきれいな人だなと思ったとします。これは普通の感情で心の中で姦淫を犯すことではありませんのでご安心ください。「情欲を抱いて女を見るものはだれでも」とは、男が女を性的対象として自分のものにしたいと思うことです。これこそ、人が「心の中で姦淫を犯した」とイエスは切り込みました。本質をズバリと語った鋭いイエスの言葉です。
29~30:イエスは誇張法で(より分かりやすくするために、大げさな言い方で話す)罪と決別するように警告しました。皆さんに申し上げます。たとえ弱さゆえに、失敗して罪を犯しても、イエスが言ったように文字通りに目をえぐり出し、手を切って捨てることは必要ありません。
イエスが言いたいのは、神の前における人の罪の本質を厳しく示しているのです。
その為に、私達も様々な言い訳を捨て、肉の思い(生まれながらの罪の性質)を捨て、御霊(聖霊)の力により頼んで生きる事が求めあれています。「もし肉に従って生きるなら、あなた方は死ぬことになります。もし御霊によってからだの行いを殺すなら、あなたがたは生きます。神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。」ローマ8:13~14
「離婚」
31:神は人を男と女に造り、結婚を定めました。結婚は神が結び合わせたものであり、簡単に人の都合で離婚することは認められていません。聖書で離婚が認められるのは、主に不貞(姦淫)を犯した場合、信者でない夫か妻が、信仰を理由に出て行けと迫った場合に許されます。又その他、暴力等で命の危険があるような時など、やむを得ない状況の時に離婚は認められます。
32:イエスが当時、一般に行われていた離婚の条件である「妻を離縁するものは離縁状を与えよ」というものを例に出してズバリ警告しています。「離縁状を与えよ」とありますが、実はモーセは命令していません。人々の心がかたくななのでやむを得ず認めた言葉です(申命記24:1・マタイ19:8参照)。むしろ、本当の理由は離縁された妻が、他の男性と結婚することができるように女性の立場を守るための処置でした。
ところが、先ほども申し上げましたが、イエス時代のユダヤ社会では既婚男性と既婚女性が性的な関係を持った場合のみが姦淫とみなされ、男性が娼婦や独身女性、奴隷の女や異邦人女性と関係を結んでも、姦淫とみなされなかったのです。このように当時の宗教指導者はモーセ律法を歪めて、悪用し、極めて男性に都合よく解釈し、適用しました。こうして妻の不貞の罪の他、料理が下手であるという理由でも一方的に離縁することができました。何故か?それは妻よりも、他に好きな人ができれば、直ぐに離婚が認められるようにしたかったからです。
イエスはこのように安易な理由で離婚ができる考え方に対し、きっちり警告しています。
みだらな行い以外で妻と離縁する者は妻に姦淫の罪を犯させる。又、離縁された女と結婚するものは姦淫を犯す。こうして罪の結果は自分(夫)に返ってくるのです。イエスは当時の聖書から遠く離れた社会、人々、特に宗教指導者の偽善を鋭く暴いて警告したのです。
適用:あなたは聖書を自分の都合に合わせて読み、理解し、間違って解釈をしていませんか。
自分の心を主の前にあってもう一度点検し、罪を悔い改め、神の御霊(聖霊)に導かれつつ、聖霊の力を受けて主の御前に歩ませていただきましょう。そして神を愛し、隣人を愛する信仰者として歩ませていただきましょう。常に人の基準ではなく神の基準に立つことがポイントですね。
◉今日のメッセージから次の4つの事を考えてみましょう。
① あなたは今日の聖書箇所を読んで何をどのように感じましたか。
② あなたは今日の聖書箇所を通して神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。
③ 今日の聖書箇所を通してあなたが、今から実行に移せることは何ですか。
④ 今日の聖書箇所と関連した個所や聖句があったら教えてください。
