
聖書箇所:マタイの福音書5章5~12節
幸いなるものよ
おはようございます。6月第2週ペンテコステ(五旬節)の礼拝をささげる恵みを感謝します。埼玉、群馬、栃木、北海道、神戸等からライブ配信に参加の兄弟姉妹、病気療養中の兄弟姉妹、フィリピン、ブラジルから参加の兄弟姉妹もおはようございます。お元気でしょうか。
今日もマタイの福音書から考えてまいりますが、私たちは、考えるだけでなく今日の聖書箇所を通して神があなたに何を語りかけているかを受け止め、実行するキリスト者にならせていただきたいと願っています。そして最終的にはキリストに似たものとされてまいりましょう。尚、この礼拝メッセージは本庄キリスト教会ホームページに掲載されています。自動翻訳機能付きなので英語やポルトガル語、タガログ語訳でも読むことができます。是非ご利用ください。又、過去のメッセージ原稿もすべて掲載されていますのでご利用ください。
さて、今日のマタイ5章5節~12節はイエスの山上の説教(垂訓)と呼ばれる有名な箇所で、7章迄続く長い説教です。神の子イエスが旧約聖書のメッセージを新しい契約の視点に基づいて解き明かしています。イエスが信仰の本質を解き明かしている大切な箇所であります。
ここはイエスが有名な8つの幸いについて述べています。最初の4つは神との関係、後半の4つは隣人との関係の視点からです。今日は前半の残りで柔和な者、義に飢え渇く者の幸いについてです。
私たちが一般的に考える「真に幸いな人」とはどんな人をイメージしますか。例えば①健康である。②経済力がある。③老後の心配がない。④家族が皆仲良く穏やかで平和である。これはとても素晴らしい幸せ観であり、私たちもそうありたいと願っています。
しかし、ここでイエスが示す8つの幸いは、置かれた状況や外面的な状態とは一切関係なく、神の恵みと救いの命の喜びに満足している(あふれている)状態を示しています。
※これは私たちにとってありがたい事です。健康で、経済力があり、老後の心配もなく、穏やかで平和な家庭ばかりではありません。むしろその逆に、病気や経済や老後のことが心配な家庭のほうが多いのではないでしょうか。
また、何をやってもうまくいかないときもあり、勤めていた会社が倒産するときもあります。老後の心配は増す一方だという方もおられます。この世的には幸福からは程遠い方が多くいます。でも、心配しないでください。キリストが下さる幸いは私たちが置かれた状況とは関係ないので問題を抱えていても大丈夫だということです。この世的に不幸なことが続いても大丈夫です。
キリストが示す幸いはあなたが置かれた状況や外面的な状態とは一切関係なく、神の恵みと救いの命の喜びにあふれている状態が真に幸いなので、もしあなたが厳しい状況に追い込まれていても幸いな人生を送ることが可能だということを知って下さい。
それを踏まえて、今までの2つの「幸いな人」の条件は①自分が心底、霊的に貧しい存在であることを認める人でした。②自分も含めて他の人の罪深い姿を見て悲しみに打ちひしがれます。でもそのような人にこそ神が共にいて、真の慰めや励ましを受ける幸いな人なのです。その次に
5:3番目の幸いな人は柔和な人です。これはいつもにこにこして穏やかな人であるという事ではありません。イエスはマタイの福音書11章29節(新約聖書22頁)で「わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなた方もわたしの、くびき(2頭の牛や馬などの首に付ける道具)を負って、私から学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」と述べています。
このように真に柔和な人は、イエスのように、神により頼み、自己主張から解放され、神との交わりから来る真の強さがあるので、人を押しのけたりはせず、怒りを神に任さて、復讐しない人です。私たちも神の御前にこうありたいと願います。そして、このような人こそが地を受け継ぐのです。
柔和な人は、この地上で神の祝福を受けると共に、未来においても祝福を受けるのです。
今は終末時代なので、これから全地球的規模の困難な時代が来ます。そしてキリストの地上再臨があり悪が滅ぼされ、キリストによる平和な千年の世界統治が始まります。これを千年王国と言います。その時に柔和なものは自分が治めるべき地を受け継いで任されるようになるということです。あなたはイエス様からどこを任されるのでしょうか。楽しみですね。
6:義に飢え渇く者は幸いである。
ここは神との正しい関係をのべています。神のみこころに従う事をひたすら求めるもの、神のみ心を第一に生きたいとの願いです。このように神の前に自分の魂の、飢え渇きをいつも覚える人が幸いな人です。
ただし気を付けなければいけないのは、パリサイ人や律法学者たちのように自分自身の義をたてる事をしてはなりません。私たちも心していないと、自分の義のみを主張し他の人を間違っていると断罪してしまいます。最終的に彼らはイエスをねたみ、卑劣な方法で十字架につけて殺しましたが、私たちも自分の義(正しさ)にのみ、心を奪われると人を裁き、断罪してしまいます。
是非、神との正しい関係を求め、いつも神の前における義に心を向けていきたいと思います。罪から離れ、自由にされることを願ってまいりましょう。そして神の義が与えられる事を願い、救いの完成を願い、聖霊の満たしを求め、イエスに似た生き方を求めてまいりましょう。
そのような生き方こそ、本当の心の満たし(満足)を受けるのです。こういう人は物欲にとらわれず、主が必要ならばいつも備えてくださるという思いにされます。
最後に私たちはキリスト者としてどう生きるべきでしょうか。それは「よきサマリヤ人」のように生きることです。困難な状況に置かれている人や弱さの中にある人たちを大切にする。
そして自分ができる愛の業を、すべて聖霊なる神によって励まされ、聖霊の導きと力によって進んで実行する。それこそがキリストの生き方であり私たちの目指すべき生き方なのです。
◉以上ですが、今日のメッセージから次の4つの事を考えてみましょう。
① あなたは今日の聖書箇所を読んで何をどのように感じましたか。
② あなたは今日の聖書箇所を通して神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。
③ 今日の聖書箇所を通してあなたが、今から実行に移せることは何ですか。
④ 今日の聖書箇所と関連した個所や聖句があったら教えてください。
