
2024年8月11日
聖書箇所:マタイ6章19~24節
説教題:天に宝を蓄えよう
おはようございます。今週も主に礼拝をお捧げ出来る恵みにあずかり感謝します。またライブ配信を通して礼拝に参加している兄弟姉妹、病気療養中のあなたもおはようございます。
お元気でしたか。ライブ配信には毎回大勢の皆さんが礼拝に参加している事を嬉しく思います。そして、また一週間主イエス・キリストの再臨の日が近づいている事も感謝です。
今日は直人さんが礼拝に出席くださっていますので感謝です。礼拝が終わった後、2022年2月26日に主の身許に召された嶋本茂子さんを偲ぶ会を執り行いますので、出席される方はそのまま残ってください。
さて今日は、ゼカリヤ書を一旦お休みして、新約聖書マタイの福音書から私たちキリスト者の金銭や財産に対してどうあるべきかを共に考えたいと思います。本日の聖書箇所は5章から7章迄続くイエスによる山上の垂訓と呼ばれるところの一部です。本質が語られていて大切な箇所です。特にイエス様が金銭(お金)の正しい使い方について3つの事を述べています。又ここでイエスの話を聞いている人々は弟子達の他に、一般民衆、そしてお金が大好きな宗教指導者達がいました。そんな訳で私たち自身にも適用できますので、自分事として受け止めて、お金(金銭)富について正しい使い方について考えてまいりましょう。
19:皆さんにとって宝物とは何でしょうか?それぞれ違いますね。でもここの宝はお金の事を言っています。そうです。ここでイエスはお金の使い方を会衆に教えているのです。その前に皆さんと共通の考えに立ちたいと思います。それは聖書ではお金を汚いものとか悪いものと教えているのでしょうか。いいえ、汚れたものとは教えていません。それを用いる私達の心次第です。
ですからよく働き収入を増やす、あるいは株式や事業や不動産に投資をして世の中の経済活動の役に立ち、その結果として収益(報酬)を得ること事は素晴らしいことです。キリスト者も投資に関心を持ち、世の中の仕組みや経済について詳しくなる事はとても良いことです。ここではイエスが最も優れて、いつまでも残り価値ある投資について教えているのです。
では何が問題か?収益(儲け)を自分の為だけに使うという考え方、自己中心、欲の皮が突っ張っている事、金の亡者、投資によって得た利益は全部自分の物、社会に還元しない、その生き方、考え方が罪なのです。イエスは言います。自分の為に地上に宝(金銭や財産)を蓄えるのをやめなさい。どうしてですか?地上に宝を蓄えても、良い着物であれば虫に食われて価値がなくなり、金属はさびて使い物にならず、泥棒が家を破壊して盗むのです。※これは2千年前から今に至るまで変わらない事なのですね。努力して得ても地上に蓄えた人の宝はみんなゴミになるのです。私は不要品整理の仕事もしていますのでごみの山となっている光景を何度も見ています。
20:ではイエスは何と言っているのか。ここでもイエスはまず、自分の為に天に宝を蓄えよ。自分がまかされている金銭や富を神の御心に沿った使い方をしなさいと言う事です。誤解しないでください。これは300万円の壺を買いなさいとか、土地を売り払って全額教団に捧げなさいと言っているのではありません。得た収入(お金)は自分の健康や生活を守るために使います。それと共に貧しい人の為、又社会の役に立つ使い方、キリストの心を表す事の為に使う。これが天に宝を積む生き方、使い方です。でもこれやると私達の地上の銀行通帳残高は余り増えません。
しかし、主は天に宝を積むことに熱心な人の為には地上の収入も増やしてくださり、生活に困らず、借金しなくてもいいように神は祝福してくださいます。
イエス様のところ(天)に宝を積めば、盗まれる心配も、錆びや虫がつく心配もありません。しかもこれは満期日まで定期預金なのです。自分の生涯を終えイエスの身許に帰るとき主は私達に天の通帳を見せてくれます。これを地上の生涯で実行すればあなたの人生は確実に変わります。
21:人は考え方、生き方によって、生活そのものに現れてきます。天に宝を積む生き方をしようと決断すればそのようになり、金銭があなたの心を占めているなら、あなたの心はそこにあるという事です。だから天に宝を積みなさいとイエスは語ります。金銭の欲を捨て、自分にまかされている財産を広く主の為に用いるなら、その宝は地上の銀行から天に移動するのです。でもこのような生き方は地上の預金残高は余り増えませんが、天の宝は限りなく増えてあなたの人生は神にも人にも祝福されるのです。
この話をイエスは当時のお金が大好きな人々を念頭に置いて話したのです。自分の宝を地上にばかり蓄えようとする人の末路(ユダヤの指導者)は、みじめで、虫がつき、さびていきました。
22:2つ目。ここは日本人にはわかりづらい表現ですが、ここでイエスは極めて具体的な天に宝を蓄える生き方を述べています。目が健全(健やか)なら、という意味は、貧しい人に対し気前よく施すという事です。
23:目が悪いとは、その逆でケチ、自己中心、憐れみがないという意味になります。ですから、目の明るい人になりなさい。そうすれば体全身から神の愛が溢れ出るのです。気前良く生きよという極めて具体的な教えで、受けるより与えるほうが幸いであるというイエスの言葉と同じです。
この様にイエスは目が健やかと目が悪いという当時の慣用句を用いて天に宝を蓄える生き方を教えているのです。イエスの教えは具体的です。※慣用句とは習慣として長い間広く使われてきたひとまとまりの言葉。
24:ここは3つ目で結論部分です。キリストにある者は誰に仕えるのですか。イエスは、神の僕が二人の主人には仕えられないと言います。富(金銭)に心が奪われず、富を上手にコントロールしながら、自分が与えられている富を、持っていない人に施す、これが神につかえる、キリスト者の生き方です。そしてキリスト者の集まりであるキリスト教会は地域にあって、自分たちに与えられている、あるいは任されている富をもって地域に還元しキリストに仕えていく。こういう生き方をしようではありませんか。
結び
今日はイエスの山上の垂訓から考えました。自分中心でケチな生き方や人への憐れみを示さないような生き方ではなく、気前よく人に施すと言う事を実行していこう。それこそイエスの言う天に宝を積む生き方であり、聖書が示している事なのです。あなたや私の生き方を通してイエスの言葉が実践されたら幸いです。
最後に一つ、誤解しないでほしいのは、それぞれ人には自分の賜物や能力、又育った環境が皆違います。故にそれぞれが自分の暮らしや収入、生活に合った形で神に仕え、天に宝を積むと言う事です。決して無理して生きる事を神は求めていませんので、そのことはくれぐれも誤解のないようにお願いします。そして、地上の生涯から天に移るときには、天に蓄えた宝の通帳を見ることが出来るのは幸いです。お祈りいたしましょう。
