
聖書箇所:ゼカリヤ書6章1~8節
説教題:第八の幻
おはようございます。今朝も共に集まり主を礼拝する恵みにあずかり感謝します。また1週間主イエス・キリストの再臨が近づいたことを感謝します。ライブ配信を通して礼拝に参加している兄弟姉妹や病気療養中のあなたもおはようございます。インターネットを通して共に主を礼拝できる恵みにあずかり感謝します。毎回20人以上の方が共に礼拝しておりとても嬉しいです。
それでは、ゼカリヤ書6章をお開きくださり、資料をお持ちの方はご覧ください。ゼカリヤ書のテーマは神殿再建工事と神の民の回復にありますが、神はイスラエルに罪の悔い改めを迫った後、ゼカリヤに励ましの啓示を示しました。一晩のうちに8回も続けてです。
具体的な内容は①谷底にあるミルトスの木の間で赤い馬に乗った人②4つの角と4人の職人③測り綱を持った人④大祭司ヨシュアの復職、⑤ゼルバベルを通して燭台と2本のオリーブの尽きない油、⑥飛んでいる巻物⑦エパ枡の中にいる女について、そして今日は⑧主の遠征隊(戦車)が登場して締めくくりとなります。
ゼカリヤが主から受けた励ましの幻を私たちはどう理解したらよいか。①具体的な内容理解②象徴的な意味を理解する③私達に何を教えているのか④自分達に適用できることは何か⑤私達がみことばをどのように実行して行くかです。この5つが大切です。
最後の幻を確認する前に、ゼカリヤたちが置かれている現状を確認してまいりましょう。総督ゼルバベル、大祭司ヨシュア、そして5万人の人々がバビロンから(当時はペルシャ帝国)エルサレムに帰ってきて直ぐに、彼らの心の拠り所である神殿建設再建工事を始めましたが、周辺諸国の妨害や脅しに屈して15年間工事が中断していました。当時のイスラエルは非常に追い込まれていたのです。そんな中、預言者として立てられたハガイやゼカリヤを通して、エルサレムの人々はこれから神殿工事の再開に取り組むわけです。
そして、不安や恐れの中にあった民に対し神はゼカリヤを通して8つの幻(啓示)を与えました。その内容は彼らに対する愛と励ましのメッセージでした。啓示には象徴的なものが多くわかりにくいのですが、その中に確かな神のご意志、御計画が示されています。内容を一つ一つ確認してまいりましょう。今日の箇所は4台の戦車が全地に出ていく幻です。
●1:彼が示された8番目(最後)の幻は、4台の戦車はいくさぐるまと呼んだ方がイメージをつかみやすいですね。この戦車(いくさぐるま)が二つの山の間から出てきた。この山は青銅の山です。戦車は天の四方の風(霊)、東西南北、全地から集まったもの(5節)
2つの山は一つがオリーブ山、もう一つはその反対のモリヤの山という解釈もあります。エルサレム神殿が建っていた場所ですね。そしてこの山の間には南北の谷、キデロンの谷(ヨシャパテの谷)があります。後にイエスがオリーブ山からエルサレム神殿を見て預言した場所です。ここは大患難時代の最後にキリストが再臨し多くの人の血が流されるところでもあります。
青銅の山という表現も珍しいですね。山は立ちはだかるもので権威や力の象徴を表し、青銅は神の裁きの象徴ですので、今後神が諸国の民に対し断固とした裁きを実行するという預言です。
※追い込まれ意気消沈していたイスラエルを守るため、周辺国に対し神が裁きをするために戦いに出ていく戦車(いくさぐるま)の姿と理解することが出来ます。
●2~3:4台の戦車の姿は、第一が赤い馬、第二が黒い馬、第三が白い馬、第四がまだら手の馬たちで、それぞれ数頭ずつつながれていました。
●4~5:ゼカリヤはこの意味を知りたくてみ使いに質問します。「主よ、これらは何ですか」答えは天の四方の風(霊)だ。即ち神から遣わされた戦車が四方あまねく散って戦うという事です。
●6:黒い馬は北へ向かいます。これは北のシリヤを経由して、その先の旧バビロン、今はペルシャが支配しているが、この時代、ダレイオスの即位後も反乱が続いていた。それ故ここに裁きが下されると理解できます。白い馬は西のギリシャ方面です。まだら毛の馬は南のエジプト方面です。赤い馬たちの行き先は書かれていません。
●7~8:強い馬たちが出てきました。これは今までのすべての馬の事を含めて強い馬と述べているようであります。彼らは全地を走り抜け神の使者としての裁きの業をなしました。特に北に向かった馬の役割が「わたしの霊を鎮めた」神の怒りを鎮めた働きをしたと言う事です。神の民を守るため、神の支配と統治が東西南北全地にわたってなされることを示す預言です。
この様に神は四方(周りの国々)から苦しめられ意気消沈していたイスラエルの民に対してゼカリヤに8つの幻を通して励ましを与えてくれたのです。エルサレムに帰還してから15年もの間、回りの民を見ておびえながら歩んでいたイスラエルを励まし、確かな約束をゼカリヤを通して示したのです。この様に万軍の主は愛と励ましに満ちている神なのです。
新約聖書時代にも神は信仰者を特別な導きと恵みと守りの中で支えています。第二コリント4:7~9(新約359頁)をご覧ください。私たち(直接的には使徒パウロ達を指している)にもそのまま適用することが出来ます。
私たちもキリストの命を、土の器(弱く壊れやすい私たちの体の意味)に入れています。一方的な神の愛の御業です。しかし、神はパウロのみならず、私達にも四方八方から苦しみを与える時があります。「神を信じているのに何故?」と思う事もあるかもしれません。特に人間関係や仕事、病気、経済の事で、時には窮し、途方に暮れ、見捨てられ、生き詰まることがあります。「でも大丈夫だ」とパウロはイエスの守りの中にある経験から語るのです。
私たちも弱く、壊れやすい土の器のような人間ですが、主と共に生きるなら、苦しいことが続いても、主にあって人生に窮し続けることはなく、生き詰まり続けることなく、見捨てられることもなく、滅びる事もありません。これが主を信頼して生きる者に対する約束です。
結び
イスラエルの民は四方八方困難な状況に置かれましたが、主の守りと導きの中で前に進んでいきます。パウロ達もそうでした。そして私達も主と共に生きるなら見捨てられることなく歩むことが出来るのです。終末の今の時代においてイスラエルは益々世界中から非難を受けて歩むことになります。そして大患難時代には反キリストの大迫害を受けて大勢のユダヤ人が殺されます。でも再臨のキリストによって敵対勢力はすべて滅ぼされ、新しい千年王国時代が来ます。
