
聖書箇所:ゼカリヤ書2章1~13節
説教題:エルサレムの未来の栄光
おはようございます。新しい週を迎え、1週間主イエス・キリストの再臨が近づきました。
又ライブ配信を通して礼拝に参加している兄弟姉妹、病気療養中のあなたもおはようございます。ネット越しでは有りますが共に主に礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。
今日は母の日ですね。おめでとうございます。母の日の起源はキリスト教会です。1905年5月9日アメリカ人アンナ・ジャービスが牧師夫人であった母の死をきっかけに、生きている間に「母親への感謝の気持ちを伝える機会を設けるべきだ」と働きかけたのが始まりとされています。やがてこれがアメリカ全土に広がり5月第2日曜日が母の日に制定され国民の祝日となりました。彼女が母親の追悼式の日に母の好きだった白のカーネーションを飾ったことから、母親が健在であれば赤のカーネーションと決まったようです。そんな訳でアメリカのキリスト教会から始まった母の日のお祝いが戦後日本でも定着し5月第2日曜日にお祝いされるようになりました。本庄教会でも玄関先にカーネーションが飾ってあるのはうれしいことですね。
次に先週の月曜日に松下サツ子さんの葬儀が無事に執り行われたことをご報告します。又ライブ配信については、声がはっきり聞こえるようになりました。浅香さん始め皆様の協力を感謝いたします。続けて司会者や証する方はマイクに近づけて話して下さるようお願いします。
それではゼカリヤ書から学んでまいりましょう。前回お渡しした資料をご覧ください。本書のテーマは「神殿再建工事」であります。初めに神は悔い改めを迫り、その後、8回の啓示を続けてゼカリヤに示しました。今日はこの8回の内の3回目「エルサレムの未来の栄光」であります。聖書の預言は、人があらかじめ語る予言ではなく、預言者が神の言葉を預かって語るので預言と言います。あらかじめ語る予言は人の考えや推測に基づくので不正確で間違いが多くあります。
しかし、聖書の預言は神からのことばを預かって語るのであり誤りがありません。勿論ゼカリヤ書は神によって霊感され、聖霊によって守られ書かれたので誤りがありません。それ故私達が安心して学ぶことが出来ます。アモス3:7(旧約1562頁)には「まことに、神である主は、ご自分の計画を、その僕である預言者たちに示さずには、何事もなさらない」このように神はご自身の計画を、預言者たちを通して実行なさるお方です。これが聖書の預言書の意味です。
一方預言書を読む私達の側の解釈には①霊的、比喩的に解釈する②出来る限り字義通りに解釈する立場の違いがあります。私は聖書を出来る限り字義通り読む立場で皆様にお話ししています。大切なのは聖書を出来うる限り字義通りに読んで神の啓示を自分に適用して受け止める事です。
●1~5:今この時点ではエルサレムの神殿再建建設はまだ始まっていません。それ故、神は神殿再建の為に預言者ゼカリヤを通してメッセージを語りかけました。8つの内の3番目が今日の個所です。ここは未来のエルサレム繁栄の預言です。
1:登場人物を確認しましょう。①ゼカリヤ(1節)②測り綱を持つ人(1節)③ゼカリヤと話していたみ使い(3節)④もう一人のみ使い(3節)4人です。
一人の人が一本の測り縄を持っていた。測り縄は、建物を作るときに使う道具ですが、ここではエルサレム神殿や町の境界線を測る道具となります。という事は、この測り縄は神殿再建と回復のしるしと解釈することが出来ます。
2:「あなたは何処へ行くのですか」すると一人の人はエルサレムを測りに行くと明確に答えます。ゼカリヤの質問がいいですね。私達もコミュニュケーションを豊かにするに適度に良い質問をすることによって相手に対する理解が深まります。是非私達の日常生活で身に着けたいものの一つです。そうするとあなたの周りの人間関係はより豊かなものになっていきます。
3:すると見よ。これも大切な言葉で、注意して見てという意味です。前にゼカリヤと話していたみ使いが、もう一人のみ使いに会うために出ていき、
4:彼(以前ゼカリヤと話していたみ使い)に言った。「走って行ってあの若者(ゼカリヤ)に告げよ、「エルサレムはその中に人と家畜があふれる」エルサレムが回復することを示す言葉で、「城壁のない町のようになる」文脈を無視して読むと、城壁のない町は大変厳しい状態になるという意味になりますが、文脈を大切にして読むとその逆で非常に繫栄した町になるという意味です。城壁が無くても敵は侵入してこないということです。
5:―主のことば―。火の城壁となる。目には見えませんがエルサレムに神の完全な守りがあり、神ご自身が中心にいて栄光となる(シャカイナ・グローリー)神の臨在と特別の栄光ある町になるので心配するな。昔モーセ達が出エジプトを成し遂げ、荒野の中にいた時に神はご自身を示すため昼間は雲、夜は火の柱としてご自身の臨在と栄光を示したのです。モーセ達はその光景を見て神の守りを確信したのです。
例:私達にとっても主が火の城壁となって守ってくださる。目には見えませんが、主はいつも私達と共にいて、守り導く存在です。それ故、主にある人はどんな環境にあっても喜びと平安が与えられています。
・もう一つ「主がそのただ中で栄光となる」これも大切な言葉で、本当のキリスト者は自分に能力があると思って誇ることをしません。栄光は主にお返しする存在であり、主イエスの素晴らしさがその人を通して現わされる存在。私達の生き方、考え方の中心は主なる神の栄光を求める。
●6~9:ここから9節迄が一つのくくりになります。
エルサレムへ最初に戻ってきたのは総督ゼルバベルたち5万人でした。今も多くの人々はバビロン(ペルシャ)に定着していたと思われます。それ故主は「さあ、すぐに北の国から逃げよ」と勧めています。イスラエルから見たバビロンは東なのに、なぜ北の国かと申しますと、彼らは常にユウフラテス川を北上して北のシリヤの方向から攻め込んだので北の国と言っています。
しかし、バビロンはイスラエルの民がこれからも長く住み続ける国ではありません。それ故、北の国から逃げよと主は語られたのです。この勧めに対し、帰るかどうかを迷う人もいたと思われますが、常に神の御心を第一に求めて生きる事が優先されるのです。8:「私の瞳」イスラエルの民は万軍の主にとって、瞳のように大切な存在である。例:私達も主は瞳のように大切にしてくださいます。
●10~13:主イエス・キリストの再臨後の千年王国の預言です。主への賛美。見よ(強調)11:主があなた方のただ中に住まわれる。最高の喜び。最終的には多くの国が主に連なり神の民となる。いま世界中の敵となりつつあるイスラエルがやがて患難時代の後にキリストの再臨によって世界の中心となり回復し栄光に満ち溢れます。キリストがあなたのただ中に住む。このように数十年後のエルサレムの回復は同時に人類の終末期における回復へとつながります。
