ゼカリヤ書(7)

聖書箇所:ゼカリヤ書4章1~12節
説教題:権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって

おはようございます。今朝も共に主のみ前に出て礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。1週間主イエス・キリストの再臨が近づいたことも感謝します。又ライブ配信を通して礼拝に参加している兄弟姉妹、病気療養中のあなたもおはようございます。ネット越しですが共に主に礼拝をささげる事を感謝します。
それでは、ゼカリヤ書をお開きください。いつもの資料をご覧ください。本書のテーマは神殿再建工事ですが、神はユダヤ人に罪の悔い改めを迫った後、励ましの啓示を8回続けてゼカリヤに示しました。①谷底にあるミルトスの木の間で赤い馬に乗った人②4つの角と4人の職人③測り綱を持った人④大祭司ヨシュアの復職、そして今日は⑤燭台と尽きない油の幻です。

今日も5番目の幻が①具体的にどんな内容か。②幻の意味する事は何か。③メッセージから自分たちに適用できることは何かを考え実行して行ければ幸いです。特にゼカリヤ書は、彼が生きた2500年前の事や、イエスが地上にメシヤとして来られる約束、(今から2千年前)、更には世界の終末、完成の事も啓示されていますので、整理しながら学んでいくと理解が深まります。特に今日の啓示は5番目に受けた啓示ですが、終末の事も含めた神の励ましが示されています。

●1~3:ゼカリヤは金の燭台と二本のオリーブの木を見た(この図をご覧ください)燭台(メノラー)は神の民が荒野で礼拝をささげる時に明かりをともす道具で、幕屋の聖所に置かれました(民数記8章参照)左は今のイスラエルの国章(国旗とは違うが国を象徴的に表すデザイン)です。金の燭台の左右にオリーブの木が描かれています。
右側の図はゼカリヤが見た幻の図です。燭台の両側にオリーブの木があります。上の方には左右に金の油を注ぎだす金の鉢があり、二本の管によって金の油が注がれていました(12節)。
因みに燭台は①諸国民の光となるイスラエルを表している。また、②異邦人の光となるメシヤを表しています。やがて完成する神殿再建とイスラエルが霊的に回復することをゼルバベルに対して示すために金の燭台と二本のオリーブの木を見せたのです。

●4~5:ゼカリヤの質問。「主よ、これは何ですか」(4節)。(12節)でも質問しています。この質問はイエス様もよく用いました。質問する事により相手の考えを理解することが出来ます。又質問された人も自分の考えをまとめようとするので、考える力が身に付き豊かな人間関係につながります。互いに隣人を尊重しながら質問力を身に着ける事が出来ます。

●6:前回は民を代表する大祭司ヨシュアに対し、民族的な罪の赦しの宣言が与えられましたが、4章ではゼルバベルへの励ましの啓示が与えられました。彼はダビデ王につながる系図の人ですが、今は王ではなく総督という立場です。神殿再建工事にあたり、主は彼に「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と励ましました。権力は武力とも訳せますが、再建工事には必要ないものです。能力はもちろん必要ですが、人の自我に基づく力量や才能、策略や駆け引きではなく、わたしの霊によって、即ち聖霊の力と励ましによってのみ困難を乗り越え神殿再建がなされると万軍の主は語られたのです。
※私達の生き方の基本もここにありますね。聖霊の励ましと導きを受けつつ前進することが、あらゆる困難を乗り越える秘訣です。私達はその為にも心の内に住む聖霊様が働きやすいように主の前に従順な心で生きる事を最優先したいと願っています。
●7:このように生きるなら、大いなる山よ、お前は何者かと言えるのです。大いなる山とは、イスラエル民族の前に立ちはだかる多くの困難とも解釈できます。権力によらず、能力によらず、聖霊によって生きるなら、ゼルバベルの前で平らにされるのです。続けて彼が、かしら石(工事の最後にすべてを結びつける石)を運び出せば完成し、恵みあれ、恵みあれ(素晴らしい、見事)と叫び声が上がる。かしら石の霊的な意味は一般的にメシヤ。イエス・キリストと解釈されます。
 
イスラエル民族も最終的には、かしら石なるキリストに連なる祝福にあずかります。※私達の人生も、かしら石なるキリストを、いつも心の中心に迎えるなら祝福の声が上がり、より確かな人生へと導かれます。では誰から、どこから祝福の声が上がるのか?(10節)燭台、即ち全地を行きめぐる主の目、主の聖霊から声が上がるのです。

●8~10:神殿完成の祝福。ゼルバベルは既に15年前神殿の礎を据えました。そして最終的にはかしら石を運んで神殿は完成します。その時、あなたは(ゼルバベル)は、万軍の主が私(メシヤ)をあなた方(イスラエル)に遣わされたことを知る。それ故、誰がその日を小さなこととして蔑むのか。何故この言葉があるのか。それはこれから完成する神殿が、今はないソロモンの神殿と比較して小さいと蔑む人がいた。それに対してメシヤが反論しています。

人々はゼルバベル(メシヤの系図)の手にある重り縄(下げ振りの石ともいう)を見て喜ぶ。重り縄は測量用の道具ですが、実はこの石こそメシヤ、キリストを指しています。イスラエルの最終的な喜びは 終わりの日のキリストの再臨によって頂点に達するとも理解できます。イスラエルは単に神殿建設による回復だけでなく、終末に回復するという見方もできるのではないか。
又これらの7つ(燭台の枝のこと)は全地を行き巡る主の目は聖霊の事で、「わたしの霊による」働きがなされるとき、恵みあれ、恵みあれと主が褒め称えられるのです。

●11~14:私(ゼカリヤ)は彼(主の使い、メシヤ)に尋ねた。二本のオリーブの木は何ですか?ゼカリヤは再び質問しています。(図から説明する)二本の金の管によって金の油を注ぎだす、このオリーブの二本の枝は何ですか。全地の主のそばに立つ二人の油注がれたものだ。文脈から考えるなら、油注がれた二人は大祭司ヨシュアと総督ゼルバベルを指していると思います。でも終末預言の視点で見るならば、黙示録11:1~13(新約503頁)に登場する二人の証人と解釈することもできます。

ここは7年の患難時代の前半(3年半)に起こることで、私達の時代より後の時代の話です。キリストの地上再臨は7年間の大患難時代の最後に起こるので、まだキリストは地上に再臨していません。でもこの時期に第三神殿が再建され、反キリストが全世界的な恐怖政治を始めます。
この時、神は二人の特別な人物に力を与え、悪に染まったエルサレムの人々に害を与えます。この二人の人物(4節)こそ、主に油注がれた人たちです。彼らは反キリストに殺されますが三日半の後に復活して天に帰ります。こうしてユダヤ人の民族的悔い改めが始まるのです。

結び 
ゼカリヤ書と黙示録は世界的な終末預言の視点でつながっているのです。それ故このゼカリヤ書を学ぶならば、この世界がこれからどうなるかを理解することが出来、私達がこれからどう生きるべきか確信を与えてくれる書物です。あなたの人生はより確かになっていきます。

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