マタイの福音書(35)⁑2025.7.6

聖書箇所:マタイ5章21-26節

宣教題:律法の本当の意味

内容

おはようございます。7月第一週を迎えました。今日はギデオンメンバーの方も礼拝にご参加くださいまして感謝します。
又ライブ配信で参加している兄弟姉妹の皆様、埼玉、群馬、栃木、神戸からの参加も感謝します。アメリカ、シンガポール、香港、フィリピン、ブラジルからの参加も感謝します。お元気でしたでしょうか。今朝もイエスのみことばから共に考えてまいりましょう。そして主イエスの心を生きるキリスト者にならせていただきましょう。そしてもっと私たちがキリストに似た人になることができれば幸いです。又、メッセージ原稿は本庄キリスト教会ホームページhttp://honjochrist.churchに自動翻訳機能付きで添付されていますのでご利用ください

さて、私たちはイエスの山上の説教(垂訓)から学んでいます。イエスが8つの幸いついて解き明かしてくれました。今の自分の状態がどうあるかに関係なく与えられる幸いです。神との関係、また人との関係において与えられる幸いです。そして前回は私達の使命である、地の塩としての生き方、世の光としての生き方を学びました。

17節から本論です。イエスは人々に聖書の律法(大切なもの)解釈について解き明かされました。マタイの福音書はユダヤ人対象に書かれており、彼らには避けて通ることのできないテーマです。私達、異邦人(日本人)にとってはピンとこないことが多くあります。
イエスは日常生活における殺人、姦淫、離婚、誓い、報復、敵等、6つのテーマについて律法の示す視点から解き明かされました。私達も自分に適用できる事を学び取っていければ幸いです。

イエスは17節で「律法と預言者を廃棄するために来たのではなく成就するために来た」と言っています。これはイエスが律法と預言者(すなわち旧約聖書)が示している聖書の言葉を捨てるのではないかと人々が誤解していたことに対する反論です。むしろ私は聖書のことばを成就するために来たのだと宣言したのです。
それはイエスご自身の生き方、聖書の解き明かし、ご自身の十字架の死と復活のみわざを通して、旧約聖書を成就したのです。その上で弟子たちに対し「あなた方の義が律法学者やパリサイ人たちの義に勝っているのでなければ、決して天の御国に入ることができない」と語られました。

21:今回のテーマは「殺人」です。モーセ十戒6番目の「殺してはならない」、殺人はいつの時代でも起こりうる事ですが、意味は人の命を故意に、計画的に奪うことを禁じている内容です。
よって正当防衛による殺人や、戦争、偶発的にまき込まれた事故による殺人(例:車を運転していて人が飛び込んできた場合の事故等)裁判に基づく死刑等は含まれていません。正当防衛、神の命令による殺人、偶発的な事故死などは含まれていないということです。
それを踏まえ、イエスは昔の宗教指導者が「殺してはならない、人を殺すものは裁き(裁判)を受けなければならない」を引用して律法の本当の意味を解き明かしています。後半の裁判については旧約聖書に出てきていない。口伝伝承(言い伝え)となります。

22:イエスは「しかし、わたしはあなたがたに言います」神の視点から真理を示されたのです。たとえ人を殺さなかったとしても兄弟(同胞のユダヤ人、仲間)に対し、「怒る者」は裁かれ、「ばか者」「頭が空っぽ」の意味、人を軽蔑する人はユダヤの最高法院、サンヘドリンで裁かれる。また「愚か者」とは、相手に対し「ばか者」呼ばわりしてさげすむ者は「ゲヘナ」、神の最終的な裁きの場所に投げ込まれるとイエスは語りました。
このようなイエスの言い方を誇張法と言います。(誇張法:意味を強調し、印象付ける為の手法)これは警告で、この事だけでゲヘナに投げ込まれることはありません。

しかし、たとえ人を殺さなくても、兄弟(同胞)に対し、「怒る者」「ばか者」「愚か者」と言うことは、兄弟たちを見下げ、怒りに任せて腹を立てる事なので、神の基準からすると大いに神の裁きの対象になることをイエスは示したのです。
現に腹を立てることによって殺人にまでつながったのが人類最初のカインの殺人事件です。イエスは人の内面的な罪の恐ろしさに気づくように警告されたのです。
こうしてみると私たちも隣人に対して常に冷静に、そして尊敬の心をもって接する必要があります。常に人を自分よりも優れたものと思いなさいというパウロの勧めを思い出します。

23~24:ここは逆に、恨まれるような事はないと思っていた人が、逆に恨みをかっているようなときの行動についてイエスは示しています。
捧げものをしている時とありますので、礼拝している最中に思い出したら、第一にその人と仲直り(和解)しなさい。結果はどうあれ人と和解することは重要なことです。6章9節以降の主の祈りの中でも、イエスは「私達に負い目のあるものを赦しました」と宣言するように祈りなさいと勧めているので、赦しは人間関係で欠かせないことです。
 
このように人から恨まれることは現実的には起こり得ます。先日東京の有名な法律事務所において同僚を恨んでいた被疑者が同僚を刺殺した事件がありました。逆恨みもありますので、なかなか難しいことですが今の時代でも赦しは大きなテーマです。

25~26:皆さんは裁判で告訴されたことはありますか。被告人の立場になるということです。今の日本ではあまり経験することはありません。でもイエス時代のユダヤでは裁判沙汰は普通にあったそうです。多分ここでは被告人が悪事を働いたので訴えられたという設定なのでしょう。
裁判所まで行く途中に双方が出会ったとします。その時早く和解しなさいとイエスは勧めます。そうでないと訴える人は、あなたを裁判官の下役に引き渡し、牢獄に投げ込みます。

最後の1コドラントを払わなければ牢獄から出られないとイエスは勧めました。ちなみにⅠコドラントとは1デナリ(当時の労働者1日に相当する金額)の64分の1なので200円~300円位の金額です。たとえわずかな金額でも最後まで払わなければ罪の責任は容赦なく問われるということです。こうしてイエスは無用な争いは避けるように教えています。
私たちも聖書を単なる人間の教えの書物として読むのではなく本質をつかみ取って自分たちの生きる力に変えられようではありませんか。その時、聖霊が働き私たちは成長するのです。

◉今日のメッセージから次の4つの事を考えてみましょう。
① あなたは今日の聖書箇所を読んで何をどのように感じましたか。
② あなたは今日の聖書箇所を通して神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。
③ 今日の聖書箇所を通してあなたが、今から実行に移せることは何ですか。
④ 今日の聖書箇所と関連した個所や聖句があったら教えてください。

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