
聖書箇所:マタイの福音書27章32~50節
説教題:人生の分かれ目・イエスの十字架
おはようございます。4月第2回目の主の日を迎え、礼拝を捧げる恵みにあずかり感謝します。又、ライブ配信で参加の兄弟姉妹、病気療養中のあなた、フィリピンやブラジルから参加している兄弟姉妹もおはようございます。お元気でしたか。今日もお会いできることを感謝いたします。
さて、いよいよ今日はイエス様にとって棕櫚の日曜日(Palm Sunday)から始まる、最後の一週間を迎えることになりました。ゼカリヤの預言通りイエスはロバの子に乗りエルサレム入場を果たします。人々はホサナ(私たちを救ってください)、ダビデの子にホサナ、と言って、棕櫚の枝を敷いきイエスを歓迎しました。
ところが、それから4日過ぎると、状況は一変します。民衆はイエスを憎むエルサレム指導者にあおられて、イエスを殺す側に立ってしまいました。群集心理とはもろいものです。木曜日の夜中に捕らえられたイエスは、ユダヤ最高法院(国会に相当)の尋問を受け、死刑にされる方向へと追い込まれます。でもローマ帝国に支配されていたユダヤでは死刑の権限を持っていないので、翌日早朝(金曜日)ユダヤ総督ピラトのもとへ連行して有罪の判決を強く求めました。
最終的にピラトはイエスを有罪、死刑判決が決まりました。イエスはピラトの官邸から死刑道具の十字架(多分横木だけ)を担いで、処刑場(ゴルゴタ=どくろ)(ラテン語でカルバリ)迄向かいます。それが有名なヴィア・ドロローサ(悲しみの道)ですね。500メートルぐらいの石が敷いてある道を歩いて向かったようです。
いよいよ処刑場に着いたイエスは、十字架(木を組み合わされた)に、手と足にくぎを打たれて磔つけにされました。この時点でイエスは苦しみの極みにあります。この苦しみの時間は、朝9時から午後3時迄続きました。ということは、実に6時間もの長時間、ずっと極度の苦しみの中にいたことになります。これは全部私たちの罪を赦すためです。
今日のメッセージは視点を少し変えてイエスの十字架を前にした人の受け止め方から学んでまいります。交読で読んだ32節からになります。
32:クレネ人(北アフリカ、今のリビア)シモンが出てきますが、この人は過ぎ越しの祭りためにエルサレムに来ていたユダヤ人です。彼は十字架を担いでいたイエスを見ていたのです。その時、ローマの兵隊が無理やり彼に十字架を背負わせました。イエスが、ふらふら状態でこれ以上は無理と判断したのでしょう。シモンはとんでもない災難にあったと思ったのではないでしょうか。でも後にこの出来事を通して、彼はメシヤであるイエスが自分の罪の身代わりとして神の刑罰を受けられたことを知ったのです。
やがて彼はクリスチャンになりました。そして彼の2人の子供もクリスチャンになっています(マルコ15:21)。シモンは苦しみから神の恵みを受けて変えられた人生を体験しています。※私たちも一見ピンチと思えることが沢山ありますが、主は生きているお方なので必ずふさわしい方向に導いてくださいます。
35:この場面は自分の欲のためだけに生きる人々が出てきます。「彼ら」とはローマ兵士です。衣類は当時手作りなので高価なものでした。これをくじ引きして自分のものとしたのです。自分たちの頭上ではイエスが恥と苦しみの極みにあるのにお構いなしです。ローマ兵にとって大切なのはお金だけでした。※今の時代でも同じです。お金が最も大切という人は多くいます。
38:イエスの左右に2人の強盗どもが十字架につけられていた。死刑は彼らに当然ですが、44節を見ると二人ともイエスをののしっていたのです。しかし奇跡が起こりました。数時間後に彼らのうちの一人に聖霊が働き、悔い改めています。人生の土壇場でイエスの救いを受けて主のもと、パラダイスに移されました。(ルカ23:43)
39~43:一方、通りすがりの人や、祭司長、律法学者、長老たち(当時の宗教指導者で上級国民)はイエスをあざけっています。「十字架から降りてもらおう。そうすれば信じよう」こう言う人はイエスが復活してもそれを作り話だと言って信じない人々です。※世の中にはこのように人々から扇動されイエスのことを正しく評価できない人がいます。同時にイエスに対する妬みゆえに誤解と偏見の塊の人もいます。様々な価値観に生きるのが世の常です。
46:突然、12時から3時迄闇が全地を覆います。この3時間人々は大きな恐怖に包まれたのではないかと思います。この時イエスは大声で叫びます。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか。この発言は神に見捨てられたという意味で、私たちが受けるべき苦しみをイエスは身代わりに受けているのです。
一方、立っていた人々の中には信仰的な人もいました。イエスがエリヤを呼んでいると期待して受け止めた人々です。預言者エリヤをあなた方に遣わす(マラキ4:5)という預言のことばを思い出した人々です。しかしエリヤは助けに来ませんでした。
イエスは十字架上で、自分の務めをすべて果たし、大声で、「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます」といい霊をお渡しになった(死亡しました)。※キリストは私たちの罪の為に砕かれ、ご自身の命を代価として差し出し、私たちの罪の負債を完全に帳消ししてくださいました。
以上が6時間にわたるイエスの苦しみであり、人々の反応でした。イエスをメシヤと信じて救いを受ける人もいれば、イエスを馬鹿にし、あざける人もいたのです。あなたはイエスの子の御業を見て、最後まで心かたくなにイエスを受け入れない立場の人になるのでしょうか。
それともクレネ人シモンのように、大変なことになったと戸惑いながらも、イエスの本当の価値に目覚めてイエスの救いを受け新しい人生を切り開いていく人になるのでしょうか。また極悪人の一人のように人生の土壇場でイエスを信じて救いを受ける人になるのでしょうか。是非今日イエスを信じて、あなたの救い主と受け入れ、死の罪の問題を解決し、罪の赦しを得て、新しい人生の一歩を踏み出すように心から願っています。
●今日はここまでですが、皆さん如何でしたか。4つの事を考え書いてみましょう。
①今日の聖書箇所を通して神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。
②今日の聖書箇所を読んで何をどのように感じましたか。
③今日の聖書箇所を通してあなたが、今から実行に移せることは何ですか。
④今日の聖書箇所と関連した個所や聖句があったら教えてください。
