マタイの福音書(34)⁑2025.6.29

聖書箇所:マタイ5章13-16節

宣教題:あなたがたは地の塩、世の光です

内容

おはようございます。今日は6月最後の週を迎えました。今日は風間牧師が忙しい時間を割いて、朝早くからお越しくださりライブ配信対応をして下さっています。ありがとうございます。
又ライブ配信で参加している兄弟姉妹の皆様、埼玉はもとより、群馬、栃木、神戸の皆様おはようございます。アメリカ、シンガポール、香港、フィリピン、ブラジルから参加の兄弟姉妹もおはようございます。お元気でしたでしょうか。今朝も聖書の、みことばから共に考えてまいりましょう。そして主から示されたことを実行する人にならせていただきましょう。そして私たちが目指すのは人格、生き方がキリストに似た人になることです。
尚、このメッセージ原稿は本庄キリスト教会ホームページhttp://honjochrist.churchに、自動翻訳機能付きで掲載されており、英語やポルトガル語、タガログ語訳でも読むことができますので是非ご利用ください。過去のメッセージ原稿も掲載されていますのでご利用ください。

さて、今まで私たちはイエスの山上の説教(垂訓)から8つの幸いについて考えました。最初の4つは神との関係、後半の4つは隣人との関係の視点からです。
イエスが言う「真に幸いな人」は、置かれた状況や外面的な状態とは一切関係なく、神の恵みと救いの命の喜びにあふれている状態なので、私たちもキリストが与える「真に幸い」を受け取ることができる立場にあることを確認しました。

しかし11節以降を見ると、真の幸いに生きる人達はこの世で迫害されることや悪く言われることが良くあります。でもイエスは「そういう時こそ幸いなのだから大いに喜べ」と言って励ましています。旧約時代の預言者たちも迫害されてきたのだとイエスは語り、弟子たちを励ましています。そしてイエスは弟子たちの生き方を2つの面から紹介しているのが今日の聖書箇所です。

13:この箇所はイエスが弟子たちに語られた言葉です。弟子とはイエスを神と信じて生きる人たちの事なので、私たちも12弟子と同じようにイエスを救い主と信じて自分の人生を賭けている者達ですから、そのまま私達に適用できる言葉です。
 「あなたがたは地の塩です」キリストの弟子はこの地上で目立たないけれども確実に世の中に溶け込んで、浸透して良い影響を与える役割について述べています。

地とはこの世界の事で、悪魔が支配する罪に満ちた世界です。でもその世界にあっても、私たちは地の塩です。塩の役割は光のように目立つものではありません。むしろ目立たない中にあって、自分の役割をしっかり果たしています。例えば①食べ物の腐敗を防止する。腐るのを防ぐ清めの働きをします。②味付けをする。塩気がない料理はおいしくありません。微妙な塩加減によって食べ物はおいしくなります。味を引き立てる役割です。私も毎日あや子さんの塩味がきいたおいしい料理をいただいて健康で過ごすことができるので感謝しています。

キリストの弟子も同じ事が言えます。職場や地域社会において、キリスト者としてよい証をたてるなら(キリストの良い香りを放っているなら)聖霊によってキリスト者がその場所の腐敗を防いでいるのです。一人のキリスト者が塩の働きをして集団が悪い方向から守られるのです。
又、キリストの良い香りを放つキリスト者が一人いるとその場の人間関係が和むことがあります。このようにキリスト者はたとえ目立たなくても、置かれた地域や職場、人の集まりの場で塩の役割を果たす存在と成る事ができます。イエスは私達にそうあってほしいと願っているのです。

最後に塩についての確認ですが、私たちは塩が、海の水をくみ上げて天日で乾かし蒸発させて作る方法を常識としていますが(精製された白いきれいな塩をイメージしますが)イエスが生きた2千年前のユダヤでは、岩から切り取られた中にありました。いわゆる岩塩です。
ところがその塊に不純物が混ざっていると品質の良い塩が取れません。そのような質が悪い塩は外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけの、みじめな存在になり下がると言っています。  キリストの弟子である私たちが、主に不従順で自分勝手な信仰生活をしているならキリストの香りを放たない、だらしない生き方に成り下がってしみます。そうならないように私たちも「自分は既に地の塩である」という自覚も持っていきよう。

14:2つ目は、あなたがたは世の光です。私たちも世(世界)の光です。地の塩の役割は目立たないけれども(自分の姿を消して)周りに対して確実に良い影響を与えていくものですした。

逆に光は世の中に対して見える形で表していく方法をとります。光の意味は①神があらかじめ定めていたこと②みこころ③み旨④ご計画⑤目的という意味があるそうです。私たちは世界に対し、世の光として、神のみ心にかなうことを積極的に表していくことです。具体的にはあなたの隣人を自分と同じように愛することです。家族や親戚や友達、そして私たちの周りにいるすべての人に対して愛に生きることです。
こうするならば「山の上にある町は隠れることができない」これはシオンの山の上にある町エルサレムがやがて最終的には完全な形で回復して平和が確立し、すべての人が神を求めてエルサレムに来るという預言の成就について弟子たちに語りかけました。(神の栄光)

15:又、明かりは升の下に置くのではなく、燭台の上に置いてこそ光が照らされる。
16:結びの部分。イエスは「私は世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」(ヨハネ8:12)と言われました。そのお方の光を受けて私たちも世の光とされています。

それ故、私達もその光を人々の前で輝かせることができるのです。具体的には良い業(良い行い)です。本来キリスト者はこの分野が得意なはずです。自分に与えられている環境の中で、困っている人を助ける事、自分の持っているものを分ける、施す。人が元気になるように話を聞く。慈善団体へ寄付する、隣人の為に癒しを祈る、その他私たちができる事は沢山あります。自分が置かれた地域で良い業を実践してまいりましょう。参考事例:新約聖書に記録されている困窮者への食事の提供、資金の提供、物資の提供、被災地への物心両面にわたる支援等があります。

最終的に良い業が自分に栄光を帰すのではなく、神に栄光が帰されて神の御名があがめられるようになっていく。これが私たちの目指すゴールです。私達は自信をもって地の塩、世の光です。
◉今日のメッセージから次の4つの事を考えてみましょう。
① あなたは今日の聖書箇所を読んで何をどのように感じましたか。
② あなたは今日の聖書箇所を通して神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。
③ 今日の聖書箇所を通してあなたが、今から実行に移せることは何ですか。
④ 今日の聖書箇所と関連した個所や聖句があったら教えてください。

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