マタイの福音書(23)

2024年12月15日
聖書箇所:マタイの福音書 2章12~23節
宣教題:ナザレ人と呼ばれて

おはようございます。12月第3週アドベント(待降節)を迎え主を礼拝して一週間過ごせることを感謝します。ライブ配信で礼拝参加している兄弟姉妹の皆様お元気ですか。病気療養中のあなた、フィリピンやブラジルから参加しているあなたもお元気ですか。あなたの参加をとても嬉しく思います。
今日の説教原稿も、本庄キリスト教会HPの礼拝メッセージTOP欄に掲載され、自動翻訳機能がついていますので各国の言語で読むことが可能です。是非ご利用ください。

 前回、博士たちが、星に導かれ、ついに幼子イエスのところまで来て礼拝をささげた場面までご一緒に考えてまいりました。今日の箇所はその続きで、悪の大王ヘロデが生きているときと(12節~18節)死んでから(19節~23節)の2つに分けて考えていきます。

12:彼らは夢でヘロデのところに戻らないように警告を受けたので別の道を通って自分の国メソポタミヤへ帰りました。※当時は夢を通して神ご自身のみこころを表してくださいました。

13:その後、直ぐに、主の使いがヨセフに夢で現れ、「エジプトへ逃げよ」と知らせがあった。
理由はヘロデが博士たちに騙された事を知り、幼子イエスを殺そうとしていたからです。
※新約聖書が完成していない時代は、神がご自身の御心を、御使いを通して現わすことが良くありました。しかし今の時代は、聖書が完成していますので、全て神の啓示は聖書の中にあらわされています。よって、み使いを通して神が御心を示す事は非常に少ないと思います。それ故、祈りと聖書のみことばから神の御心を知る習慣を身に着けたいと思います。

14:ここがヨセフの信仰の従順が現わされているところです。彼は神の啓示を主の使い(天使)によって知らされたら、すぐ行動を起こす信仰者としての決断、神の前に従順な人物です。ヨセフは立って その日の夜の内に エジプトに逃れた。これがイエスの命を守った行動です。またエジプトは懐が広いのでたびたびイスラエル人を受け入れています。※創世記の時代、ヨセフの助けによって、父ヤコブはカナンの地が飢饉の時エジプトに逃れ、部族が生き延び、やがて民族へと成長した歴史があります。他にも亡命者たちがエジプトに逃れて生き延びた事例もあります。

15:ヘロデが死ぬまでエジプトにいた。ヘロデ大王が死んだのは紀元前4年~1年頃と言われています。「 」の言葉は旧約聖書ホセア11:1の預言が成就(その通りになった)ことです。

16~18:ヘロデは騙された事がわかると激怒し、部下を派遣して詳しく調べ、ベツレヘムとその周辺の2歳以下の子供たちを皆殺しにしたのです。非常に残虐な事を平気でするのがこの王特徴です。これはエレミヤの預言した事(エレミヤ31:15旧約1349頁)ここは直接的にはユダヤ民族がバビロンに捕らえられ連れていかれる時の悲しい出来事を、マタイはベツレヘムの事件に当てはめて解釈しています。

19~21:ここから後半。主は常にヨセフたちを導き守っていることがわかります。
ヘロデ大王が死ぬと、すぐ主の使いがヨセフに現れ、家族でイスラエルに戻りなさい。この時にもヨセフの信仰の従順が現れています。※そこでヨセフは立って幼子イエスとその母を連れてイスラエルの地に入った。主の御心が示されたら即座に従う従順な彼の信仰から学ばされます。

22~23:ここは大王の息子アルケラオ(彼も残虐非道な人物)が治めていた。その為行くのを恐れていたが、この時も夢で啓示を受けたので、比較的安全な北部ガリラヤ地方へと行動しています。
24:最終的に家族はナザレに移って住んだ。ナザレは町と言っても当時の人口は数百人の小さな町でした。「彼はナザレ人と呼ばれる」これは預言者たちが預言しています。特にイザヤは次のような預言(イザヤ11:1、旧約1185頁)をしています。エッサイはダビデ王のお父さんです(マタイ1:6)。即ちメシヤの系図です。ナザレは若枝、しかもそこから出た小さな枝。弱く貧しい事の象徴であります。 

多くに人から蔑まれたこのナザレで、イエスは30歳まで大工をして母親や兄弟たちの世話をして生活していたのです。ですから「彼はナザレ人と呼ばれる」とは決して良い意味ではなく、蔑まれた人と言う意味になります。実際に当時のナザレに対する評価は、決して良いものではありませんでした。ヨハネ1:43~51(新約177頁)ナタナエルの発言「ナザレから何か良いものが出るだろうか」当時の人々はこのようにナザレを低く評価していました。でもイエスは彼の率直な発言に「この人に偽りはない」と評価しています。読んでみよう。

このようにキリストは大きな木や枝ではなく、小さな枝の先のような、貧しさの象徴であるナザレ村で育ち、大工として働き、成人していきます。
では、どうして神である主イエスはこのように貧しくなられたのか、メシヤであるなら貧しくなる必要はなくてよいかもしれません。でも貧しかった。住む家もない時もありました。

それは私達の為に貧しくなられたのです。Ⅱコリント8:9(新約365頁)をお開きください。主は富んでおられるお方ですが、私達の為に貧しくなられました。ここを読むとありがたいなあと思います。

そしてもう一つ興味深いのはイエスの職業が大工であったことです。皆さんに質問します。
今イエス様は何していると思われますか。そうです。父なる神の身許に帰り、私達の住まいを用意してくださっているのです。即ち、大工仕事しているのです(ヨハネ14:1~3、新約213頁)。だからイエス様も今は天の御国で、大工仕事の為に忙しいのです。用意が終わったら、私達の完全な救い、即ち私達を栄光の体に変えてくださる為に空中再臨してくださるのです。その日は近いですね。この様に聖書にある事はすべてつながっていて意味があることがわかります。

●皆さん如何でしたか?今日のメッセージを通して4つの事を考え書いてみましょう。
①今日の聖書箇所を通して神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。

②今日の聖書箇所を読んでどのように感じましたか。

③この聖書箇所を通して今日から実行に移せることは何ですか。

④今日の聖書箇所から関連した個所や聖句があったら教えてください。

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