マタイの福音書(24)⁑2025.3.30

聖書箇所:マタイの福音書3章1~12節
説教題:荒野で叫ぶ者の声

おはようございます。3月最後の週を迎え、主への礼拝を共に捧げる恵みを感謝します。今年度最後の礼拝を迎えることが出来まして感謝します。一年を振り返りみますと私たちの教会では4人の兄弟姉妹が主の元に召され、悲しい思いをしましたが、65歳以上の高齢者が半分以上の教会なので1年でも長く、主の使命を果たして主の身元に行きたいと願っています。

ライブ配信を通して礼拝参加してくださっている兄弟姉妹の皆様、病気療養中のあなた、フィリピン、ブラジル、ヨーロッパの国々から参加のあなたもおはようございます。礼拝参加を感謝いたします。毎回ライブ配信礼拝に本庄教会以外の方を含め30人前後の方がご参加くださり感謝申し上げます。これからもよろしくお願いします。 
 
さて、今迄5回にわたり、最近洗礼を受けた兄弟姉妹たちの為に基本的な①教会②バプテスマ③献金④キリスト者⑤礼拝というテーマで考えてきましたが、今日からマタイの福音書に戻り、みことばを味わってまいります。著者であるマタイは(本名:レビ)ローマ帝国の手先となり税金徴収者(当時は取税人とよばれ、同胞に蔑まれていた職業)として働いていた時、イエスと出会いメシヤ(キリスト)と信じて人生が変えられました。

マタイはイエスの十字架の死と復活の後30年以上経た後、ナザレのイエスが誰であるかを、ユダヤ人に伝えるため紀元60年代に、シリヤのアンテオケで、マタイの福音書を書き表したと伝えられています。特に王としてのキリストについて書き上げました。この福音書は主に同胞のユダヤ人を意識して書いたものであります。

1:そのころとは、イエスが公生涯を始めたころです。即ちイエスが30歳の時、バプテスマのヨハネが登場しました。彼は祭司の父ゼカリヤと母エリサベツの間に生まれ、イエスと同じ頃生まれた人物です。そしてエリサベツとイエスの母マリヤは親戚関係にありました。彼はユダヤの荒野(砂漠)で預言者として人々に宣言しました。それが2節の言葉です。

2:「悔い改めなさい」悔い改めとは、自分の行いが悪かったと思うだけではありません。その後の改めが大切です。悔い改める。思いを変えて今までの行動を改める事を悔い改めると言います。何故、悔い改める必要があるのか。その理由は?天の御国近づいたからと述べています。(ユダヤ人が主な読者なので神という言葉を使わない。故に天の御国なのです。)天は神の事で、その神が主権をもって完全な支配をしている場所や状態を天と言います。

神の国の主権者であるキリスト(メシヤ)が間もなく来られるから、そのお方をお迎えする為にあなた方は悔い改めよ、即ち、過去を悲しみ、思いと行いを変えキリストを迎える準備をしなさいと宣言しているのです。何故、悔い改めるのか、それは神の御心に反逆していたからです。神の御心に反逆すること(的外れ)を聖書では罪と言います。

3~6:バプテスマのヨハネの紹介、彼はキリストが来られる前に、道備えをする人である。マタイは彼こそイザヤが預言した人物であるとして紹介しています(イザヤ書40章3節)を引用しています。内容は1節と2節で書かれている通りで、彼は荒野で叫ぶ者の声。声は、やがて消えるように、彼は自分の役目を果たすと間もなく、ヘロデに首を切られ壮絶な死を遂げました。
 でもバプテスマのヨハネは、人々がやがて来るメシヤを受け入れるため、主の道を用意したのです。彼の身なりは独特なもので、らくだの毛の衣をまとい、腰には皮の帯を締め、食べ物はいなごと野蜜でした。こうして、見るからに当時の宗教指導者達(パリサイ人ヤサドカイ人)と全く違うタイプの人でした。やがて彼のうわさは国中に広まり人々は彼の周りに集まってきて、自分の罪を告白しヨルダン川でバプテスマを受けたのです。

※彼のバプテスマは私達が受ける聖霊のバプテスマと水のバプテスマとは違います。ヨハネのバプテスマは悔い改めのバプテスマと言い、罪を告白し(昔の生活に死ぬという意味で川の水の中に沈められます)人々がメシヤなるキリスト・イエスを迎え入れる準備をしたのです。非常に大きな役割を果たしたのがバプテスマのヨハネです。彼は自分が伝えている事と生き方が一致していました。それは荒野で叫ぶ者の声なのです。
※私達も自分の役割に忠実で、聖書のことばを語るだけではなく、主にある生き方を通して自分の役割を果たしたいと願うものであります。

7~9:しかし、ヨハネのバプテスマを受けに来た人々の中に、ユダヤ教の二大勢力である、大勢のパリサイ人やサドカイ人もいました。彼らがバプテスマを受けた動機は他の人々と違い、罪の悔い改めはありませんでした。表面的な理由によるものです。そもそもパリサイとは「分離者」という意味で、律法を守らない者から自らを分離していましたが、その外見とは裏腹に神の御心から遠く離れた者達でした。それ故イエスは形式主義のパリサイ人に厳しく接したのです。

サドカイ人はエルサレム神殿を管理し、様々な宗教行事を担当する祭司として大切な役割を持っていましたが、自分の立場を利用して金儲けに明け暮れる日々を送っていました。信仰的には復活や御使いの存在を認めない合理主義者です。彼らは人々から認められていましたが、イエスは彼らの本心を知っていましたので、「マムシの子孫たち、誰が迫りくる御怒りから逃れるように教えたか」と厳しく語り、悔い改めて相応しい実を結ぶよう警告したのです。

9:彼らは「自分たちの先祖はアブラハムだ」と言って自らを誇り、高慢になっていました。
それ故、ヨハネは「神はこれらの石ころからでもアブラハムの子らを起こすことが出来る」と言ってパリサイ人、サドカイ人の高慢な心を打ち砕いたのです。彼らはユダヤ人なら既に救われていると思い込んでいました。
※私達も教会で礼拝を守っているなら救われているとか思っていたら大間違いです。自分の罪を認め、悔い改めイエスをメシヤと信じることによって救いを受けるという自覚が必要です。そして生き方としては、この世の荒野の中にあって行動を通してキリストの愛を表す生き方が求められているのです。それは自分の心を優先して生きるのではなく、キリストの心を優先して生きるキリスト者の生き方が求められているのです。まさしく荒野で叫ぶ者の声なのです。

●今日はここまでですが、皆さん如何でしたか。4つの事を考え書いてみましょう。
①今日の聖書箇所を通して神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。
②今日の聖書箇所を読んで何をどのように感じましたか。
③今日の聖書箇所を通してあなたが、今から実行に移せることは何ですか。
④今日の聖書箇所と関連した個所や聖句があったら教えてください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次