ヨハネの黙示録(22)

2019年6月30日
聖書箇所:ヨハネの黙示録21:1~8 
説教題:新しい天と新しい地に向かって②  

先週に続いて21章1節~8節からです。千年間キリストによる王国時代が終わった後のこと。そうです。新しい天と新しい地、永遠の世界がいよいよ始まります。
私は聖書を読んでいても、天国をはるか彼方にあるものと思い込んできました。いつの間にか霊肉二元論のギリシャ哲学の影響を受けて聖書を読んでいたと思います。しかし黙示録21章に来ると天の御国がどのようなところかヨハネは、読者にはっきりと示してくれます。今の、この天と地はやがて過ぎ去って無くなります。その次に用意されているものが、質的に全く新しい天と地であります。黙示録にはそれが天から下ってくると有ります。

通常天は3つに区分されますね。あのツバメが飛ぶ空を第一の天とするならば、第二の天は宇宙空間、そして聖書にあります第三の天と呼ばれるところ、即ちパラダイスです。ここにイエスは復活後に帰りました。ヨハネ14:1~3を見ると、イエスは場所を備えるために行かれたところ、そこが第三の天、パラダイスです。やがて新しい天と新しい地が完成し、その中心である聖なる都、新しいエルサレムが天から下ってくるのです。最終的には私たちもここに移るので、希望が湧いてきます。

3:御座からのこえ
今日は3節~。ヨハネは天から降りて来る新しいエルサレムを見た時に、御座から出る大きな声を聞きます。天の御国の様子を聞きます。「見よ、神の幕屋が人と共にある。・・・」幕屋とは何か、旧約聖書の出エジプト記に出てきますが、荒野を旅するモーセ達は神を礼拝するためのテントを作りました。そこで神の臨在を確認しながら旅をします。新天新地に於いても神が共に住んで下さる約束。一緒に。with.3節には共にという言葉が3回出てきます。

4:この言葉は新天新地に行っても悲しみがあるが、その時にイエス様が慰めて下さるということではありません。悲しみの原因はすべて取り除かれているという意味です。
今度は面白い事に新天新地に移ったら、ない物だらけです。①死がない。いつまでも新しい命に生かされているから。②悲しみ③叫び④苦しみがありません。何故なら過ぎ去ったからです。
今はまだ救いを受けていてもこの地上にあるうちは、悲しみ、苦しみはついてきますが、新天新地に移ったら一切なくなります。

5:御座についておられる方の声①
御座からのこえ:これは誰の声か、一コリント15:23~25を見ると、キリストの支配はやがて終わり、国を父なる神にお渡しになると有るので、この声は父なる神の声と思いがちですが、6節を見るとイエス・キリストの声である事が分かります。メシヤであるイエスの言葉。中身は、見よ、私は全てを全く新しくする。これは神のみが語ることばで、新しい天と新しい地を創造する事を述べています。

5:御座についておられる方の声②
続けて、「書き記せ、これらのことばは信ずべきものであり、真実である」これらの言葉とは3~4の言葉であり、同時に黙示録全体の言葉でもあります。イエスご自身が真実なるお方であると宣言しているのです。更に拡大解釈して言うならば聖書は預言者たちが神からの啓示を受けた書いた書物でありますから信頼できるということです。そして読み方の原則は書かれたことをそのまま文脈、コンテキストを大切にして読むことです。変に比喩的、霊的解釈はしないでください。もう一つはユダヤ人が書いた書物ですので、ヘブル的視点や背景を理解して読むと聖書が分かります。

6:イエスご自身の言葉、神であることを自己宣言しています。アルファでありオメガである。ギリシャ語の最初はアルファ、最後はオメガ。これはイエスご自身が神の永遠、全能であることを示す言葉。渇く者には命の水の泉から価なしに飲ませる。信じる者に無代価で与える祝福の約束。

7:締めくくり。勝利を得る者はこれらの物を相続する。即ち新しい天と地を私たちも受けるということです。神と私たちとの間には親しい関係が続くのです。

8:ここは信者に対する言葉ではありません。カルト教会はこのみ言葉だけをピックアップして臆病者は地獄に行くと脅して、奉仕に駆り立てるのです。この箇所は不信者が受け取るのを述べています。火と硫黄の燃える火の池の中にある。これが第二の死、即ち神との永遠の分離です。聖書は人が死んだら消滅するとは教えていません。因みに第一の死は、肉体の死のことです。

ここまでが今日の聖書箇所で、新天新地は私達の為に用意されており、全く新しく造られる世界です。神との親しい交わりがあり、いのちの泉から無代価で受ける祝福に満ちている所です。

また新天新地はない物ばかりです。①死がない。いつまでも新しい命に生きているから。②悲しみがない。③叫びがない④苦しみがない。これらの物はありません。何故なら過ぎ去ったからです。今は救いを受けていてもこの地上にあるうちは、これらの物はついて回るくらいにありますが、新天新地に移ったら一切なくなります。
ここが我らの住むところです。如何でしょうか。先週夜の集会の時に、同じ個所から学びましたら、ある方が良いところだね、と言っていました。本当に良いところですね。

適用しましょう。では私達はどう生きるか。
まずは聖書がいたるところで語っている、完成に向かっての大まかな世界の流れ(終末論)を理解しながら、イエス・キリストの空中再臨がいつあっても慌てる事なく生きることです。
具体的には、自分たちの住んでいる北関東、埼玉北部児玉郡市の地を愛し、この地の繁栄の為に祈り、この地域に住む人と共に生きることです。別の言葉でいうと神を愛し、隣人愛を実践しながら毎日を普通に生きることです。主のみもとに行く日までその日その日を精一杯生きることです。

キリストの救いに行いは関係ありませんが、救われたら良い業をもって神と隣人に仕える事が大切です。その為にも自分に与えられた賜物を発見し、使命に生きることです。そして自分に出来る事を喜んでやってみることです。そうすれば人と比較しないで生きられるので気持ちが楽ですね。
結び
今週一週間も主の恵みに信頼してそれぞれが与えられた使命を喜んで果たしてまいりましょう。

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